2018.01.01
伝説のレーサー、“ミスター・ル・マン”が語る、クルマの未来とは?
F1ドライバーとして1960年代から70年代にかけて活躍、さらにル・マン24時間耐久レースでは6度の優勝をおさめた伝説のレーシングドライバー、ジャッキー・イクス氏。かねてよりリレーションシップを築いてきたショパールの招きにより来日した“ミスター・ル・マン”に、インタビューした。
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文/ハラアキラ 写真/吉澤健太

フランクで温かい人柄がにじみ出るエピソード
イクス氏のこの日のスタイルは、濃紺のスーツにノーネクタイのホワイトシャツ。胸に明るめのエンジのチーフを差し、シンプルながら上品なスタイルがよく似合う。腕にはショパールのイクスエディション。往年のレーシングドライバーらしく小柄で、72歳にしてはかなり引き締まったボディを維持している。
ライフスタイル・マガジンであるLEON.jpのインタビューであることを告げると、早速、筆者の襟元につけた英グッドウッドフェスティバルのピンを見つけて、「グッドウッドはファンタスティックだ。クルマ、ライフスタイル、人の3つが融合し、どう褒めていいかわからないくらい素晴らしいイベントなんだ」と。クルマを愛するイクス氏らしい話のスターティングだ。

人との出会いがミスター・ル・マンを生み出した
当時マツダのトップドライバーである寺田陽次郎氏にはいろんな場所に連れて行ってもらい、大変お世話になった、と懐かしそうに語る。そのマツダは翌年のル・マンで、日本車唯一の総合優勝を果たしている。「日本は、伝統があって礼節を重んじる。時間通りでルールを守る。とてもいい国だ」。
レース界のレジェンドであるイクス氏は、実は子どもの頃は、無気力な子だった。モータージャーナリストであった父親に連れられて初めて観戦したのは1955年の母国ベルギーGP。優勝したファン・マヌエル・ファンジオを見た記憶はあるが、「レースはつまらないし、うるさいし、二度と連れてこないで」と父に懇願した。「今では信じられないが、本当なんだよ」と語る。

「私の両親は、この子は勉強が苦手だ、大学に行くより何か向いているものはないだろうか、と考え、ある日モーターサイクルをプレゼントしてくれた。乗ってみたら、結構できた。今まで人生ビリばかりだったけど、これならトップに行ける!と確信できるものを見つけたのだ。若い時にしかチャンスはない、と決心し、そこからモータースポーツの世界に突き進んだのです」
「人生にはプロビデンス(摂理、起因)がある。それは人との出会いだ。自分だけではどうにもならない」と語るイクス氏。自分を信じて応援してくれた両親。4輪への転向時に、自分はレースに出る暇がないので、とBMW700(44ps)を貸してくれた友人。カテゴリーが上がるたびに、「君、なかなかいいね」と上のクラスにステップアップできるマシンを用意してくれた教官。「勉強はできなかったけど、モータースポーツの世界ではどんどん人の目に留まったんだ」。

伝説を作った1969年ル・マンの本当の話
フェラーリのもとで「312」を駆り、何度も勝利を得ていたイクス氏。1969年には、スポーツカーカテゴリーのル・マン24時間耐久レースにも出場している。
この時、イクス氏は歴史を作っている。スタートの合図でドライバーが一斉にレーシングカーに向かって走り、乗り込んだと同時にスタートを切る、有名なル・マン式スタート。その危険性を指摘した(とされる)彼は、スタートの際に歩いてマシン(フォードGT40)に乗り込み、シート位置を確認してゆっくりとシートベルトを装着。その後、前を走る44台を抜き去って4,998キロを走り切り、2位のポルシェ908にわずか130メートルの差をつけてトップでゴールインした。
これについては、ちょっといたずらっ子のような表情で「あの時のクルマはね」と話を続ける。実は乗っていたマシンは十分な性能を備えておらず、「真剣に優勝を狙っていたわけじゃなかったんだ」と。当時の長距離レースは今と違い、まだまだ危険なスポーツで、「とにかくなんとかクルマを持たせていかにフィニッシュするか」が勝つ秘訣だったとも。
「面白いもので、優勝したからこの話が出るのであって、仮にライバルのポルシェの100メートル後ろでゴールしていたら、『ジャッキーさん、なんであんなことをやったんですか。歩いてなかったら、勝てたじゃないですか』と言われていたはずだよね」
そしてこの結果、翌年からあのル・マン式スタートは廃止されたのだ。

