2021.06.13
あのモナコGPをトンネルで観戦!?
モナコならではの贅沢なヨットからのF1観戦! ではなく、「手を伸ばせばヘルメットに手が届きそう」なほど近くを走るトンネルからの観戦って?
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第161回
モナコGPをトンネルで観た!
もちろん制限されてはいたが、観客の入ったモナコGPを観るのはワクワクした。コース沿いに接岸した贅沢なヨットからの観戦、モナコならではの華やかな景色も復活した。
1992年のモナコGPといえば、アイルトン・セナとナイジェル・マンセルが、史上まれにみるデッドヒートを繰り広げた年。僕はTVで観ていたが、文字通り「手に汗握る!」、、、いや、そんな表現ではとても足りない戦いだった。全身に力が入り、一瞬もTV画面から目が離せない、まさに激闘だ。
いわば「寸止め状態のバトル!」が、これほど長く激しく続いたF1の戦いは、僕の知る限り未だ他にない。当時の僕のヒーローはセナだったが、この一戦を境にマンセルも僕のヒーローになった。僕だけではない。あの1戦でマンセルを好きになったF1ファンは多かったはずだ。
元々、母国、英国でのマンセル・ファンが多かったのは当然だが、この一戦でヒートアップしただろうことは容易に想像がつく。僕もそんなヒートアップの恩恵に預かったことがある。この一戦の年の秋、家内とロンドンに遊びに行ったときのことだ。
すると「マンセルさん」も瞬時に反応。「いえ、たまたま名字が同じだけですが、、そうなんですか! うれしいお話です!!」と。ニコニコ顔全開で手続きをし、さらには「私がお部屋までご案内します」となった。
で、案内された部屋がすごかった。予約したのはスタンダードツインだったが、案内されたのはどう考えても「ジュニアスイート・クラス」。それもベストな景観付きの角部屋なのだ。目を疑った。1クラスのアップグレードならさほど珍しくはない、、が、これは3~4クラスのアップグレード。ありえないことだった。
「お気に召しましたか!」とマンセルさん。「いやー、素晴らしい! ナイジェル・マンセルに乾杯!」と僕。「ナイジェル・マンセルの国を、ロンドンをお楽しみください!」とマンセルさん、、この出来事は忘れられない思い出になった。
何年に行ったか、、、だけでなく、「その時、誰が勝ったか」も覚えていない。第2期、特にその後半のホンダは圧勝し続けていたため、勝敗への関心が薄かったのかもしれない。その間のホンダ・エンジン搭載車は、コンストラクターで6年連続、ドライバーで5年連続、チャンピオンの座を獲得した。
なかでも、1988年は、伝説の「16戦15勝!」を挙げている。「ホンダ(エンジン)なくして勝利なし!」とさえ言われたものだ。チャンピオンの座を獲得したドライバーは、ネルソン・ピケ、アイルトン・セナ、アラン・プロスト。まさに錚々たる顔ぶれである。
ちなみに、レッドブル・ホンダのエースであるマックス・フェルスタッペンの現在の恋人は、ネルソン・ピケの娘さんとのこと。初のチャンピオンを狙うフェルスタッペンに相応しいお相手なのかもしれない、、、。
1度目のモナコではホテルが取れず、ニースからヘリで通った。パドックでマシンやドライバーを眺め、予選とレース中は徒歩で移動できるコーナーで観戦した。ところが、レースに関して鮮明に覚えていることはほとんどない。そのいちばんの理由は、思いがけない人と出会ったことにある。本格ミステリー作家の巨匠であられる島田荘司さんだ。
全行程をご一緒していたら、移動時間やホテルで話をして、モナコではレース観戦に集中しただろう。しかし、ご一緒できたのは決勝時間帯だけだったので、ついつい話しに夢中になってしまったのだと思う。
幸か不幸か、ミラボー・コーナーでは石段か歩道の縁石?、、、楽な姿勢で座れる場所に出会って、話がより加速してしまった。ほとんどレースを忘れていた時間がかなりあったということだ。島田さんとお会いする度に、このモナコの思い出話が出る。そして、「レースをほったらかしにして、いったい何を話していたんでしょうね!?」と、二人で首を傾げながら大笑いになる。
2度めはモナコのホテルに泊まれた。それも「ローズ・ホテル!」。ヘアピンの前、トンネルの上という最高の立地にあるホテルだ。TV中継でもよく映るヘアピンは、「ステーション・ヘアピン」、「ローズ・ヘアピン」、「グランドホテル・ヘアピン」、「フェアモント・ヘアピン」と呼び名は変わってきた。
予選日はほとんどパドックで過ごした。文字通りの「黄金期!」をホンダにもたらした桜井淑敏監督とも話をした。本田宗一郎さんは別格として、僕の知るホンダマンの中で、もっとも尊敬し、かつ大好きでもあった方だ。
決勝日はパドックには行かず、ホテル前のヘアピンで少し見てからトンネルに移動。今はどうか知らないが、当時はPRESSならトンネルに入れた。
宿泊がローズ・ホテルに決まったときから、「決勝はトンネルで見る」と決めていた。トンネルは、スピード感も音も接近感も極大になるし、強烈な緊迫感を強いられるだろうことはわかっていた。
で、どうだったかというと、、、予想通り、、、いや、予想を遥かに越えた緊迫感だった。音の凄さは予想していたので、耳栓は用意していた。が、トンネルに反響し増幅したF1サウンドは、耳で聞くというより全身で感じる、全身に覆いかぶさってくる、、まさに未体験ゾーンの音であり響きだった。
「ただただ圧倒された」としか言いようがないが、断言できるのは「騒音ではない」ということ。少なくとも僕にとっては、「全身が震えてくるほどの快音!」だった。
そんな速度のF1が、「手を伸ばせばヘルメットに手が届きそう」なほど近くを走るのだから、、単に「すごい」といった生易しいレベルではない。完全に「恐怖ゾーン」に入る。
でも、それは同時に、「凄まじいほどの快感」を届けてくれる恐怖でもあった。僕はトンネル出口に近い、、、もっともスピードが出て、もっともマシンが接近してくるところから動かなかった。いや、動けないほど釘付けにされてしまった。
F1マシンのすごさ、F1ドライバーのすごさに圧倒され、痺れまくった! 「トンネルで観たモナコGP」は、僕の中でのF1の地位と価値と尊敬を「絶対的なもの」に押し上げた。最高の体験だった !
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。