2019.03.31
初代サニー1000とカローラ1100、勝負の行方は? 人気連載「岡崎宏司のクルマ備忘録」第89回
1960年代、日本のモータリゼーションは大きな変革期を迎え、クルマは一気に市民権を得ていく。そんの大きな牽引力になったのが、共に1966年に誕生したサニー1000とカローラ1100だった。
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
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岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第89回
サニー1000とカローラ1100
このクラスにはすでに、マツダ、三菱、ダイハツ、スバル等が参戦しており、とくに新しい市場というわけでもなかった。しかし、日本市場で圧倒的な力を持つ日産とトヨタの参戦は、このクラスの注目度を一気に高め、ユーザーの購買意欲を強く刺激した。
サニー1000は典型的な3ボックス。内外装ともにシンプルなデザインだった。僕は「一切無駄のない」デザインに欧州車的な薫りを感じ、好きだった。
クルマの走りにおいて、軽量さはなににも勝る武器という意識を強く持っていたからだ。
A型エンジンは、はじめは3ベアリングだったが、すぐ5ベアリングになり、当時としては無類のスムースさを発揮した。踏みたくなる、踏み甲斐のあるエンジンだった。
このA型エンジン、いろいろな形で進化し、多くの日産車に積まれ、モータースポーツの世界でも活躍した。「名機」としてその名を記憶している人は少なくないはずだ。
そんなサニー1000に対して、カローラ1100は、多くの点で「プラスα」を加えたクルマに仕立てられていた。
ボディは一回り大きく、デザイン的にも「豊かさ」「贅沢さ」を印象づけるものだった。
内装もまた同様な仕上がりだった。
エンジンも「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーで、多くのユーザーの心を掴んだ。
エンジン単体の実力としてはサニー1000のA型が上だったと今でも思うが、少し大きなボディと少し大きなエンジンの組み合わせが、商品としての魅力を強く押し上げたことは間違いない。
カローラ1100のプラスαといえば、クォリティの高い仕上げも挙げられる。トヨタの
お家芸といわれる精度感の高さ、質感の高さ
は、この初代カローラから始まった、、僕はそう思っている。
10年ほど前、初代カローラに触れる機会があったのだが、質感が高くほとんど旧さを感じさせないところに、改めて感心させられた。
走りに関してはサニー1000に軍配を挙げる。軽量で重量バランスがよく、特別な仕掛けのあるシャシーでもなかったが、フットワークはしなやかで強靱だった。
絶対的パワーはないが、コーナーでは大いに楽しめた。箱根旧道のような、タイトなコーナーが連続するようなところを攻めるのがとくに楽しかった。
ターンインは素直で、ステア特性は軽いアンダーステア。追い込むとテールが流れるが、そのコントロールは容易。いわば、自在なコントロール性をもっていたということだ。
当時はまだ大都市近郊にも多く残っていた非舗装路でも、この特性は変わらず発揮され、快適に走れたし、気が向けばラリーライクな走りを気楽に楽しむこともできた。
カローラ1100の走りも当時の水準を超えてはいたが、サニー1000には及ばなかった。
サニー1000のスポーティでキビキビした身のこなしに対して、カローラ1100は安定感/安心感のある身のこなしだった。
しかし、いくらワインディングロードの走りが優れていても、それをカタログに示すことはできないし、実際に走って確かめることもできない。たとえ、できたとしても、そこを重視した選択をする人は少ないだろう。
そんなことで、日本モータリゼーションの一大変革期に登場し覇を競った両車だが、多くのユーザーが選んだのはカローラ1100だった。
その後、サニーもカローラを追い、より大きく、見栄えよく、より強力なエンジンを積みもしたが、結局逆転することはなかった。
50年以上前の話しだが、カローラ1100に勝利をもたらした「プラス100ccの余裕」というキャッチコピーに秘められたそのココロは、今も脈々とトヨタに受け継がれている。
ちなみに、「プラス100cc」は開発当初からの既定路線ではなかった。はじめは1000ccで開発が進められていた。が、ある時、日産が開発している競合モデルは1000cc という情報が入り、急遽1100ccに変更したということだ。
この情報は営業サイドが掴み、プラス100ccを強力に推したのも営業サイドとのこと。短期間での排気量アップは、かなり大変な作業だったと聞く。そうだと思う。
「営業のいうことをよく聞く」というトヨタのクルマ作りの伝統を、改めて思い起こされる逸話である。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。