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2024.06.02

僕の青春時代、アメリカ車はまさに「ドリームカー」だった!

戦後すぐ、都内に住んでいた少年時代の筆者は道行くアメリカ車に心を奪われ、以来、「ドリームカー」と崇めることに。そんな筆者が初めて自分のものにしたアメリカ車はなんと当時の映画スターが所有する車だったのです。

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第234回

50's~60's、、黄金期のアメリカ車!

イラスト 溝呂木 陽 50's~60's、、黄金期のアメリカ車!
第二次大戦が終わった1945年、僕は5歳。いろいろなことがなんとなくわかり始めた年頃だったが、いい思い出はほとんどない。

父親が満州鉄道の仕事をしていた関係で大連に家があり、東京小石川の家と行き来しながらの生活だったが、終戦時は大連にいた。

8月に終戦を迎え、日本に帰国できたのは翌1946年1月。だから、帰国は早かった方だったのだろう。、、でも、帰国時の悲惨なあれこれは、幼心にも強く焼き付いている。

小石川(文京区)の家は空襲で完全に焼かれ、財産もほとんど失った。でも、都営住宅の抽選に当たったのは幸いだった。
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都営住宅は足立区にあり、国道4号線に面していた。遊ぶところも、遊ぶものもなにもなかった。そんな状況で、国道4号線を走るクルマを見るのは大きな楽しみだった。

トラック、バス、オート3輪は元より、馬車、牛車、大八車、、、今はもう博物館でしか見られないあれこれが、終戦後の人々の生活を支えていた。

そうした中で、アメリカを中心にした戦勝国関係の乗用車がときたま通り過ぎたが、当然目を奪われた。

初めのうちは、形も色も地味なクルマがほとんど。終戦直後でもあり、公用車が多かったからだろう。しかし、時が経つにつれて、形も色も華やかなクルマが増えていった。

とくに1950年代に入る頃からのアメリカ車は急速に華やかさと贅沢さを増していった。

大きくカラフルで、クロームメッキを多用したモデルが競うように増えていった。コンバーチブルやハードトップも次々ラインナップに加わり、エンジンの大排気量化も加速。
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父や兄がたまに買う雑誌等にそんなモデルの写真が載っていると、僕は頼み込んでそのページを切り取らせてもらった。もちろん、僕の机の前に飾るためだ。

アメリカ車はまさに「ドリームカー」的存在だった。触れる機会はなかったが、ある時から見る機会は急に増えた。1953年、青山学院中等部に入り、日々、渋谷~青山界隈をうろつくことになったからだ。

とくに渋谷には、ワシントンハイツ(アメリカ軍の兵舎/家族用居住宿舎)があったので、アメリカ車に出会う機会は増えた。

とはいえ、アメリカ車は遠い存在のまま。そのステアリングを握るまでには6年もの歳月がかかった。つまり19歳になるまで待たねばならなかったということだ。

19歳、、青山学院高等部を卒業し、大学に進学した年だが、一生を左右する出会いがあった。家内と出会ったのだ。
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前にも書いたが、出会いのきっかけは、家内が大学に乗ってきていたシトロエン 2CV。

クルマで大学に通うこと自体珍しい時代に、シトロエン 2CVというとんでもないクルマに乗ってくるなんて、、僕は声をかけた。

そして、運転席に座らせてもらった。、、すると、「運転してみる? 面白いわよ!」と。
いとも簡単に運転させてくれた。

シトロエン 2CVは「とんでもないクルマ!」だったが、「ほんとうに楽しかった!」。そして、明るくあっけらかんとしている彼女が好きになった。

そんなきっかけで友達になり、特別な人になり、、それから現在に至るまで、楽しくハッピーに過ごしている。

念願のアメリカ車に乗れたのも彼女のおかげだ。彼女の家のクルマが、1953年のビュイック スーパーだったのだ。

当時はまだ、輸入車の新車は買えない時代。で、中古車をブローカーから買ったとのことだが、黒の4ドアで、クロームメッキのフロントグリルがやたら目立った。
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運転はさせてもらえなかったが、彼女の兄が運転する助手席に乗せてもらった。V8の唸りと力感、滑らかな加速とソフトな乗り心地は、今も微かにだが、身体が覚えている。

