2018.02.16
ソアラでアウトバーンを走った
筆者の日本車でのアウトバーン初体験の際の車種は、"バブル期のモテ車"「ソアラ 2800GT」。日本車が性能面の転換期を迎える以前の出来事だった。
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
クルマはソアラ 2800GT。「未体験ゾーン」のキャッチコピーとともに華々しくデビューした日本初のラグジュアリー・クーペだ。
デザイナーが開発主査を務めたことも話題になったが、エレガンスと力強さを兼ね備えた佇まいと強力なパフォーマンスは、あっという間に人気の的になった。
折からの経済上昇期とも相まって、高価格にもかかわらず販売面でも素晴らしいスタートを切った。輸入車にしか目を向けなかったような人たちも、ソアラには目を向けた。
バブル期の象徴のひとつだった「華の女子大生」にも圧倒的人気で、「ソアラに乗っていればモテる」との通説も生まれた。
とくに、バブル絶頂期と重なった2代目ソアラは、実に5年間で30万台を超えるスーパーセールスを達成。とにかくすごい人気だった。
まずは当時のアウトバーンの状況だが、流れは速かったが、同時に整然としていた。
トラックは基本的に右車線をキープ。中央の走行車線は乗用車が130〜150km/h辺りで流れる。そして、左の追い越し車線はメルセデスやBMWの高性能モデルが180〜200k m/h 辺りでカッ飛んでゆく…そんな感じだった。
ソアラも「200km/hカー」の実力はあった。
が、「ギリギリで」というただし書きがつくレベル。ザックリ言えば、ソアラの最高速度は、平坦路で210km/h 、下りで220km/hといったところ。
それもスンナリと出るわけではない。ある程度の距離と時間が必要。つまり、実用的には190〜200km/h辺りが最高速度、ということである。
僕がデジタルメーター(日本初)上で到達した最高速度は223 km/h。長い下り坂で、だが、かなり時間がかかった。とくに210km/h以上の加速は鈍かった。
すでに何度かドイツ製高性能車でのアウトバーン体験をしていた僕には、当然物足りなかった。でも、「長い下り坂/メーター上」というただし書き付ではあっても、日本車で233 km/hという速度を体験したことには、ちょっぴり誇らしい気持ちもあった。
高速レーンを走る速度領域では明らかなリフト現象が出て、200k m/h 領域に入るともう「雲の上を走っている」ような感覚になる。
足が地に着いている実感は弱く、ステアリングもほぼノーフィール。これは怖い。前方のトンネルがすごく小さく感じられ、「あそこにちゃんと入れるのか!?」といった不安と恐怖が押し寄せる。
ソアラの少し後、ランサーEX ターボをアウトバーンでテストする機会があった。
ルックスも加速も魅力的だったが、ソアラと同じく、こちらもトンネルが怖かった。
要は、当時の日本車の高速安定性はこうしたレベルだったということだ。
ちなみに、高速安定性で欧米勢を驚かせるまでの結果を引き出した初の日本車はR32型スカイラインGT-R。1989年のデビューだ。雨のアウトバーンで、200km/hオーバーのハードなレーンチェンジを気楽にトライできる…それほどの強者だった。
1980年代、好調な経済に後押しされて日本車は大きく変化し進化したが、動的な面でもっとも著しい変化/進化を遂げたのが「高速安定性」だった。日本車の大きな転換点のひとつとだったと僕は思っている。
●岡崎宏司/自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。