2018.05.11
1000湖ラリーをヘリで観戦!
筆者は1度だけ「ラリー・フィンランド」をヘリで上空から観戦する機会を得た。まだ「1000湖ラリー」と呼ばれていた1975年の出来事だった。
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
時は1975年。ラリー・フィンランドが、まだ1000湖ラリーと呼ばれていた頃のことだ。
開催地のユヴァスキラはフィンランド中央部に位置する学園都市。針葉樹の森と無数の美しい湖に囲まれる湖水地方の町だ。
普段は静穏な大地で行われるラリー・フィンランドは超高速ラリーとして知られるが、現在のSSの平均速度は130〜140km/h 、最高速度は200km/h 以上にも及ぶという。
超高速であるが故のジャンプもハンパではない。50m級のジャンピングスポットは、WRC映像では欠かせない名所になっている。
当時、チームは手応えをつかみ始めていて、エースのハンヌ・ミッコラは1000湖ラリーをもっとも得意とする(通算7勝!)ドライバーでもあったから、ここは勝機ありとみて、僕を呼んでくれたのだろう。
歴史を辿れば1951年にまで遡る由緒あるラリーだけに、観客は世界中から集まるが、地元の熱狂ぶりがそもそもすごかった。
熱狂といってもただ大騒ぎをするというのではない。彼らの熱狂というのは街の住民が総出でラリーを出迎えることをいう。それこそお年寄りから子供まで。
小さな子供はお年寄りに手を引かれ、面白いコーナーで危なくないポイントに陣取っては夢中で応援する。先に陣取っていた若い人たちは、そんな地元の人たちに特等席を譲る。そんなハッピーなシーンにもよく出会った。
ラリー車がコースアウトすると、あっという間に屈強な男たちが集まり、手際よくラリー車をコースに戻すといった、海外でのラリーでよく見る光景もあちらこちらで見られた。たいていは地元のラリーファンだが、その仕事ぶりはプロ並だった。
フィンランドは優秀なラリードライバーをもっとも多く生んでいる国だが、ラリーを愛する人たちがこんなに多いのだから、それも当然だろう。
「今日はヘリでラリーを追っていただきます。ヘリ、大丈夫ですよね」と、朝食の場でいきなり告げられた。当然、数人のゲストが同行すると思ったのだが、それは僕一人に対しての提案だった。
「小型ヘリで相方はパイロットだけです。彼は元ラリーストで、フィンランドではランク上位を占めたこともあります。彼ならラリー車をガンガン追いかけてくれるはずです」と。
ヘリは小型で透明なカウルが低く足下まで伸びて、視界は抜群。パイロットはまだ30代後半といった、若く、明るいナイスガイだった。
「フィンランドの上位ランカーだったんですってね!」と聞くと、「うん、そう。コースはよく知っているから、楽しんでもらえると思うよ!」との答え。
それまでにも何度かヘリには乗っていたが、こんなに機敏に飛ぶヘリに乗ったことはなかった。業務用ヘリを移動の足に使っただけだから当然だろうが。
「速い!」と声を上げると、「ヘリは遅いけど、ラリーカーは速いよ!」と笑いながら彼。
彼はいろいろな視点からラリーを見せてくれた。速いコーナー、タイトなコーナー、難しい複合コーナー、ジャンピングスポット…。
後ろから追ったり、前から近づいたり、併走(?)したり、ホバリングしながら解説してくれたり。木や電線すれすれに飛ぶこともあった。彼のヘリ操縦技術には、ラリーで培った独特の動体感覚が塗り込められているんだろうなと思った。
チェックポイントでは、近くに空き地を見つけて降りてくれた。「こんな狭いところに降りるの!!」とびびったこともあった。
最高の体験だった。痺れるような体験だった。
しかも、そのラリー、1975年ラリー・フィンランドの勝者は「ハンヌ・ミッコラの駆るトヨタ・カローラ」だったのだからもう痺れまくった。
痺れるような出来事は、ラリーが終わった翌日にも起こった。ハンヌ・ミッコラがウィニングマシンと同型のカローラのサイドシートに乗せてくれたのだ。
普段着のままでノーヘルだから、ちょこっと感触だけ、と思って乗ったのだが、速かった!! 難しい複合コーナーでも、本戦さながらのドリフトを見せてくれた。
本戦はもっとずっと速いに決まっているが、僕には本戦を感じさせるほどの異次元体験だったということだ。
このラリー中、僕は四つ葉のクローバーを見つけた。押し花にして小さな額に入れ、今も居間のコーナーテーブルの上に置いてある。
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。