2019.05.12
中古車インプレッションが大人気だった80年代の老舗自動車雑誌
新車はもちろん、レーシングカーからラリーカーまで試乗をこなしていた筆者のもとにきた新しい依頼。それは日本で初の中古車インプレッションだった。その結果、年間の試乗台数はとんでもないことに!
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第94回
年間試乗台数が400台を超えた!!

加えて、ラリーカーやレーシングカーにも乗った。少なくとも、日本メーカーが手がけた箱型系なら、ほぼすべて乗った。
いちばん多く乗っていたのは、60年代後半から80年代後半頃だったと思う。日本の自動車産業が、モータリゼーションが、右肩上がりで上昇を続けていた時期と一致する。
僕は27才頃にフリーランスになったが、仕事に困ることは一度もなかった。逆にどうやって仕事を調整するかに苦慮する状況だった。
専門誌はもちろん、一般誌、週刊誌、新聞、ラジオ、、あらゆるカテゴリーから仕事が舞い込んだ。
初めの頃は、自動車年鑑の写真のキャプションからデータ原稿的なものまで、依頼があるものはほぼすべて受けていた。だから、毎月書く原稿はそうとうな量になった。
400字詰め換算で400〜500枚は当たり前。1000枚を超えたことも何度かあったと記憶している。もちろん手書きだ。
今、思い返すと信じ難いことだが、若いエネルギーは、それをさほど苦にもせずこなしていたことになる。自分のことながら驚く。
モーターファンでは、一般的な試乗記はもちろん、その他諸々の記事にも関わった。当時の自動車研究の屋台骨を担う、各大学の先生方が加わっていらした「モーターファン・ロードテスト」の末席にも加えていただいた。
そんなモーターファンから、ある時、ビックリするような仕事の打診があった。「中古車の試乗をして頂けますか?」との打診だ。
当時の自動車専門誌にとって、中古車業界が出稿する広告は大きな収入源だったし、読者にとっても中古車ページは必ず目を通すページだった。
が、中古車を試乗し、その印象を記事化するといった試みは初めてのことであり、正直戸惑った。
実はこの話、中古車業界の人から、冗談半分といった感じで持ち込まれたものだったらしく、編集部も戸惑っていた。
でも、戸惑いつつ、僕はやってみたいと思った。というのも、いろいろな条件下で使われたクルマが、どのように変化/劣化するのだろうかというところに興味があったからだ。
引き受ける条件としてお願いしたのは「コンディションをストレートに記事化できるならば」ということ。つまり、読者を惑わすような提灯記事にはしないということだった。
申込数は非常に多かったが、できるだけしっかりした記事にしようということで、確か、1号での扱いは20〜25台辺りをマックスにした。
編集部的には当然、できるだけ人気のあるクルマ、希少なクルマをピックアップしたいと考えるわけだが、それは僕も同じだし、出品側もまた同じだった。
その結果、読者側からみても、けっこう面白いページ、参考になるページができた。結果、スタートから人気は上々だった。
で、20〜25台ものクルマを、いったいどうやって集め、どうやって試乗したのかという
と、、これは大変だった。
編集部も僕も日数を費やしたくないので、基本的に、取材は1日で終わらせることにした。
東名/首都高の東京IC近くに、大きな無料駐車場があり、しかも平日はほとんどガラ空き状態だったので、そこに試乗車を集めた。
編集部は総出。早朝から夕方まで、東京周辺の試乗車をピックアップし、駐車場に持ち込んだ。1人で引き取りと返却を1日に数台こなさなければならなかった。
超高級車や希少車の場合は、僕が直接、店に出向くことも多かった。関西なども店を絞って、同じようにしてカバーした。
東京IC近くの駐車場に集めたクルマのチェックには、1台に20〜30分程度しか時間を割けないので、ただただ集中するしかなかった。
初めはほんとうにきつかったが、回を重ねる毎に要領をつかみ、短時間でもポイントを抑えることができるようになった。ブランドや車種によって、共通する長所や弱点がみえてくるようにもなった。面白かったし、非常に勉強にもなった。
この「中古車試乗」は人気連載になったが、残念ながら、あまりに労力がかかるので長期間続けるのは無理だった。
、、で、「年間試乗台数が400台を超えた!!」というタイトルの意味だが、もうおわかりになっただろう。そう、この中古車試乗で乗る台数だけで年間300台前後になる。
それに、通常の試乗が毎月5〜10台。さらに、レーシングカー/ラリーカー、日本メーカーのテスト車両、インポーターの日本向け仕様車のチューニング車両等々を加えると、楽に100台は超える。
それらを足すと「年間試乗台数は400台を超えた!!」ということになるわけだが、われながら、よくもまあこれほど、、と思う。
ちなみに1978年秋、シティ出版が「カー・アンド・ドライバー」誌を出版してからは、その準専属ライターになり、以来、専門誌での執筆は同誌が中心になっている。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。