2020.09.06
56年前、夢のラスベガス旅行
サンタモニカからラスベガスまで約300マイルのクルマ旅。目的地までは、うねり道やアップダウンする砂漠の一本道である。そのなかで遭遇した素晴らしい景色とは?
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第142回
1964年、降って湧いたラスベガスへの旅
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LAの拠点にしたのはサンタモニカだが、とても開放的でフレンドリー。英語もろくに話せない僕を、多くが温かく受け容れてくれた。
サンタモニカの隣町であるベニスビーチに友人が住んでいたが、彼が紹介してくれたアメリカ人女性を起点に、アッと言う間に友達の輪は拡がっていった。
彼女の名はエレイン。50才くらいで、友人曰く「日本大好きで、面倒見いいから紹介するよ」とのことだったが、その通りだった。
初めての週末、彼女の家で僕のためにパーティーを開いてくれた。そして、パーティーに集まった多くの人たちを紹介してくれた。
ラスベガス行きは、そんな流れで知り合った男性に誘われてのこと。30代半ばくらいで、広告代理店関係の仕事をしていると聞いた。クルマ好きということで、すぐ打ち解けた。
名はロバート。すぐ「ロブ」と呼ぶことに。ファミリーネームは忘れた。
エレインの家には毎日1度は寄っていたが、パーティーで紹介された数日後、エレインからこう告げられた。「ロブから連絡があって、ラスベガスに遊びに行くんだけど、一緒に行かないか?」と、、。
僕は間髪入れずに、「行きます。連れて行ってほしいと伝えてください!」と答えた。
ラスベガスにはとても行きたかったのだが、予算の関係もあって諦めていた。そこに願ってもないお誘い!!
翌日、エレインの家でロブと会った。「週末1泊でGFとベガスに遊びに行くんだ。なので、ホテルは別に部屋をとってほしい。ベガスに着いたら基本別行動で朝食だけ一緒、、で、いいかなぁ」、とのことだった。
ラスベガスはギャンブルやショーが収益源で、ホテル代は安いと聞いていた。それをロブに確かめると、即座に「イエス!」の答えが。でも、僕は「節約したいから街外れのモーテルでいい」と言って、予約をロブに頼んだ。
ロブと別れた後、「GFと一緒なのに、、いいのかな?」とエレインに聞いた。
「ロブの方から声かけてきたんだから、心配いらないわ。GFだってwellcome ! のはずよ。日本のこと聞くの楽しみにしているんじゃないかな!」が、エレインの答え。
サンタモニカからラスベガスまでは約300マイル。途中で1度コーヒーストップすると6時間くらいのドライブになる。
僕の泊まっているモーテルを出発したのは14時頃だったと思う。どうしてもっと早く出発しないのかと思ったが、理由があった。
「真っ暗な夜の砂漠に浮かび上がるラスベガスの光景は見物だよ!。とくに、遠くから近づいてゆくときは、、それを見せたいと思ってね!」とのことだった。
連れて行ってくれるだけで有り難いのに、そこまで気遣ってくれるとは、、。ロブにはほんとうに感謝感謝だった。
GF、、残念ながら名前は思い出せないが、可愛くて、明るくて、でも、あまりお喋りじゃなくて、、素敵な女性だった。20代半ばくらいだったと思う。
ロブのクルマもよかった! 1960年型シボレー・ベルエアの4ドア。淡いグリーンとオフホワイトの2トーンがカッコよかった。
ラスベガスへは、ゆったりうねり、ゆったりアップダウンする砂漠の一本道を、ただ淡々と走る。モーテルとドライブインとガソリンスタンドがたまにあるだけだ。
陽が沈む時間帯の砂漠を見るのは初めてだったが、壮大な物語を語りかけてきた。「病みつきになる」のは確実だった。
片言でそんな感想を伝えたのだが、ロブにもGFにも気持ちは伝わったようだった。ロブはうれしそうだったし、GFもニコニコしていた。
「ピックアップトラックの荷台で夕景を見て、そのままスリーピングバッグに入って、星空を見ながら砂漠で眠る」、、そんな旅をしたいと言ったら、ふたりとも歓声をあげた。
ラスベガスに近づいたのは19時半辺りだったと思う。もう完全に陽は落ちていた。
「そろそろ見えるかも、、」とロブが言った少し後、、前方の闇の中、赤っぽいオレンジ色に光るドーム状の灯りの塊が見えた。
かなり「唐突に」といった感じで見えたが、砂漠の道のうねりとアップダウンがもたらした現象だったのだろう。
僕は思わず歓声をあげた。いや、歓声というより奇声に近かったかもしれない。ロブもそんな僕の反応に呼応するように、「ファンタスティックだろう!」と声を張り上げた。
オレンジ色に光るドームは近づくにつれてどんどん大きくなるが、まさに「ファンタスティック!!」、、「未知との遭遇」、、そんな不思議な感覚の眺めだった。
ところが、「未知との遭遇」感、2回目には「さほど」、3回目には「ほとんど」感じなくなった。
なぜ、、理由は簡単だ。時を重ねる毎にラスベガスの街は大きくなり、街の裾野が郊外まで拡がっていったから。
1964年のラスベガスの街の佇まいは「カットイン」的だったが、大きくなるにつれて「フェードイン」的佇まいに変容していったということだ。
ラスベガスが「砂漠の中の不夜城!」であることに変わりはないし、時と共にきらめきはさらにさらに増している。
でも、1964年、、砂漠の闇の中を走るシボレー・ベルエアの中での体験、、「燃えるUFO 」に突然遭遇したかのような異次元感覚を味わえたのは「自慢できる!」体験だった。
初めてのラスベガスをどう過ごしたか、、にも、簡単に触れておこう。
ロブは僕を予約したモーテルで降ろしてくれた。あとは自由。僕はひたすら歩き回った。
ギャンブルに興味はないが、ラスベガスでカジノを見ないなんてありえない。で、カジノにも入り、クォーター(25セント)でスロットマシーンも試した。
観たいショーもあったが、高くて手が出ない。
「次は必ず」と心に念じ、看板だけ見上げていた。
ロブたちはいいホテルに泊まった。でも、朝食だけは彼らのホテルで共にした。なので、ラスベガスの高級ホテルの一端を垣間見られたのはラッキーだった。
昔のラスベガスは「大人の街」だった。今はテーマパークや遊園地のようなホテルも多く、子供たちが楽しむにも事欠かない。だから、家族連れが多い。今昔の大きな違いだ。
「往復の時間と朝食以外は、お互い完全にフリー」というロブのプランは文句なし。1泊だけのラスベガスだったが、最高に楽しめた!。
僕のためにパーティーを開いてくれたエレイン、出会ったばかりの僕をラスベガスへの旅に誘ってくれたロブ、僕を泊めてくれた人、、サンタモニカで知り合った人たちはみんな優しくてフレンドリーだった。
僕は中学生になった頃から、アメリカに、中でも南カリフォルニアに憧れを抱いていたが、憧れは現実になった。予想よりも、期待よりもずっと素晴らしい現実だった。
世界1周旅行の最初の目的地だったLAには1週間の滞在予定だった。でも、1カ月に伸びた。それでもまったく足りなかった。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。