2020.06.28
初代レクサスLS400が世界に与えた衝撃
なみなみとシャンパンを注がれたグラスが何段も積み重ねられ……。そこは、クラブなんかじゃありません。クルマのボンネットの上なのです。エンジンをかけてもこぼれないどころか、さざ波が立つだけ……。そんなケタはずれの静寂性で世界を驚かせた初代「レクサスLS400」の誕生秘話。
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第137回
初代「レクサスLS400はすごかった!」
僕が自動車ジャーナリストとしての仕事をスタートしたのは1964年。だから、第一次黄金期にピタリとタイミングは合っている。つくづくラッキーだったと思う。
そして、第二次黄金期は1980年代後半。
日産R-32型GT-R、ホンダNSX、レクサスLS400、マツダ・ロードスター、インフィニティQ45 、7代目カローラ、、まさに錚々たる顔ぶれが誕生した。
このうち、ホンダNSXを除くクルマの開発にすべて関われたのだから、どうみても「超ラッキーだった!」というしかない。
R32型GT-Rと7代目カローラへの関わりはすでに書かせていただいたが、今回は「レクサスLS400」との関わりについて書かせていただく。
レクサスLS400の誕生は、世界を震撼させた。
とくに、振動と静粛性、精緻な造り込みは、世界のプレミアム戦線に強烈な衝撃を与えた。
僕は主に、東富士と北海道士別試験場での開発作業に参加したが、とくに最終仕上げ段階で、全長10kmの周回路(1987年完成)をもつ士別が使えたのは大きなプラスになった。
LS400は、日常領域からアウトバーン領域まで、超一級の静粛性と快適性、かつ高い安心感と優れた燃費の達成を目標にしていた。とても重い課題だった。しかし、それを達成できたひとつの理由が、全長10kmの士別周回路にあったことは疑う余地もない。
とくに微妙な音や振動の評価は感受性と集中力が求められるが、シンとした10kmの周回コースは、僕に高い集中力を持たせてくれた。
チーフエンジニアをはじめ、主要開発メンバーとのコミュニケーションも密だった。
突然電話が入り、「すぐ意見を聞きたいことがある。今から東富士にきてくれませんか。無理だったら、こちらが指定の場所に行きます」といったようなことさえ何度かあった。
「絶対に世界超一級のクルマを作る!」という熱意はすごいものだった。上記のような突然の電話による招集にしても、そんな背景あってのものと理解していたので、僕はなんの抵抗もなく受け容れられた。
日本のジャーナリスト向け初試乗会が行われたのも士別テストコース。その時もひとあし先の士別入りを頼まれた。最終チェックに参加してほしいとのことだった。
国際試乗会はフランクフルトで行われた。空港に近いホテルで、アウトバーンへも5分程度でアクセスできる。
アウトバーンへのアクセスがいいということは、「アウトバーンを走ってほしい」ということに他ならない。
当時のアウトバーンは文字通りの速度無制限。追い越し車線を走るクルマは200km/h前後で流れていた。
レクサスLS400が挑戦するメルセデス、BMW、アウディ等々のラグジュアリーセダンも、そんな追い越し車線の常連だ。
そんなアウトバーンで、世界から集まったジャーナリストたちは、LS400にどんな評価を下したのだろうか。
ひとことで言えば「絶賛の嵐」だった。ちなみに、走る前の静的評価では「精巧な造り込み」に感嘆の声が上がった。
アウトバーンでの200k m/h オーバー領域でも不満を感じさせることはなかった。誰もがジャーマン・プレミアム3のライバル車たちを念頭に置いていたはずだが、その結果の「絶賛」なのだからすごい。
なかでも、多くのジャーナリストが共通して驚いていたのは「静粛性」。
「異次元」「圧倒的」「驚異的」「ありえない」、、そんな言葉が次々飛び出した。
僕はそんな結果を予想していた。が、実際に試乗会の場でそうした声を聞くと、感情は昂ぶる。そして、自分が、そんなクルマの開発に関われたことの喜びが、否応なく胸の底から湧き上がってきた。
僕もむろんアウトバーンを走った。何度も何度も。アウトバーンを予測した走りは、テストコースで散々トライしてきたことだったが、それでも、初めは緊張した。
テストコースでの僕の判断と、実際のアウトバーン走行との間に大きな乖離はないか、、不安だった。開発チームは当然アウトバーンも走り込んでおり、その結果も聞いていた。
小さなことを除けば、結果は上々だった。
上記のように、緊張してアウトバーンに乗り入れた僕だが、数分走っただけで不安は消えた。同時に緊張も消えた。
あとは、日本史に残る、いや、世界史にも残る名車を楽しみ、味わうだけだ。
そして、180~200k m/h で流れる追い越し車線へ。
メルセデス、BMW、アウディ、、艶やかなモノトーン系の装いを纏い、VIPらしきドライバーがステアリングを握る、、LS400の仮想ライバルたちが主役を務める流れに入った。
LS400 の公称最高速度は250k m/h だが、どこまで速度を上げたかは覚えていない。
追い越し車線の速度は180~200k m/h 辺りが平均的。速いクルマは220k m/h 辺りで走る。とんでもない速度で飛ばしているクルマにも出会うが、ごくたまにだ。
僕はたぶん200~230k m/h 辺りで、あれこれチェックしながら走ったと思うのだが、エンジンの滑らかさと全体的な静粛性の高さはまさしく「未体験ゾーン」だった。
テストコースでは何度も体験していたLS400の静粛性だが、多くが共存する「リアルな世界」で味わう静粛性には、「凄み」さえ感じさせられた。
なみなみとシャンパンを注がれたグラスが何段も積み重ねられ、ボンネット上に置かれている。そして、エンジンをかけるのだが、グラスのシャンパンは微かなさざ波を見せるだけ、、有名なLS400のCMだ。
レクサス販売店を訪れる客は必ずこのCMを話題に出したという。当然だろう。それに対応するため販売店が使ったのは、シャンパングラスではなく、コインだった。
ペニー(1セント)かクォーター(25セント)は知らないが、コインをエンジンの上に置いてスターターを回す。コインはピクリともしない、、そして「1台ご成約!」となる。
精巧な造り、ケタ外れの静粛性、優れた燃費、、LS400 は、日本が不得手にしていた高級車の世界に新しい基準を持ち込んだのだ。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。