2024.02.11
いろいろ乗ってきた世界のタクシー。でもやっぱりNYのイエローキャブは格別!
半世紀以上に亘って欧米のさまざまな国でタクシーに乗ってきた筆者。なかでも最も強い印象に残っているのはNYを走るフルサイズのイエローキャブだという。ロンドン、パリ、イタリア、ドイツ……各所で乗ったタクシーの思い出とともに振り返ります。
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第226回
タクシー、思い出のあれこれ
初めてNYとロンドンを訪れたのは1964年。60年前のことだが、毒々しいほどに目立つ、黄色く巨大なNYのイエローキャブ、そして、黒でクラシックな佇まいのロンドンタクシーには、強いインパクトを受けた。
両車の姿佇まいは対照的。だが、ともに、世界に冠たる大都市の主人公であるかのような存在感とオーラを放っていた。
NYに行く前にLAでひと月ほどを過ごしたのだが、LAは、ほとんどの人が自らのクルマを自らが運転して移動する街。公共交通は、たまにくるバスくらい。だから、自分で運転しないと身動きが取れない。
タクシーも流しはほとんどない。なので、LAの友人からは、「飛行機を降りたらすぐレンタカーをピックアップしろ。そうしないとなにもできないぞ」とアドバイスされていた。
そこで、空港を出てすぐ飛び込んだのが「ハーツ レンタカー」。そして、憧れのマスタングをレンタルした。
以来、アメリカには、、とくにLAを中心にしたカリフォルニアには頻繁に行った。だが、タクシーを使ったのは一度だけ。
サンタモニカのホテルからステープルズセンターには、自分のクルマで行こうと思っていた。で、念の為に「駐車は難しくない?」とホテルのコンシェルジュに聞いたら、即座に「大混雑するから止めた方がいい」と。
そこで、タクシーを呼んでもらった。帰路も乗り場を決めて迎えにきてもらった。これが、LAでの唯一のタクシー歴ということになる。だが、その時の記憶はほとんどない。
どんなクルマだったのか、ドライバーはどんな感じだったのか、、まったく記憶にない。それだけ、LAのタクシーは、印象が希薄だったということなのだろう。
そんなことなので、LAのタクシーが、街の表情になにがしかの影響をもたらしていることもまったくない。
ところが、NYに移ると状況は一変。1964年はタクシー専用のチェッカーキャブがほとんどだったと思うが、、やたらに目立つ黄色の大型セダンがマンハッタンの繁華街を埋め尽くす様は、今も鮮明に思い出す。
NYのイエローキャブは、映画や雑誌などでよく見ていたこともあって、なんとなく親近感を感じていたし、「NYに来たんだ!!」という実感をも強く持たせてくれた。
60年前のLAのクルマは、おっとり整然と流れていた。が、NYは真逆。LAではほとんど聞かれなかったクラクションが鳴り響き、クルマはわれ先へとノーズを突っ込んでいく。なかでもイエローキャブにそれは目立った。
1964年当時は、上記の通りチェッカーキャブがほとんどを占めていたが、80~90年代にはシボレー カプリスに、そして90年代からはフォード クラウンビクトリアに変わった。
思い出としてはチェッカーキャブがいちばん印象深いが、雰囲気としていちばん好きだったのはクラウンビクトリア。
いずれにしても、アメリカンフルサイズのイエローキャブは、世界一エネルギッシュな街によく似合った。摩天楼と並んで、NYの象徴だったと言っていい。
そして、2000年代後半からは、コンパクトで燃費のいいクルマに変わっていく。もちろん、ボディカラーは「イエロー」を受け継ぐが、プリウスやカムリを筆頭にした燃費のいいハイブリッド車が目立ようになった。
大好きだったクラウンビクトリアに乗れなくなったのは残念だが、世の流れには寄り添わなければならない。仕方がないことだ。
でも、僕は、チェッカーキャブからクラウンビクトリアまで、40年ほどの長きに亘って、「クラシック イエローキャブ」を楽しみ、その時代のNYのエネルギッシュな表情を楽しんだ。ハッピーな経験をしたと思う。
