2019.11.10
知れば知るほど欲しくなるMINIの魔力
1959年に誕生したMINI。日本でも気にブレイクし、筆者が2台を一度に買うまでに踏み切った、MINIとの想い出とは?
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第119回
ミニの想い出
でも、、驚きはしたものの、それ以上の感情は湧いてこなかった。「カッコいい!」とも、「ほしい!」とも思わなかった。
そんな感情を徐々に変えていったのは、英国から送られてくるミニ関連ニュース。
ファッション・アイテムとして、知的アイテムとして、有名人やお金持ちに続々とミニファンが増えているといったニュースだ。
「ロールスロイス・オーナーのセカンドカーはミニ」という雑誌の特集も衝撃だった。
中でも、ズシンときたのは、エリザベス女王とビートルズのポール・マッカートニーがミニのオーナーになったこと。心穏やかではいられなかった。
そして、さらにミニはすごいことをやってのけた。1964、1965年、1967年のモンテカルロ・ラリーを制覇したのだ。
僕ももちろん好きだったし、ほしかった。でも、ずっと憧れていたMGAをやっと手に入れ、次はMGBへステップアップを狙う、、そんなタイミングと重なったので、それほど心を痛めることなくあきらめることができた。
ところが、兄が「買う!」と言い出した。しかも、ポルシェ356Cを手放して、、。
浮気性を認める僕もこれには驚いたし反対もした。でも、「どうしても買う!」と。
ま、今でこそ、「356Cを手放してまでどうして!?」ということになるが、当時は「3年乗ったからいいよ、、」みたいな感じはあったのかもしれない。
兄がオーダーした1275 クーパーS はルーフが白、ボディが赤の2トーン。モンテカルロの王者が纏ったカラーリング。当然だろう。
、、、クーパーSはヤンチャだった! それもハンパじゃない。FWDと10インチ・タイヤ、そしてハイパワーのコンビネーションを考えれば当然のことと納得はできるが、、。
発進で下手にアクセルを踏み込むと、前輪は簡単に悲鳴をあげ、空転し、暴れる。
コーナーでも下手に踏めば強烈なアンダーに見舞われ、そこでうかつにアクセルを戻すとリア内輪が浮き上がる。サーキット・レベルの激しい攻めになると転倒もある。
1965年にスタートした船橋サーキットはタイトでトリッキーなコースレイアウトだったが、ここではクーパーSの3輪走行がよく見られたし、転倒も見られた。
スリリングではあったが、上手く操れば速く走れる。運転しがいのあるクルマだった。
僕はクーパーS以前に、スバル360やホンダ N360での3輪走行経験がけっこうあったので、「ケンケン走り?」の勘どころは掴んでいた。
その頃のわが家はクルマ好きの集合場所的になっていて、連日連夜、兄や僕の走り仲間が集まっていた。その中に兄を含めて3人の1275クーパーS・オーナーがいた。
3人とも発売直後に買った人たち。内2人、つまり兄以外はレースに出て、一人は船橋で派手な転倒劇を演じた。そんなこともあって、しばらく、わが家はクーパーSの話しで盛り上がりっぱなしだった。
初代(BMCミニ)は2000年まで生産されたが、日本ではモデル晩年まで、人気が大きく落ちることはなく、主要市場であり続けた。
初代のモチーフをしっかり受け継ぎながら、BMWグループの「プレミアム・スモール」として生まれ変わった2代目(BMWミニ)も魅力たっぷり。見事な変身だった。
「プレミアム」化への強い意識は、クルマ造りだけでなく、市場とのコミュニケーション手法にもはっきり示された。
BMWミニは世界の市場から大きな拍手で迎えられた。BMWが手がけることは、安心感とプレミアム・イメージのかさ上げにつながり、短期間にプレミアム・スモールの地位を確実なものにした。
初代ミニはほとんど見かけなかったアメリカでも、2代目ミニはあっという間に目立つようになった。とくに、LAのお洒落なエリアあたりでは、しかるべき人たちのファッション・アイテムとして受け容れられたことはすぐわかった。
僕はむろんミニが大好き、、でも、自分のものにしたのは遅かった。2014年、クーパー・ベイズウォーターとクーパーS・ハイゲート・コンバーチブルを買ったのが初めて。
当時はBMW・3シリーズ・クーペに乗っていたが、なんとなく6シリーズ・クーペが気になっていた。僕は、基本的に大きなサイズのクルマは好きではない。でも、6シリーズのルックスは気になって仕方がなかった。
で、ある日、BMWデーラーに6クーペを見に出かけ、大いに心は揺れ動いたのだが、、帰りがけ、併設するミニのショールームに寄ったのが思わぬ事態を招いた。
これもなんとなく気になっていたデザインモデルの「クーパー・ベイズウォーター」と「クーパーS・ハイゲート・コンバーチブル」が並べて展示されていたのだ。
もうモデル末期だったが、「カッコいいものはいい!」で、一瞬の後に、家内共々「いいね!!!」状態になってしまった。どちらか1台だけの展示なら、あまり強くは響かなかったと思う、、が、2台を一緒に見たことで「ズシーン!!」ときた。
6クーペはきれいに頭から消えて、2台のデザイン・ミニのコンビネーションに取り憑かれてしまった。6クーペの姿は家内も大好きだったが、サイズが大きいことに引っ掛かっていた。でも、ミニなら「大ウェルカム!!」
といったことで、その場で「これ下さい」になってしまった。2台を一度に買ったのは初めてだったが、躊躇は一切なかった。もう、嬉しくてしょうがなかった。帰りは二人ともルンルンだったのはいうまでもない。
2台のミニとの生活は、想像した通り楽しかった。ガレージに2台が並んでいるのを見る度に、「いいなぁ!!」と悦に入っていた。
その後、「長距離はちょっときついよね」となり、アウディ・Q3クアトロを買い足したが、この3台のコンビネーションも絶妙だった。
最新のミニは乗り味も走り味もグンとよくなっている。が、サイズが「僕のミニ観」にはちょっと馴染まない。「スモール・プレミアム」と呼ぶのにもやや抵抗を感じている。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。
溝呂木先生の個展が開催されます
溝呂木陽水彩展2019 「Viva MODENA!」
2019年11月8日(金)〜11月13日(水)
12時〜19時 入場無料
ペーターズショップ&ギャラリー http://www.paters.co.jp/
去年の10月の個展の翌日、僕はモデナにいました。イタリアモデナのエンツォフェラーリミュージアムで水彩画を飾り、ヴィンテージフェラーリの横での毎晩のディナー、フェラーリやマセラティ、ランボルギーニのミュージアムをめぐる夢のような日々。そこで出会った光景や友人たちから送ってもらった写真を一つ一つ水彩画にしていきました。
模型や画集販売、水彩画オーダーもあります。皆様のお越しをお待ちしております。 溝呂木陽