それから間も無くして、ビュイックは1956年のオールズモビル88に買い替えられた。明るい水色とオフホワイトの2トーンカラーを纏った88は、眩しいほどカッコよかった。

この時には、彼女との結婚も決まっていた。なので、自由に運転もさせてもらえた。こうして僕はついに、憧れのアメリカ車の運転席に「辿り着いた!」のだ。

で、次なる目標は、「好きなアメリカ車を自分自身のものにすること」になるわけだが、その機会は、ある日突然、意外なところからやってきた。

これも以前書いたことがあるが、当時の2枚目トップスター、東宝の宝田明さんの愛車を譲り受けることになったのだ。
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映画スターの愛車ともなれば、当然華やかなクルマになる。宝田さんの愛車は、1957年のデソート ファイアスィープだった。

テールフィインが高く長く伸びた2ドアHTで、ボディカラーはちょっとだけピンクがかった白とピンクの2トーン。ま、これ以上はないよね、、と言えるほどの華やかさだった。

宝田明さんとは弟さんと遊び仲間で、青山のお宅にもよくお邪魔していた。で、ある時、弟さんから「兄貴が話しがあるんだって」と言われてお宅に。

そこで「俺のデソート買わないか。岡崎君に似合うと思うよ!」といきなり切り出されて大慌て。でも、宝田さんが乗っているのを見て、いつも「いいなぁ!!」と思っていただけに、心は大揺れだった。

で、恐る恐る値段を聞いたら、「なんとかなる価格!」。「次に買うクルマの下取り価格だよ」と言われて納得した。もうその気になっていた。
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「家内にだけは相談したいので、、」と、返事を翌日に伸ばしてもらいすぐ帰宅。家内に事の次第を話したら、「1台くらいアメリカ車に乗っておいてもいいんじゃない。きっと楽しい思い出になるわよ!」とあっさり快諾をもらった。

僕が自前で所有したアメリカ車はこの1台だけ。だが、50's~60'sのアメリカ車で「ほしい!」と思ったモデル、憧れたモデルは、当然のことながら他にも多くある。それらを、ざっとピックアップしてみよう。

まずは1955年フォード クラウンビクトリア。軽快なシルエットの2ドアHTボディ、ルーフを巡るクロームのBピラー、これまたクロームの鋭く個性的なボディのサイドライン、、カッコよかった!。

1957年のシボレー シェビー ベルエア 2ドアHT。とくに好きなブルーの1台を、仕事部屋のサイドテーブルの一等地に置いてある。

1959年フォード フェアレーン500 スカイライナー。最近の記事でも書いたが、巨大なHTが電動で開閉するモデル。2トーンカラーと電動HTのもたらす華やかさと存在感は強烈だ。
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1962年フォード サンダーバード スポーツロードスター。低く伸びやかなオープンボディのシルエットはただただ美しく、長大なボディと2シーターの組み合わせという贅沢さに強く惹かれる。赤のボディカラーと黒の内装もいいが、黒のボディと赤の内装の組み合わせの方が、インパクトは強烈かもしれない。

1964年フォード マスタング コンバーチブル。HTもクーペも好きだったが、「どれがいちばん?」と問われたら、やはり「コンバーチブル!」と答える。初めてアメリカに行った年とマスタングのデビューが重なる幸いに恵まれて、LAで1カ月ほどマスタングを乗り回すことができた(もちろんレンタカー)。お小遣いの都合で、いちばん安い6気筒のHTだったが、最高にハッピーだった。

1968年シボレー C3コルベット 。「コークボトルライン」と呼ばれたデザインは、僕の目にはもっとも「アメリカンなスポーツカー!」に見える。7.4ℓ ビッグブロック V8の迫力もたまらなかった。1980年頃、、LAで3日間、自由に乗る機会に恵まれたが、大切な思い出になっている。
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1969年のシボレー カマロZ28。マスタングのライバルとして誕生したカマロの最強モデルだが、ルックスにも走りにもワクワクさせられた。

これら以外にも、50's~60'sで好きなアメリカ車はいろいろある。この時代に心惹かれるモデルが多いのは、きっと「アメリカらしい自由さ奔放さ」がもっとも解き放たれていたからなのではないか。

僕の本棚には多くの自動車写真集が置いてある。数的には欧州車が圧倒的に多い。でも、より多く手に取るのはアメリカ車の方。中でも、50's~60'sのそれがいちばん多い。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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