ロンドンタクシー(ブラックキャブ)についての思い出は、過去にも何度か書いたが、「ロンドンタクシーなくしてロンドンにあらず」と言えるほど、存在感は強烈だ。
タクシー専用車であるブラックキャブは、乗り降りしやすいし、キャビンも快適。加えて、ドライバーがいい。運転も丁寧だし、乗客への対応も丁寧。道をよく知っていることでも世界一だろう。
ライセンスをとるためには、かなり厳しい手順を踏まなければならないようだが、よくわかる。それゆえにロンドンタクシーのドライバーは「プライドを持っている」とも聞く。
海外旅行が自由化された直後、父と母がロンドンに行った時のことだが、、帰ってくるなり、母が「ロンドンのタクシーのクルマがほしいから手配して!」と、、。
当時のわが家のクルマはW128型メルセデス 220Sだったのに、、。まぁ、色くらいしかクルマの区別がつかない母親としては、ロンドンタクシーの広いキャビンと乗り降りのしやすさにコロリといってしまったのだろう。
それはわかるのだが、母親以外はみな「絶対反対」。でも聞かない母、、。そこで、「あれはロンドンのタクシー専用車だから日本では買えないクルマなんだよ」と、なんとか言いくるめて危機を乗り切った。
イタリアのタクシーは白。もちろんコンパクトが中心だが、車種は雑多。かつてはイタリア車がほとんどを占めていたが、最近は外国産も多い。なかでも目立つのは2代目以降のトヨタ プリウス。
際立った燃費が認められたのだろう。2000年代半ば頃から俄然目立つようになった。ミラノは好きでよく行ったが、ファッショナブルな街にもよく溶け込んでいた。
とはいえ、僕としては、イタリアでは、やはりイタリア車に乗りたい。なので、トヨタ車はやり過ごす。
ところで、過去現在を通して、いちばん楽しかったイタリア車のタクシーはといえば、僕はフィアット ムルティプラ(2000年代初期頃?)を挙げる。
ムルティプラは3列シートが前後にある6人乗り。ドライバーシートは前席中央だ。
ほとんどの客は当然後席に乗るのだが、僕は前席に乗った。「後ろに乗って」といわれることもあったが、お願いして前席に乗った。
で、家内と左右に乗ってワーワー言っていたりすると、渋い顔になるドライバーもいたが、ニコニコ顔になる方が多かった。とにかく楽しかった。
パリは当然のことながらルノーとプジョーが多い。だが、VWにもよく出会うし、日本のエースたるプリウスもよく見る。
パリのタクシーには特にこれといった思い出はない。たぶん、昔から、便利な地下鉄で動き回っていたからだろう。
でも、、シトロエン2CVやDSが走っていた時代のイメージは覚えている。その頃は特に乗りたいとも思わなかったが、今になって乗らなかったことを後悔している。
日本のタクシーは、昔から、個性のなさ情緒のなさでは一級品。だが、首都圏を中心に増えてきているタクシー専用車「JPN TAXI」は、そんな景色を変え始めている。
もし、「もう一度乗りたいタクシーは?」と問われれば、「1990年代以前のNYのイエローキャブ」と答えるだろう。でも、フィアット ムルティプラでミラノを駆け回るのもいいし、旧いロンドンタクシーにも乗りたい。
パリで、シトロエン DSのハイヤーが観光客向けにあるとの話を聞くが、機会があれば乗ってみたいものだ。
ちなみに、かつてのドイツでは、メルセデス ベンツ Eクラスのタクシーが圧倒的に多かった。その理由は、丈夫で安いタクシー専用車を造っていたことと、アフターサービスもよかったからとされる。
当時のメルセデスタクシーのオドメーターを見ると数十万kmはザラ。「エンジンは3回換えたけど、ボディは100万kmを超えているよ」とドライバーから聞いたこともある。
タクシーの思い出あれこれを綴ってきたが、いちばん強く印象に残るのは、やはり「NYとフルサイズのイエローキャブ」。アメリカが最強だった時代のシンボルのようなエネルギッシュなあれこれは、今も強く脳裏に焼きついている。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。