2018.04.13
思い出の「世界最大の駐車場」
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
「世界でもっとも渋滞の激しい道路は?」が、正しい質問になるが、ま、そのあたりは言葉の遊びということでお許し頂きたく。
フリーウェイ405号線はLAを南北に走り抜ける、LAの心臓部を貫く大動脈だ。
初めて405を走ったのは1964年。プロペラ機DC6Bに乗り、ホノルルでの給油ストップを経てLAに行った時のこと。
ランディングして小一時間。僕はシボレー・マリブの助手席から「大河405」を眺めていた。
半ば絶句状態で。
405は流れてはいたがほぼ飽和状態。フルサイズ全盛時代だが、大きくきらびやかなクルマが4〜6車線を埋め尽くす光景は凄かった。
フリーウェイの様子は雑誌で見たりしてはいた。でも、そんな予備知識など一瞬で粉々に砕け散った。405が示すアメリカのエネルギーはそれほど衝撃的だった。
夜になり、ヘッドライトの大河とテールライトの大河という二つの大河がすれ違う様にも見惚れ、息を呑んだ。
初めてLAに行った54年前、通勤時間帯の405はすでに渋滞が始まっていた。が、それは「並レベル」だった。
しかし、405沿線は郊外に向かってどんどん開発が進み、時間と共に渋滞箇所は増え、渋滞距離は長くなり、ついにはそれが繫がった。
僕のLA滞在は、サンタモニカをベースにすることがほとんどだった。居心地よい町だし、コーストハイウェイを使えば、大好きなマリブビーチやレドンドビーチにもすぐ行ける地域だ。
だから405はあまり使わなかった。例外は、家族ぐるみで付き合っていたアメリカ人の友人をニューポートビーチに訪ねるとき、そしてお気に入りのサンディエゴに行く時くらい。
ニューポートビーチは、サンタモニカから南にほぼ100km。海沿いの美しい町だ。405が順調に流れていれば1時間半くらいで着く。でも、下手な時間帯に動くと往復で5〜6時間かかってしまう。
70年代辺りまでは渋滞してもガマンできるレベルだった。好きなFM局の音楽でも聴いていればよかったが、今は違う。流れていれば30分の距離に、1時間半、2時間を費やさなければならない。
かつては、LAへの通勤時間が30分程度だった郊外の住宅に人気が集まり、多くの人が市内から郊外へと移り住んだ。ゆったりした敷地にゆったりした新しい家。家の前には芝生があって、クルマも数台駐められる。
こうした郊外の家を手に入れることは、小さいながらも、アメリカン・ドリームを手に入れることと捉えられた。
そんな幸せを掴んだ人々が、渋滞地獄に悲鳴をあげ始めたのは80年代後半辺りからだろうか。そして、彼らが自虐的に口にし始めたのが「405は世界一の駐車場」という言葉だ。
エルビス・プレスリー辺りからアメリカへの憧れを募らせていた僕にとって、405は走っているだけ、それだけでハッピーだった。憧れのアメリカを強く実感できた。「405」と口にするだけでも「カッコいい!」と感じたものだ。
405を「世界一の駐車場」と呼ぶのは、アメリカ人らしいジョークともとれるし、実情を知らずに聞けば大笑いもできる。しかし、実情を知ると苦笑いしかできなくなる。通勤時間帯の405は間違いなく駐車場状態だから。でも、それでも、僕は405が好きだ。
LAから405に乗って南下。ニューポートビーチへ、ダナポイントへ、サンディエゴへ。僕にとっては54年前も今も、たぶんいつまでも、ドリーミールートであり続けるだろう。
LA、サンフランシスコ、ラスベガス、ニューオリンズ、マイアミ、シカゴ、NY。好きな街はいくつもあるし、それぞれがアメリカの香りをたっぷり振りまいている。
しかし、ピンポイントでアメリカを感じられるという点で、405に勝るところはない。僕が観光地図を作るなら、「世界一の駐車場」は体験すべき必須のスポットに推す。
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。