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2022.02.20

彼女が乗ってきたクルマにひと目惚れだった

バイクに夢中だった高校生時代の筆者。それが俄然クルマへの興味が目覚めたのは、ひとりの女性との出会いがきっかけでした。彼女はシトロエン2CVに乗っていたのです……。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第179回

1950年代に出会ったクルマたち

クルマは小さい頃から好きだった。誕生日のプレゼントはクルマのオモチャをネダッた。

小学校に入った頃(1946年)からは、家に近い国道へクルマを見に行くようになった。たまにアメリカ車が来ると胸が踊った。

「1940年代のアメリカ車」で検索すると、クーペ、ハードトップ、コンバーチブル、ステーションワゴン、、等々、多彩なボディバリエーションはあるし、カラフルな装いを纏っているものも少なくない。カッコいい!。

でも、日本の道路で見たのはほとんどが4ドアセダン。それも地味なボディカラーをまとっていた。アメリカ関係の公用車か軍関係者のクルマだったということだろう。それでもワクワクした。

10歳の頃だったか、家の近くのタクシー会社が買い入れた1940年代のフォード車(背中の丸い4ドア 6ライト車でボディカラーは黒)が、初めて乗ったアメリカ車。父親に何度も頼んでせがんで、乗せてもらった。それ以上の記憶はないが、たぶん、大興奮したのだと思う。

わが家が初めて所有したクルマはダットサン・スリフト。1952~3年頃だ。僕が初めて運転したのもこれ。12~13歳だったと思うが、9歳上の兄が、田んぼの畦道で運転させてくれた。ノンビリした時代だった。

ちなみに、ダットサン・スリフトは、トラックと共用のシャシーにSV(サイドバルブ)エンジンを積んだ非力なクルマ。箱根の登りなど情けないほど遅かったし、オーバーヒートにも気を配らなければならなかった。でも、むろん、大切な思い出になっている。
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以後、わが家のクルマはダットサン1000、セドリック、プレジデントへと変わっていったが、なぜか日産車ばかり。そして、プレジデントを2台乗り継いだ後はメルセデス・ベンツ一筋になった。クルマの決定権をもつ兄が、そういう趣向だったということになる。

ダットサン1000はよく運転したが、オースチン系のOHVエンジンは良かった。箱根も難なく越えられた。セドリックも好きでよく運転したが、プレジデントはどうしても好きになれなかった。運転した記憶もほとんどない。

16歳で運転免許証を取得。そこからはバイクに夢中、、。大学に入るまでの3年間は、連日連夜バイク仲間と走り回り、遊び回った。ガールフレンドはいたけれど、バイク仲間と過ごす時間がほとんどだった。

そんなことで、クルマへの関心はあまりなかったのだが、大学に入って状況は変わった。ほとんどが同学年だったバイク仲間が、それぞれの道へ向かって歩き始め、自然にバイクから離れていった。

そんな矢先、家内と出会った。出会ってすぐ付き合い始めたが、彼女がときどき乗ってきたのがシトロエン2CV!!。アメリカ車辺りなら「ああ、金持ちなんだなぁ!」くらいで済ませられるが、2CVには驚いた。

付き合い始めてすぐ家族に紹介されたが、2CVという、当時としてはとんでもないクルマに乗っていた理由はすぐわかった。彼女の兄がかなりのクルマ好きで、2CVは彼のクルマだったのだ。

僕の兄が選ぶクルマにはあまり惹かれなかったが、彼女の兄が選ぶクルマには強く惹かれた。すぐに意気投合し、一緒にラリーに出たりするようにもなった。
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そんな彼女の兄が2CVの次に選んだのは、シトロエン 11CV ライト!!。映画や雑誌で見たことはあったが、実物を見るのは初めてだったように思う。

11CVライトは、僕が当時憧れていたアメリカ車とは対極的なクルマだったが、カッコいい! と思った。でも、運転してみて驚いた。「トラクションアヴァン」(前輪駆動)のハンドルの重さはハンパではなかった。

後席に乗る家族の評判も散々。故障も多かった。さすがの兄もすぐに匙を投げ、手放すことに。でも、僕にとっては、得難い体験だった。ハンドルの重さにはまいったが、一生記憶に残る得難い体験をさせてもらった。

