2024.05.05
もしあの時、W113型SLを買っていれば……。憧れに終わってしまったメルセデスへの想い
時機を逸してしまうと二度と巡り会えないのは人もクルマも一緒。MB(メルセデス ベンツ) SLK230コンプレッサーの国際試乗会に参加した筆者は、ずっと憧れだったW113型SLと迷ったあげく、SLK230を手に入れたのだが……。
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第232回
MB SLKと2代目SL、、どっちにする!?
SLKのいちばんのウリは、スイッチ一つの操作でHT (ハードトップ)が電動開閉することだが、僕もここに惹かれた。
基本的にはソフトトップの方が好きなのだが、例によって「新し物好き癖」がメラメラと燃え上がり、電動開閉HTが気になって仕方がない。
で、試乗会で実際に体験して、ますます強く惹かれることに。クーペの快適性とオープンの爽快さを「スイッチの操作ひとつで」楽しめたからだ。
当時のわが家には、アルファ155とアウディ 80アバントがあったので、3台目が2シーターオープンというコンビネーションもいい。
ところで、電動開閉式HTの歴史は1934年のプジョー401Dから始まる。しかし、一般に広く知られるようになったのは、1957年の「フォード フェアレーン500 スカイライナー」が初めて。
僕もこのフォードが初体験だった。明るい2トーンカラーと伸びやかなシルエットは、クローズドでもオープンでもカッコよかった。まさに「華やか!」そのものだった。
人前で大きなHTを自動開閉する時の「どうだ!!」感も半端ではなかった。だから、このクルマをデーラーから借りた日の夜、僕はすぐ、赤坂TBS前の「自慢グルマの溜まり場」に向かった。
当時の僕の愛車はMGAだったが、まぁ、かろうじて末席に加えてもらうことができた。
そんな場所でも、フェアレーン500 スカイライナーは目立った。クローズド状態でも目立ったが、オープンだとさらに。
そして、HTを開閉させると、溜まり場の人たちはもちろん、TBS前を通る人たちも、ほとんど立ち止まって目を向けた。
スター的存在のクルマが集まる溜まり場でも、巨大なHTを電動開閉するフェアレーン500 スカイライナーは、文句なしのスーパースターだった。1960~61年頃のことだ。
話はMB SLK230 コンプレッサーへ戻る。
上記のように、歴史を辿れば、電動開閉式HT、必ずしも新しいものとは言えない。だが、プジョーからは60年ほど、フォードからは40年ほどの月日が経っている。
加えて、、コンプレッサー、、機械式過給機もまた古くからの技術だが、それをMBが復活させたことにも惹かれるものがあった。
効率がどうのこうのといった現実的なことよりも、「コンプレッサー」という言葉の響に心惹かれるものを感じた。
コンプレッサーを搭載した数々の名車の姿が浮かんだりもした。コンプレッサー搭載車を所有したことがあるという「履歴書⁉」もほしかったのかもしれない。
そして最後は、SLKがコンパクトであることが決定打に。コンパクト派の僕と家内にとって「申し分ないサイズ!」だったのだ。
といったことで、SLKはわが家のガレージに収まることになったのだが、最後まで悩んだことがある。
それは、SLKを買った時、もう1台ほしいクルマがあったからだ。いや、SLKを買った時よりもずっと前からほしかったといった方が正しい。
そのクルマは、MB 2代目SL (W113型 / 1963~1971年)。エレガントでスポーティなSL250には、長い間、憧れに近い想いを抱いていた。
とくに、ルーフ中央部を凹ませた独特なデザインのHT、、パゴダルーフを組み合わせたモデルが好きだった。重くて手間のかかる手動着脱式HTだが、カッコいいから問題なし。
サイズは4.54×1.83×1.32m。コンパクト派を自認するわが家の基準を超えてはいるものの、取り回しもいいし、運転もしやすいので、なんとか許容範囲に入る。
試しに家内に運転させてみたのだが、「いいわよ、これなら」と一発合格だった。
僕が狙っていたのは250SLだが、性能も必要にして十分。、、いや、十分というよりも、「250SLはかなり走る!」といった方がより正確な評価だと思う。
日常的には、穏やかでリラックスしたドライブが楽しめる。だが、もしも、腕利きが「その気になって」鞭を当てたら、その戦闘力は半端なものではないことはすぐわかった。
今は1500~2000万円といった高価格だが、30年前は当然、ずっと買い易かった。
SLK国際試乗会の時、僕はメルセデス本社の「クラシック通」の人に、「250SLのあれこれ」を詳しく聞こうと思っていた。
そして聞いたのだが、日常的に使うにしても問題はないし、メインテナンス面でも心配はないということだった。
「さすが目の付けどころが違う」とか、「岡崎さんにとても似合う」とか、いろいろ持ち上げられて舞い上がり気味になり、「ほしい!」という気持ちはさらに強くなった。
「岡崎さん、250SLは素敵です。でもですね、、SLKを開発した私としては、岡崎さんにはまずSLKに乗っていただきたい。SLは先に送って、SLKを旬の内に乗っていただきたいんです!」と熱い言葉が、、。
すると、周りも「そうだなぁ、SLは先に送ってもなんの問題もないし、、旬のSLKに乗って、東京で目立ってほしいですね!」と、風向きは一変。
で、芯の弱い僕はそんな風向きの変化に釣られて心が揺らぎ、、その場で、日本の広報担当者に、SLK初入荷の1台を確保してほしい旨をお願いすることになってしまった。
最新モデルのSLKと、クラシック化しつつあったW113 型SLのどちらを選ぶか、、ということ自体が、「まともではないね」といわれても仕方がない。
メルセデスの人たちは「SLを先送りにすればいい」と口を揃えていた。その時は「そうだよな!」と思った。
だが、気持ちが強く盛り上がったタイミングを逸すると、容易に元には戻らない。結局、憧れのSLは憧れだけに終わってしまった。
今でも、W113 型SLは大好きだ。美しくエレガントな姿には惹かれ続けている。街で出会ったり、いい感じの写真を見たりすると、むず痒いような気持ちになる。
世界中で出会った、W113型SLのある素敵なシーンの数々が脳裏に浮かんでくる。
今からSLを買うことはもうないが、SLへの憧れや想いが、僕の心の中から消えることはないだろう。
この原稿を書いているときも、SLの写真あれこれに眼を奪われて、かなりの時間をロスしてしまった。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。