2019.04.21
ゼロヨン日米対決! フェアレディSR311でたたき出したタイムは?
ゼロヨン加速がクルマの性能の指標とされていた70年代。筆者のもとに飛び込んできた日米ゼロヨンバトルの依頼。そこで岡崎宏司氏がたたき出したタイムとは?
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第92回
R&T誌とのSS ¼ マイル競争でブッチギリ!
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とくに70年代辺りまでは、ユーザーのゼロヨンへの注目度は高く、メーカーも意識して競い、アピールしていた。
そんな環境の中、メーカー立ち会いの下でゼロヨンにチャレンジするようなこともけっこうあった。
中でもいちばん記憶に残っているのは、1967年の日産シルビアでのトライ。このトライについては前にも話したが、日産のカタログ値である17.4秒を16.7秒へと大幅に短縮した。
このタイム短縮に関して、日産で「社内号外が出た」と聞いて驚いたことを覚えている。
その翌年だったか、LAに行ったとき、ニューポートビーチにあるR&T (ROAD & TRUCK ) 誌を訪ねた。同誌のアートディレクターを知っていたので、コーヒーでも一杯付き合ってもらおうといった軽い気持ちで訪ねた。
ところが、そこで予期しないことが起きた。アートディレクターと共に編集長が笑顔で迎えてくれたのだ。「なにかあるな」と、直感的に思った。ちょっとビビッた。
英語力がカタコトレベルの僕としては、かなり「やばい状況」だ。あせった。
でも、話しを聞いてホッとした。楽勝で引き受けられる頼み事だった。
「これからテストコースに行ってSS1/4マイル計測を行うのだが、日本のメーカーからあなたのことは聞いている。ついては、テストに加わってほしい」とのことだった。
これならカタコトレベルでもなんら問題ない。
僕はすぐ「イエス!」と答えた。
テストコースには3台のアメリカ車とフェアレディSR311が用意されていた。アメリカ車は3台ともAT。SR311はもちろんMTだ。
ATのアメリカ車はあまり興味はなかったし、気合いも入らなかったが、とりあえず乗った。タイムはR&Tのテスターとほとんど横並びだったが、納得だ。
しかし、SR311=DATSUN2000で負けるわけにはゆかない。できればしっかり差をつけて勝ちたい。気合いが入った。
2回トライしたが、2回とも決まった。記憶が正確かどうか自信は持てないが、確か15秒フラットと15.1秒だったように思う。当時のカタログ誌に乗っている公式タイムは15.4秒。それは完全にクリアした。
R&T誌テスターのタイムは、、数値としては覚えていないが、カタログ値を下回ったことは覚えている。テスト終了後、僕のところに来た編集長が、「われわれはもっとMTを練習しないとだめだねー」と、けっこう気落ちしていたことを思いだす。
と同時に、「あなたのお陰で、DATSUN 2000の実力の高さを読者に報告できる」と喜んでもいた。これは嬉しい反応だった。
旧東ドイツの軍施設だった飛行場を借り切って行われたクローズドコースセッション。その中に、ジャーナリストが「0~250~0 k m/h 」を競うというプログラムが用意されていた。
ゼロ発進してフル加速。250k m/h に達するだろう地点に設置されたサインポストを通過した瞬間からフルブレーキングして停止する。
250k m/h 地点には速度計測器が設置され到達速度を記録する。
つまり、250k m/h ポスト地点での最高速度と、最高速度から停止するまでのタイムが計測され、順位がつけられるということ。
デュアルクラッチ式オートマチック トランスミッション(ポルシェPDK)、、今では多くが採用しているが、市販車に搭載されたのは、この時試乗したポルシェ911が世界初だ。
「0~250~0」は、PDKの優れた性能(変速の速さと滑らかさ)と高度な制御をアピール。同時に、911との相性をも理解してもらおうという試みだったのだろう。
「ローンチコントロール」を使ってスタートするのだが、あらかじめの回転の上げ方とブレーキを離すタイミングがダッシュのカギを握る。この辺りは僕の得意とするところだ。
僕の感覚では「ダッシュは決まった!」と思った。250k m/h ポストからのブレーキングのタイミングもピッタリだと感じられた。
250k m/h からのフルブレーキングは初めての経験。それもAペダルを全開で踏み込んでいた右足を、可能な限り速くBペダルに移してのフルブレーキング。だから「電光石火!?」のペダルワークが求められる。
アタックの結果だが、250k m/h ポストで記録した僕の速度は259.8k m/h 。最速だった。
「エキサイティングだね、この記録は!!」と、ポルシェのスタッフに肩を叩かれた。
メモが残っていないのは残念だが、そこから完全停止までのタイムも最短だった。つまり、加速でも減速でもベストだったということ。
全員のトライが終わって記録がまとめられ、「チャンピオンはミスター オカザキー!」と呼ばれたときは、けっこう舞い上がった。
チョッピリ自慢したい思い出だ! 笑
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。