11CVライトを手放した彼女の兄が次に手に入れたのは1955年辺りのVW ビートル。それもキャンバス製スライディングルーフが付く特別なモデルだった。

キャンバス製だからルーフは大きく開く。このクルマでオープンエア・モータリングを初体験したが、心地よいことこの上ない。オープンモデル好きの原点になったクルマだ。

ビートルは遅かった。兄は僕を信頼してくれて、好きなように運転させてくれた。僕もそれに甘えて楽しませてもらった。ビートルで空いた道路に行くと、いつも全開だった。砂利道を全開で走ってもビクともしなかった。遅いけれどタフさは満点だった。

彼女の家にはもう1台、家族用のクルマがあった。それは、オールズモビル88の4ドアセダン(1956年?)。ボディは明るいブルーと白の2トーンカラーだった。僕が憧れ、夢見ていたカラフルなアメリカ車が、突然、目の前に現れたことになる。
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オールズモビルも運転させてもらった。広くて明るくて華やかなキャビン、エレガントなステアリングホイールとダッシュボード、V8の唸りと力強い加速、優しい乗り心地、、、すべてが夢見心地だった。

10歳の頃、父にネダッて乗せてもらった1940年代のフォードとは別世界。「アメリカンドリーム」という言葉を強く実感できたといえば、その時の僕の気持ちはわかっていただけるだろうか。

アメリカンドリームを実感するという「予期せぬ出来事」はもう一度あった。これももちろん彼女絡みだ。「すごくカッコいいな!」と思っていたフォード・クラウンビクトリアにも乗る機会が、、。

たまたま彼女の家にいた時のこと。オールズモビル88の仲介をしたブローカーが、フォード・クラウンビクトリアに乗ってやって来た。黒のボディをクロームで華やかに彩った2ドアハードトップは、憧れの1台だった。

そう、これも兄が誘ってくれ、乗ることができた。運転はさせてもらえなかったが、助手席体験だけで有頂天だった。

シトロエン2CV、11CV、VWビートル、オールズモビル88、フォード・クラウンビクトリア、、家内との出会いは、はるか彼方にあった憧れの世界を、一夜にして身近なものにしてくれたのだ。

そんな流れの中で、僕もクルマがほしくなっていった。家内と出会う前は、「自分のクルマを持つ」など思いもよらないことだった。だいたい、19歳の学生にそんなお金が用意できるわけもない。
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でも、無性にほしくなり、我慢できなくなった。クルマ天国の中で暮らしている彼女と付き合うのに、「クルマなし」は辛かった。

兄(僕の兄)にストレートに気持ちをぶつけてみた。「社会人になったら絶対に返すから」といってお金の融通を頼んだ。ちなみに、兄は9歳年上。バイクも買ってくれたし、彼女のこともとても気に入ってくれていた。

すぐに「いいよ!」とはならなかったものの、「ダメ」とも言われなかった。だから、僕は都合のいい方に解釈。さっそくクルマ探しを始めた。もちろん中古車だが、どうしても「外車」が欲しかった。でも、外車は高い。

そこで考えたのが「国産外車」。当時は、日産がオースチン・A50を、いすゞがヒルマン・ミンクスを、日野がルノー・4CVをノックダウン生産していた。僕はオースチンかヒルマンが欲しかったのだが中古でも高い。なので、ルノーに的を絞らざるをえなかった。

安いルノー・4CVを必死に探し回った。で、見つけたのが、目黒通りにあったルノー・デーラー。そこでは「タクシー上がり再生車」なるものを売っていた。

お役御免になったタクシーの消耗部品を交換。そして、塗装の塗り替えと新品のシートカバー、新品のフロアマット等がセットになった「お得価格」が設定されていた。

サンプル車があったが、見た目にはほとんど新車。なのに価格はかなり安かった。そして「お好きなボディカラーをお選びいただけます」が決め手になった。

僕は「チョコレートの濃淡」を選んだ。この選択は大成功! 。「すっごくお洒落ね!」と彼女も大喜び。街でもけっこう視線を集めた。赤坂や銀座でも、、。

こうして僕は、1950年代最後の年、、10代最後の年に愛車を手に入れた。そして、ここから、僕の自動車人生は始まった。楽しくハッピーな自動車人生が、、。次回は、この続編として「1960年代に出会ったクルマたち」を書こうと思っている。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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