2017.12.29
デソートとの出会いと別れ
著者の愛車の中で唯一のアメリカ車が、クライスラーの中級価格帯モデル「デソート」。運良く憧れのクルマを手に入れたものの…?
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
僕が手に入れた、1957年型「デソート・ファイアスイープ」はカッコよかった。数十台の愛車歴の中でも「自慢したい1台!」だ。
1957年といえば、テールフィン全盛期。華やかな2トーンカラーに高く長いテールフィンは、強く豊かなアメリカをそのまま形にしたようなもの。「ドリームカー」である。
僕はアメリカ車大好き人間。とくに、大きくて、華やかで、無駄だらけの50〜60年代のモデルが好き。だが、現実として、アメリカ車を所有することなど考えたこともなかった。
無駄だらけといえば、僕のデソート、全長は5.5mもあるのに、後席はプラス2アルファといったところ。トランクはメチャメチャ長いのに小物しか入らない。フロア中央にスペアタイヤがドンと置かれているからだ。
わかりやすく言えば、「障子や襖なら積めるけど箱形トランクは積めない!?」。つまり、大きくても薄いものなら積めるが、厚みがあると積めないということ。
「カッコよさ以外はすべて無視」。今思えば笑うしかないノーテンキぶりだが、腹も立たなかったし、疑問ももたなかった。そんなクルマ作りが許される時代、そんなクルマを買う人がいた時代だったのだ。
で、アメリカ車は「大好き。でも高価だし、ガソリン代かかるから買わない。買えない」と考えていた僕が、デソートを買うことになった経緯だが・・・。
サーモンピンクとピンクがかったホワイトの2トーンカラー、高く長いテールフィン。「さすがスターのクルマ!」とため息は出たものの、ほしいといった気持ちにはならなかった。僕とは別世界に住むクルマといった感覚だったからだ。
ところが、ある日、コトは起こった。「兄貴がクルマのことで話したいって。家に来て」と弟。で、家に行ったら、「岡崎クン、クルマ好きみたいだけど、僕のデソート興味ある?」と。
「好きです。でも、無理です。僕には」と初めはキッパリ断った・・・のだが、すぐにモロさを露呈。確か6年落ちだったので、価格も無理せずに済む範囲だったし、「大スターのクルマに乗れるなんて!」とワクワクしてしまい・・・結局、落ちた。簡単だった。
6年落ちでも目立った。銀座や赤坂でも目立った。周りからは「すごいね!」と言われるし、買った当初は有頂天。でも、初めにガックリ来たのはV8・5.7ℓエンジンの「超ガスガズラー」ぶり。リッター/3kmくらいしか走らない。
小遣いはほぼガソリン代で消えた。苦しかったが、ドリームカーに、スターの愛車に乗っているという満足感と高揚感で耐えた。
次にガックリ来たのはオイルの減り方。これもハンパじゃなかった。具体的に言うと「東京と箱根往復で2ℓ!」のオイルを消費した。
箱根の長い下りでエンジンブレーキを使った後アクセルを踏むと、デソートの排気管からは盛大な白煙が吹き出した。「白っぽい煙が・・」といった生やさしいものではない。
ミラーに映る後続車が瞬間見えなくなるほどだったから、もう「煙幕」レベルだ。
要は、わがドリームカーのエンジンはスカスカ状態だったわけだ。が、故障しなかったのは不幸中の幸い。街走りでは白い煙もそうは目立たないし、3ヶ月ほどはなんとか耐えた。
でも、それが限界だった。3ヶ月で手放すことを決めた。
「こんなクルマ、売れるのか?」 「売れなかったら」・・・知り合いの外車ブローカーに相談した。中身を正直に伝えて。
すると、「大丈夫。すぐ売ってあげますよ」と簡単に請け負ってくれた。それから1週間も経たない内に「売れました」との報告が。
「エンジン、スカスカがわかったら可哀想」と言ったら、「いや、そこもちゃんと話しましたよ。それでもいいって」。「中身が少々くたびれていても、見た目がよくて、どうだ!、って気になれるクルマなら買う人いるんですよ」・・・僕のことを言われているような気がした。
価格的にも、ほとんど損はしないで済んだ。
ガソリン代とオイル代はきつかったけれど、デソートとの3ヶ月は基本ハッピーだった。一生忘れない想い出が残った。