2018.03.16
レンジローバーとアン王女
極悪路すら走破するパフォーマンス力、街並みにも溶け込むエレガントなビジュアルから、レンジローバーは「砂漠のロールスロイス」と称されることも。そして筆者にとって同車は、英国王室と切っても切れない車なのである。
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
「まさか!」と思うような極悪路を踏破する姿と、ロンドンの街を「レディが」「ジェントルマンが」エレガントに走り抜ける姿…それらが僕の中では完全に溶け合っている。
加えて、レンジローバーを見ていると、英国王室とレンジローバーの様々な場でのコラボレーション、素敵なシーンが次々と脳裏に浮かび上がってくる。
レンジローバーはエレガントだが、その懐に秘めたパフォーマンスはすごい。それを初めて自身で実感したのは1990年頃だったかと思う。場所は厳冬のスコットランド。
試乗コースは非常に厳しいものだった。文字通りの「極限」を体験する人工コースも一部あったが、凍てついた渓谷/山岳地帯を延々と走り続けるコースは恐怖の連続だった。
ほんのちょっとしたミスや集中力の欠如も許さない断崖が続く細い山越えの道、酷い泥濘地、速い流れの渓流渡河、高難度の山中のタスクが、休む間もなく続く。
泥濘や山中で身動きが取れなくなったクルマを何台も見た。渓流でコース取りを誤り、クルマを水没させてしまった人も見た。もちろんレスキューに助けられたが、どんなに怖かったことか! 冷たかったことか!
「レンジローバーの試乗に手を挙げた方々は、一定以上のスキルはお持ちであるという前提で、われわれはコース設定しています」とスタッフから聞いた。ズシリと心に響いた。
2002年2月、3代目レンジローバーの試乗会がスコットランドで行われたときの話だ。
指定されたディナーのドレスコードは「ブラックタイ」。当時、ブラックタイのパーティやレセプションは珍しくなかったが、試乗会では初めて。その後も(僕の経験上では)なかった。後にも先にもこれ1度切りということだ。
招待状には「ブラックタイ」と記されていたが、正式な理由は知らされていなかった。でも、ビッグサプライズが用意されているのは確かだ。僕はどんなサプライズか心躍らせていた。参加者はみな同じだっただろう。
スコットランドの荒涼とした地に立つ古城がディナー会場だった。われわれは夕方早くに着いたが、低く垂れ込めた黒い雲の下の古城は、すでに夜の表情だった。
雪もチラチラ降っていた。照明が少し明るめだったのが気分を和らげてはくれたが、そこには非日常の重苦しい世界が待ち受けていた。
「ディナーにはアン王女がご臨席される。これから着替えて、王女をお迎えしましょう」。
広報から初めて、ビッグサプライズの中身が明かされた。驚いた! すごい!、と思った。
英王室が英国製品の広告塔として、広報担当として積極的に活動されていることはむろん知ってはいたが、われわれとディナーを共にするなんて…「まさか!」だった。
タキシード一式を持って旅するのは面倒くさい。みんな文句を言っていた。でも、アン王女がご臨席と聞いて、一気に不満は霧散した。
乗馬の英国オリンピック代表になり、私生活ではスポーツカーを乗りまわし、陸軍従軍時には戦車長としてスコーピオンを操縦、スキャンダルも多かったが、活動的な王女として人気があった。僕も好きだった。
雪が降る中、近くの空港から自らレンジローバーを運転して来られると聞いたときは思わず手を打った。「なんて素敵なんだ!」と。
ま、戦車だって操縦する方なのだから、別に驚くことでもないのだが、雪の中、英国王女がレンジローバーを自ら運転なさって、と聞くと、やっぱり嬉しくなる。
僕の席は王女の正面だったが、つたない英語で話しかけるのは無理だった。でも、何度か王女と目が合った。その度に王女は微笑んでくれた。僕も笑顔を返した。でも、ぎこちない笑顔だったに違いない。間違いない。
メニューはまったく覚えていないが、素晴らしいディナーであり、体験だった。レンジローバーを見る度に、レンジローバーに触れる度に思いだす。
ディナーが終わり、王女をお見送りしたのだが、レンジローバーの高い運転席に美しい身のこなしで乗り込まれた。そして、雪の中、テールランプは遠くなり、消えていった。
僕は最後まで見ていた。いや、テールランプが消えた後もしばらくその方向を見ていた。なにか、満ち足りた、幸せな気分だった。
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。