2021.06.27
旅ができるようになったら、海外でのリモートワークにトライしたい!
コロナ禍が招いた新しい働き方が「リモートワーク」。海外でのリモートワークは、新たなアイデアが浮かび上がる可能性大!?
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
岡崎宏司の「クルマ備忘録」連載 第162回
リモートワークに想うこと、、、
初めは戸惑うこともあったが、最近は心地よく仕事できている。資料の作り方や見せ方もオンラインになじむよう進化しているし、無駄なくわかりやすい話法も進化している。通信環境さえ整っていれば、「世界のどこにいてもリアルタイムで仕事ができる」ようになってきたようだ。旅好きの僕にはなんともありがたい流れである。
とはいっても、旅先でのリモートワーク、まだ実行したことはない。コロナ禍の下、昨年12月を最後に旅を封印しているからだ。なので、旅ができるようになったら、日本は当然のこと、海外でも積極的にリモートワークにトライしようと思っている。
そうすれば、まずは、旅のスケジュールの立て方にかなりの自由度がでる。例えば、数人の担当者と毎月数回行われるようなミーティングがあっても、それで旅の日程が制約されることは少なくなる。
コロナ前は、相手企業の担当者数名(ときには十数名といったこともある)と僕が一箇所(ほとんどが当該企業の会議室)に集まってミーティングするのが常。それを当然のことと思っていたし、そのため新幹線や飛行機で移動することもまたしかりだった。
ところが昨年4月辺りから、僕の仕事場は自宅になり、仕事部屋のデスクになった。PCのリモートワーク・アプリで相手と繋がるだけ。他に必要なものはといえば、メモノートとドリンクくらいだ。新幹線や飛行機に乗るのは「実物を現場で見る」「実物に現場で触れる、感じる」ことがマストなときだけになった。
上記のように旅を封印したことで、海外でのミーティング参加は未だ体験できていない。もし今年のクリスマスを海外で過ごせるようにでもなったら、ぜひ、リモートワークでのミーティングにトライしてみたい。
海外となると、当然、時差がある。でも、僕にとっては大した問題ではない。ミーティングの時間が日本の就業時間帯内でもぜんぜん構わない。少し早起きするか、少し遅寝するか、、それだけのことだから。
早朝の6時、あるいは夜の10時や深夜の1時からミーティングが始まるのは「妙な感じ」かもしれない。でも、僕は受け入れる。こんな時間帯に原稿を書くのは絶対にお断りだが、ミーティングならまったく構わない。
ちなみに、僕は旅先で原稿は書かない。昔からそうしてきた。膨大な量の原稿をこなしていた若い頃からそうしてきた。飛行機の中でも、ホテルでも、、家を出たら一切原稿は書かない。旅先で書かなかればならないような原稿は初めから受けない。
自慢するわけではないが、締切日に遅れたことはない。催促されたこともない。これがいいとか悪いとかではなく、そうすること、そうなることが嫌いなだけ。まぁ、僕はそんな性格ということだ。逆にいえば、空港のラウンジやフライト中、深夜のホテル、、、で原稿が書ける人、どんな環境でも集中できる人が羨ましい。
僕にとっての旅とは、非日常の貴重な時間と空間に身を置くことだから、その機会は大切にしたいし、仕事に費やしたくない。でも、なぜか、リモートワークでのミーティングはぜひやってみたいと思っている。
旅先で心が高揚していれば、さらには、PCを開くのが「お気に入り」の場所だったりすれば、リアルタイムでさまざまななインスピレーションが湧き、新たなアイデアが浮かび上がる公算大だからだ。高揚感が饒舌をもたらしてしまうことは要注意。だが、こちらの高揚感が、日本でPCを繋いでいる相手にもいい形で伝われば、面白いことになるかもしれない。
旅先で原稿は書かないが、メモはよくとる。目に入ったこと、感じたことをすぐメモにする。最近はiPhoneの「メモ」がとても重要なツールになっている。その時取り組んでいる仕事への「ふとした思いつき」も、すぐ「メモ」に打ち込む。
iPhoneのメモは、アップル製品の連係機能で、iMac、Mac Book、iPad間でシームレスに行き来できるので、ほんと重宝している。
僕の場合、仕事の合間や寝る前のちょっとした時間、、いわゆる「スキマ時間」にiPhoneのメモに目を通すのが習慣になっている。そうすると、メモに触発され、さらなるヒントが浮かんだり、イメージが膨らんで新たなアイデアが生まれたりする。そして、それは仕事に大いに役立っている。
僕が初めて海外に出たのは1964年。当時ももちろん海外からの電話はできた、、が、電話料金は高額。繋がるまでにかなりの時間もかかった。とくにホテルからの料金は高額で、とても使えなかった。だから、家族とのやりとりも航空便(エアメール)が基本。どうしても電話が必要な時は、街角の公衆電話を使った。
こうした状況は長く続いたが、「夜明け」をもたらしたのは電子メール。1990年代半ば頃から徐々に一般化は進んだが、旅先でのPCの接続に悪戦苦闘したことを覚えている。
海外からの電子メールが身近なものへと進化したのが、第3世代携帯電話での国際ローミングサービス。2002年から始まった。僕が最初に使った機材はボーダフォン V-N701。海外から日本に初めて電話した時のワクワク感は忘れられない。用もないのにやたらメールを送ったことも覚えている。
最近は多くの航空会社で機内wi-fiが使えるので、長時間フライトの間でもインターネットが楽しめる。メールもできる。ほんとうに便利な時代になったものだ。
そういえば、この1月にクルマを買い替えたのだが、セールス担当者とのやりとりのほとんどはSMSを使った。短くシンプルなメッセージのやりとりは心地よいものだった。クルマのセールス現場にも新しい波が押し寄せていることを強く実感した。
リモートワークでのミーティングについてはもっといろいろ書きたいが、紙数は尽きた。なので、次回で「続編」を書くことにする。ちょっと夢想的な話になってしまうかもしれないが、、、海外の旅先を具体的に挙げ、その環境、雰囲気、イメージ等々を膨らませながら、、、コロナ禍が招いた新しい仕事のやり方に夢と想いを巡らせてみたいと思う。
● 岡崎宏司 / 自動車ジャーナリスト
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。