ポルシェをドライブするということ
ポルシェのようなクルマを用意してもらうと、勝利の確率が上がる。おかげさまで優勝47回、ポディアム80回、ル・マン優勝6回(ポルシェでは5回)という結果を残すことができた。
「みんなに言うことだけど」とイクス氏。「モータースポーツはドライバーだけに脚光が当たるけれど、それだけじゃない。レースでは、クルマを作るメーカー、エンジニア、メカニック、たくさんの人たちが情熱を持って100パーセントの力を結集してくれる。そういったバックアップがあるからこそ、ドライバーがやるべきことをきちんとこなせば、1番でフィニッシュすることができるのだと思う。これはモータースポーツの分野に限らないけどね」

今考えると、やはり周りの人に目を配ること、しっかり見て関係性を保つことが大事。“自分、自分”ばかりだと周りから相手にされなくなる。何もできなくなる。「私のレース人生は『pure luck』であり、『I’m survivor』なんだ」

自動車、そして地球の未来について
「自動車はとても「fun」なもの。人類はクルマによって、好きな時に好きなところへ自分でいけるモビリティを手に入れることができた。その自由さは今後も必要なことだろう。
ただ地球上に今で70億人、25年後には100億人が暮らすことになる。地球の表面積は変わらないので、今から環境に配慮するという方向には抗えない。都市化によって人は都市に集中し、交通は渋滞する。その解決方法として自動運転がある。ただ、その時バスやタクシーの運転手は失業する。AIやロボットのテクノロジーは便利だが、人の仕事を奪ってしまう。本当にその方向でいいのか。
そして、都市以外の3分の2は、飢えに苦しんだり、電気がなくて希望がない、といったことが起きている。そうした地球環境とどういい関係を作るか、ということが我々人類の仕事ではないだろうか」

現在のプライベートカーは、フォルクスワーゲン「トゥアレグ」とアウディ「S8」。ポルシェは「パナメーラ」と「マカン」で、そのほかにも2シーターモデル(911とボクスターあたりか)を所有しているとのこと。
「レーシングカーは若い頃散々乗ってきたので、今はパナメーラのような、大きくて速くて快適なクルマがお気に入り」と語ってくれた。
イクス氏は、自動運転については抵抗があるという。「渋滞にはまってもステアリングを握っているのが好きなんだ。自動運転中には新聞を読んでりゃいいか、とか、DVDでも見ようか、といった発想はないんだよ」と。納得である。
今回、ショパールの招きにより来日したジャッキー・イクス氏
表情からもフランクで気さくな人柄がうかがえる
ショパールの共同社長、カール-フリードリッヒ氏とは四半世紀にわたって友情を育んできたイクス氏。写真は、ともにミッレミリアに参加した際のカット
濃紺のスーツを上品に着こなす洒落者でもある
ポルシェのレースエンジニアにマシンについてオーダーを出すイクス氏。1977年のシーン
1982年のル・マン24時間レースにて、ポルシェ956のステアリングを握るイクス氏
クルマの素晴らしさは、移動の自由を与えてくれることだ語る
運転が大好きで、現在もポルシェ・パナメーラをはじめ多数の愛車を所有している
今回、ショパールの招きにより来日したジャッキー・イクス氏
表情からもフランクで気さくな人柄がうかがえる
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濃紺のスーツを上品に着こなす洒落者でもある
ポルシェのレースエンジニアにマシンについてオーダーを出すイクス氏。1977年のシーン
1982年のル・マン24時間レースにて、ポルシェ956のステアリングを握るイクス氏
クルマの素晴らしさは、移動の自由を与えてくれることだ語る
運転が大好きで、現在もポルシェ・パナメーラをはじめ多数の愛車を所有している