2019.06.23
ポルシェ356が最高だった理由とは?
ポルシェ356といえば、クラシックポルシェ好きのなかでも特別な存在だろう。その最終型はいったいなにが素晴らしかったのか? 当時、リアルタイムで体験した著者がその思い出を書く
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第100回
最後のポルシェ356がわが家へ
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僕は誕生日を迎えてすぐ、東京の鮫洲運転試験場で試験を受け、一発合格。だから、運転歴はすでに63年になる。
最初に運転したのは、確か50年代のダットサンだったが、「超遅かった!」。
トラックの上屋を乗用車に変えただけだから、乗り心地も悪いし、音も煩い。
当時の純日本車では、55年にデビューしたクラウンが、唯一、乗用車らしい乗用車だった。
ポルシェ356Aはそんな時代に生まれたわけだが、、僕は、確か18か19才の時356 A 1600スーパーに乗っている。兄の友人のクルマだが、助手席に乗せてもらった。
でも、横に乗せてもらって認識は一変。すでに、アメリカ車には多く乗っていたので、
パワーや華やかさ、乗り心地や静かさ、、といった点では感じるところは少なかった。
が、しっかりした作り、快感神経をくすぐるような身のこなしには強く惹かれた。もちろん、個性的なルックスにも、、。
その後、ポルシェに触れたのは1962年頃だったと思う。356B/2000GS!。スーパーなモデルだった。これも兄の友人のクルマだが、横に乗せて飛ばしてもくれたし、僕にステアリングを握らせてもくれた。
2ℓ・DOHCのフラット4は130ps/16.5kgmを引き出し、ブレーキも4輪ディスク。これは最高だった。僕はクルマには恵まれた環境にあったが、これほど強い刺激を受けたクルマも、心を熱くさせられたクルマもなかった。
356の最終モデルになった356Cのデビューは1963年。同年のフランクフルト・モーターショーには901が出展され、356の時代が終わることを告げていた。
でも、356Cは最終モデルに相応しく、細部まで磨き上げられていた。僕の目には新型901より356Cの方がずっと魅力的に見えた。
兄も同じだったようで、突然356Cのオーダーを決めた。1964年モデルのSCで、この年から選べるようになった12Vシステムとサンルーフをオーダーした。
兄からその話しを聞いたときは、たぶん「ヤッター!!」と叫んだはず。声を出して叫んだか、心の中で叫んだかは覚えていないが、、有頂天になったのは間違いない。
356SCは想像していた、期待していた通りのクルマだった。
まずは「造り」が素晴らしかった。美しい曲面の連続であり、上質な塗装がそれを強調していた。
「ポルシェのお尻はセクシー」と、多くの人が口を揃えるが、僕もそのひとり。とくに356のお尻はほんとうにセクシーだと思う。
見てもセクシーだが、触るとさらにその思いは強くなる。
356のオーナーは自らの手で洗車する人が多いと聞くが、頷ける。美しい曲面は触れても心地よい。とくにお尻の盛り上がり(リアフェンダー)を掌で撫でるように触れるときの感触は素晴らしい。
自分のクルマ(当時はMGAからMGBへと乗り継いだ)の洗車やワックス掛けは、あまりマメにはやらなかったが、兄の356は暇さえあれば、洗車にもワックス掛けにも付き合った。
ボディがしっかりしている、、つまり剛性が高いということだが、当時としてはずば抜けていたという記憶がある。
1960年代から現在に至るまで、356Bや356Cに乗る機会は何度かあったが、長い年月が経過しても「高い剛性」が色褪せることはない。
これはほんとうにすごいことだ。
ポルシェの走りのいちばんの魅力は、昔も今も「RR方式がもたらす独特のトラクション感」。
アクセルを踏むとリアが沈んで一瞬のタメを作り、荷重の乗った後輪がクルマをグッと押し出す、、この感じが僕はたまらなく好きだし、多くのポルシェ・ファンも同じだろう。
10年ほど前、356 Bをかなり自由に走らせる機会に恵まれたが、与えられた2時間ほどの間、僕は356B とともに素晴らしくハッピーな時を過ごした。
クラシックカーを側に置き、寸暇を惜しんで細やかな愛情を注ぐ、、残念なことに、僕にはそうしたことはできそうもない。
やってみたいと思うことが心の隅を過ぎることもあるし、そうした人たちを羨ましく思い、尊敬してもいるのだが、、。
でも、もしか、そうした心が芽生えたら、僕はポルシェ 356 Cをその対象に選ぶだろう。
そして、美しくもセクシーなヒップラインを念入りに磨き上げることに精を込めるだろう。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。