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2020.11.08

僕が市販モデルのテスト走行でヘルメットを被らない理由

1983年頃、ホッケンハイム・リンクで催されたメルセデス・ベンツ190の国際試乗会。そのスタッフとの会話から生まれた「ヘルメットはイエスかノーか」のベストアンサーとは?

CREDIT :

文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽

岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第146回

ヘルメット着用はイエスかノーか!?

僕は16才で運転免許証(小型4輪)をとったが、4輪にはたまに乗るだけ。ほとんどの時を共に過ごしたのは2輪だった。最初は小型4輪免許で乗れた250ccに乗ったがもの足りず、すぐ自動2輪免許を取得。大型バイクに乗り替えた。

当時はヘルメットの着用義務もなかったし、そもそも「安全」といったことにはまるで無関心。だから、ヘルメットも被らなかった。代わりに被ったのが、通称「ジョニーCAP」と呼ばれるモーターサイクルCAP。マーロン・ブランドがオートバイ乗りを演じた「乱暴者」で被っていた、短いつば付のCAPだ。

ちなみに、ヘルメット着用義務化は1965年から始まっている。、、が、当初は着用の「努力義務」。1972年には速度規制が40km/h を超える道路での着用が義務化されはしたものの「罰則なし」。罰則ありになったのはさらに3年後の1975年からだ。

僕が2輪にのめり込んでいたのは1956年からの3年間だけ。その後は4輪一筋になったが、とくにヒートアップするきっかけになったのは1963 年の第1回日本GP。

それまでは、ただ無節操に飛ばすだけ。テクニックがどうの、、といったことは考えもしなかったし、単純に「自分は速い!」と思い込んでいたフシもある。が、日本GPで初めて見た「本物の走り」には衝撃を受けた。僕の走り仲間も同じだった。そして、毎週末の鈴鹿通いが始まった。
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鈴鹿のスポーツ走行では、当然ヘルメット着用はマスト。そこで初めてヘルメットが必要になったのだが、どうせ買うなら「カッコいいブランドものヘルメット」がほしい。そして選んだのが「ベル500-TX」。オープンフェース型/ジェット型と呼ばれる、アメリカはベル社製のヘルメット。色は明るいオレンジ色で、短めのバイザーは白を組みあわせた。カッコよかった。

さて、ここから本題に入る。

1964年に大学を卒業して、そのままモータージャーナリストの道に進んだのだが、70年代後半辺りから、メーカーの開発テストへの参加依頼が相次ぐようになった。で、あちこちのテストコースやサーキットを頻繁に走るようになったのだが、この種のテストでは当然のこととしてヘルメットを着用した。メーカーが用意するハーフキャップ・タイプが嫌い(カッコ悪い)で、自分のベルを持っていった。

ところが、ある時から、市販車のテストでは一切ヘルメットを着用しなくなった。その、ある時とは、、ホッケンハイム・リンクで行われたメルセデス・ベンツ 190の国際試乗会、、1983年頃だったかと思う。

まだ、国際試乗会に招待されることは珍しい時代だったし、本格的なサーキットでの国際試乗会は初めての経験だった。泊まるホテルは、もちろん前もって知らされていたが、試乗会の詳細については一切知らされていなかった。

つまり、多くの伝説を生んだ歴史あるGPコース、ホッケンハイム・リンクを走ることなど思いもよらなかったということだが、それを知ったのは試乗会前夜だった。だから当然、ヘルメットなど持ってきていない。なので、「明日はハーフキャップのヘルメットで走るのか。カッコ悪いな~!」と、ちょっぴり暗い気分に、、。
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ところが翌日、ホッケンハイム・リンクに着き、サーキット走行のルールや注意点等のブリーフィングを受けて「いよいよ試乗!」となった時、ヘルメットが用意されていないことに気づいた。招待されていたジャーナリストはほとんど欧米勢だったが、彼らもヘルメットなしで、どんどん走り出していた。

僕はスタッフに「サーキットでヘルメット被らなくていいんですか?」と聞いてみた。そして、返ってきた言葉に驚いた。

「一般的な市販モデルの試乗では、サーキットでもテストコースでもヘルメットは被りません。考えてみてください。お客様はヘルメットを被って運転なさいますか?」と。

僕は一瞬呆気にとられたが、すぐ理解できた。腑に落ちた。「そうだよな! ヘルメット被って190を運転するお客様なんているわけないよな!」と。

「ヘルメットを被ると被らないとでは、いろいろな感覚が微妙に違ってきます。われわれも、初期段階の試作車など、リスクのある状態ではヘルメットを被ります」、、そのスタッフは言葉を続けたが、ほんとうに「目から鱗」の思いだった。

僕は、妙に弾んだ気持ちで190に乗り込んだ。

それまで馴染んできた「ヘルメットを被っての走行感覚」とはかなり異なるものを感じた。五感感覚がより鋭敏になったというか、繊細になったというか、、そんな感じだった。フロントがマクファーソン・ストラット、リアがマルチリンク式のサスペンションは新設計。操安性と乗り心地を、文字通り高いレベルで両立させていた。

コンパクトで、軽量で、優れたサスペンションを与えられた190は、ホッケンハイム・リンクを軽快にしなやかに走った。楽しかった。ちなみに、初期市販モデルは、リア・マルチリンクのジオメトリーのバラツキが問題になったが、1年ほどで解決されたと記憶している。
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ヘルメットなしでのサーキット走行という新たな体験は新鮮だったし、評価領域の幅を大きく拡げてもくれた。
そして、それ以降、「一般的な市販モデルのテストではヘルメットを被らない」ことが僕のルールになった。このルールは、日本のメーカーにはなかなか受け容れられなかったが、徐々に理解されていった。

かといって、メーカーのヘルメット非着用が進んだわけではない。僕の非着用だけが、例外的に許されることになっただけだ。ただし、リスクのある初期段階の試作車に乗る(かつてはそういう状況がけっこうあった)ような場合は、僕も当然ヘルメットを被った。

、、そんなことで、しばらくは、僕がヘルメットなし、助手席に座るメーカーのスタッフはヘルメット着用という妙な形になったが、時間の経過と共に変わっていった。

僕は、「限界領域のチェックに絶対手抜きはしない。でも、危険は犯さない」という自分なりのルールを厳格に守ることを自分に言い聞かせて走ってきた。テスト車のトラブルで危険な状況に遭ったことは何度かあるが、上手く切り抜けられた。

新型車の開発に携わり、少しでも役に立つことは、僕の重要な仕事のひとつであり続けてきたし、真摯に取り組んできたことでもある。そんな中で、「ヘルメット着用はイエスかノーか!?」は重要なテーマだった。そのテーマに対するシンプルで絶対的な答えを示してくれたメルセデスには、今でも感謝している。

● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト

1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。

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