2018.09.14
ミニのスペシャルなブランド戦略
ニュー・ミニ(BMW)は、クルマのデザインも魅力的だが、パーティなどのブランド戦略にも目を見張るものがある。今回はパリのデビュー・パーティに思いを馳せる。
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
発進で気合いを入れると、すぐ前輪は空転。コーナーをちょっと攻めすぎると強いアンダーステア。そこでうかつにアクセルを緩めると強烈なタックイン…そうとうな曲者でありジャジャ馬だった。
1975年と1977年にクーパーSがモンテカルロ・ラリーを制覇すると、ミニの人気、いや「ミニ・クーパーSの人気」は一気に世界を席巻した。
その勢いはわが家にも及んだ。兄がクーパーSを買ったのだ。1978年だったと思う。ボディカラーはモンテカルロ・ウィナーを真似た赤と白。ナンバーも「3298」を手に入れた。
兄と一緒にジャジャ馬慣らしの修行に励んだ。楽しくもスリリングな修行だった。
小さなクルマで大きなスポーツカーをぶち抜く楽しさもずいぶん味わった。いや、楽しさと言うより快感といった方がいい。
アメリカ人デザイナー、フランク・スティーブンソンは最高の仕事をした、傑作を生み出した。それが僕の第一印象だった。
そんなニュー・ミニのデビューは2000年のパリサロン。しかし、僕は、その前夜に行われたパーティで一足先にニュー・ミニを見た。
パーティは由緒あるパリ市内の美術学校が舞台だった。BMW主催のパリサロン前夜祭だが、会場はミニ一色に染め抜かれていた。
会場はそれほど大きくはなかったが、粋で、お洒落で、華やかで、盛大なパーティだった。
招待されたのは一部ジャーナリストと、地元パリの方々。デーラー経営者や見込み客がペアで招待されていたようだ。
一般招待客のほとんどはスタイリッシュに装った人たちだった。20才代から70才代くらいまで、年齢層は幅広かったが、当時の流行の先端を走る、モノトーン系でビシッとキメた人が多かった。
会場に置かれたミニは1台だけ。シルバーのボディとブラックのルーフ。こちらもモノトーンでキメていた。
白髪の男性、金髪の女性、ともに初老の素敵なカップルがミニに乗り込み、楽しげに品定めをしていたが、終始笑顔だった。
美しい身体の線をあらわにした黒のパンツスーツに鮮やかな赤いエナメルのパンプス。そんな装いの女性も、興味深げに品定めをしていたが、ほんと、よく似合っていた!
こんな人たちがニュー・ミニのターゲットなんだ、いいなぁ! と思いつつ眺めていたことを覚えている。
そんなミニの足跡を考えれば、ニュー・ミニがデビューの場にパリを選んだことはすんなり腑に落ちる。同時に、ニュー・ミニとパーティに招かれた人たちを見て、次なるミニワールドの展開のイメージも掴めた。
パーティ会場の装いにも同じことが言えた。
由緒ある建物の縦長の窓には布のスクリーンが張られ、ニュー・ミニの、スタイリッシュで、エネルギッシュで、ハッピーなライフスタイルの映像が投射されていた。
スクリーンの間の壁に配置されたキャンバスには笑顔を誘うポップな絵が。ところが、白いままのキャンバスもあり、そこではTシャツ姿のアーティストが絵筆を振るっていた。
そして、会場にはかなりの音量でクラブミュージックが流れる。すべてが一体になって、「新しいミニ・ワールド」が見事に演じられていた。
気にしなくてもいいことかもしれないが、日本人の僕としてはちょっと首を傾げたこともあった。「THE TASTE OF ZEN」と名付けられた和食だ。
パリ、とくに流行に敏感な人たちやインテリ層に和食人気が急上昇し始めていた頃だったので、ニュー・ミニお披露目パーティに和食カウンターが用意されるのに不思議はない。
で、「禅の味わい」だが、鮨はよかった。が、焼き肉丼はそうとう甘ったるく、安い定食屋のような大雑把な盛りつけにガッカリした。人気は上々だったが…。
ハンブルク港の一角に、大型コンテナ28個を組みあわせて、プレゼンテーション会場とディナー会場が作られていたのには驚いた。
試乗途中のランチストップで、建物の脇を流れる大きな河のど真ん中にミニを浮かべた仕掛けにも驚いた。
ミニのイベントでは新しいデザイン・ホテルがよく使われたが、それも楽しみのひとつだった。
僕自身は、最近まで2台のスペシャルミニを持っていた。クーパーS・ハイゲート・コンバーチブルとクーパー・ベイズウォーターの2台。楽しいコンビネーション、格好いいコンビネーションだった。
ミニは2016年、2017年と連続して、日本でいちばん多く売れた輸入車だ。2018年もほぼ間違いなく、その座に座り続けるだろう。
ミニには多くの思い出がある。そんな中でも、今回ご紹介したパリのデビュー・パーティは忘れられない。楽しかっただけでなく、ブランド戦略面でも多くを勉強させてもらった。
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。