2018.02.09
RRに圧倒されたあの日
数多の車に乗ってきた著者にも苦手な車ーー正確に言えば"圧倒されてしまう車"ーーがある。それがロールスロイスだ。というのも、若き日の苦い経験があって …。
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
仕事柄、世界中のクルマの多くに乗ってきたが、「圧倒され度合い」となると、RRに並ぶものはない。
ブガッティも、ベントレーも、マイバッハも…当然ながら「僕には絶対似合わない」とは思う。でも、仕事で乗るならとくに気にもならないし、平静に乗っていられる。
ところが、RRとなるとそうはいかない。パルテノン・グリルを、フライングレディを、堂々たる佇まいを前にしただけで、「やばい!」といった心理状態になってしまう。
乗り手を選ぶクルマは少なくないが、これはけっこう怖い。そのクルマに相応しい品格/佇まいを持つ人なら、似合うし、羨望の眼差しが向けられる。が、そうでない人が乗ると、借り物のように馴染まない。結果、冷ややかな眼差しに包まれる。
それを痛いほど実感させられたのが、RRを初訪問した時のできごと。24才の時だった。
しかも、英語は片言程度。でも、RRの広報担当者は快く受けてくれた。日本の自動車誌「ドライバー」の編集者だと名乗ったからゆえの対応だったのだろうが、ドライバー誌を知っていたかどうかは?だ。
で、ロンドンから列車で、RRの本社と工場があるクルーへ向かった。クルーは、ロンドンの北西280kmほどのところに位置し、列車で3時間くらいかかったかと思う。
気の利いた服など当然持ってきてはいないので、バックパッカー姿のままで。
ちなみに、BMW傘下に入ってからのRRの工場はグッドウッドに移り、クルー工場はVW傘下のベントレーが受け継いでいる。
美しい英国の田園風景を眺めながらの列車の旅は楽しい。僕はリラックスしていた。トヨタや日産を訪ねるときと大差なかったと思う。
クルーに着き、駅前の約束の場所に向かうと、そこにはRRファントムⅤが止まっていた。その前には、堂々たる体躯を制服に包んだショーファーが立って改札口方向を見ていた。
「すごいなぁ! RRの町にきたんだなぁ!」
僕はその光景に見とれながら、駅前に止まっているクルマに目をやった。「駅まで迎えに行く」といってくれた広報担当者が、フォードかなんかで待っていると思ったからだ。
そのとき、ファントムⅤのショーファーが僕の方に向かって歩き出した。「まさか!」と思ったが「まさか!」だった。
「岡崎宏司さまでしょうか?」と声を掛けられたときは、一瞬息が止まりそうだった。
声を振り絞って「イエス」と答えたが、どうしたらいいかわからなかった。おどおどなどせず、堂々と振る舞えればまだましなのだろうが、そんなことはできなかった。
「サー」付けは何度も経験していたが、気にしたことなどなかった。でも、このときはズッシリきた。超ヘビーだった。たぶん「サンキュー!」くらいは返したと思うが、広大な座席に座るまでの記憶が欠け落ちている。
エリザベス女王の、わが天皇陛下の御料車でもあったファントムⅤの後席に座った感激は大いにあったのだろうが、それも記憶がない。
座ったはいいが、どんな姿で座ればいいのか、、膝を、腕を組めば、不遜に見えると思い、両手を膝の上に置けば、借りてきた猫みたいだと思い…なすすべがなかった。
RRに強い畏怖の念、畏敬の念を抱き続けるのは、この体験が基になっている。ほとんどトラウマに近いものがある。真の高級車は「乗り手を厳しく選ぶ」ことをいやというほど覚え知らされれたのもこの時だ。
試乗はシルバークラウドⅢで行ったが、広報担当者は気さくな人で救われた。近くのサーキットにまで連れて行ってくれたが、RRがサーキットでもけっこう走れることを知ったのは大いなる収穫だった。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。