2018.10.27
カペラ・ロータリーでL.A.とN.Y.往復の旅
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文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
それまで経験したことのない回転の滑らかさ、箱根の山をハイペースで駆け上がる切れ味鋭いパワー、格好よく言えば「風のよう!」だった。低いノーズと長く薄いテールにも風を感じた。新たな時代の到来を感じた。
翌1968年には、マツダ2台目のロータリー車、ファミリア・ロータリークーペが誕生した。軽量コンパクトなボディと強力なロータリーエンジンのコンビネーションは、日産GT-Rと熱いバトルを繰り広げるほど速かった。
そんなファミリア・ロータリークーペが誕生して間もない頃、マツダから僕にすごい話が飛び込んできた。「エンジンを封印して10万kmを走る企画をしている。ぜひ参加してほしい」という依頼だ。
コースは検討中とのことだったが、大雑把に言えば、欧州をスタート、オーストラリア、アラスカ、カナダ、アメリカ、最後に日本1周といった感じだったように記憶している。
リスクを負って冒険的なチャレンジをするのではなく、ロータリーエンジンの耐久性を証明するのがいちばんの目的だった。
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当然、10万kmのすべてを走れるわけではないが、できるだけ多くの区間を担当しようと思った。もうワクワクだった。
ところが、このワクワクな企画は中止になってしまった。理由はマツダにあったのではない。政治的理由だった。当時、日本とオーストラリアの間には経済・通商問題で大きな摩擦があり、両国関係はピリピリした状態だった。そんな状況で、いらぬ刺激を与えない方がいい、といった判断で中止が決まったようだ。
その代わりに(というにはスケールが違いすぎるが)、「次に出るカペラでL.A.とN.Y.を往復してほしい」ということになった。
10万kmから1万kmへのスケールダウンにはガッカリしたものの、これまた未知の体験であることにかわりはない。
ファミリアの10万kmはエンジンの耐久性証明が目的だったが、カペラは新型車の長距離テストが目的。重要市場のアメリカとの相性等を含めて、長所と課題を拾い上げてきてほしいといった内容だった。
メンバーは僕とマツダ実験部員の二人。走り方もスケジュールもすべて二人に任せるとのこと。気楽なような、重荷を背負ったような、妙な感覚だった。
で、二人で相談の結果、往路は現地の人たちに合わせたドライブ・スタイルで走る。できるだけ多くの町に寄って、路面との相性とか使い勝手をチェックしようと決めた。
運転はもちろん、メカにも強い若手実験部員が相棒なのは心強い。携行部品も少なく二人の荷物も少なかったので、まるで週末の小旅行といった感じだった。
カペラは茶色っぽいオレンジ色のクーペ。日本ではそこそこ目立ったが、まだ恐竜全盛時代のアメリカではほとんど目立たなかった。
まず目指したのはラスベガス。L.A.から少し離れるともう砂漠地帯に。初夏の陽光はサングラスなしにはいられないほど眩しい。
L.A.からラスベガスを走るのは2度目だったが、広大な砂漠の中、ほぼ直線的に地平まで続くハイウェイのスケール感には圧倒された。
ときどき出会うドライブインがオアシス。大きなグラスにどっさり入れた氷の上から注がれるアイスティが美味しい。ちなみに、バターをタップリ塗り、その上からこれまたたっぷりメープルシロップをかけたパンケーキとアイスティが僕の大好物だ。
ときどきハイウェイを外れて未舗装路に入り、サボテンと記念撮影をしたりもした。
ラスベガスでは「1日遊んじゃおう!」と意見が一致して2泊。昼はほとんどプールサイドで、夜は街とカジノの散策。「俺たちなにしにきてるんだ!?」と大笑いしながら過ごしたラスベガスの休日だった。
カペラ・ロータリーはなんの問題もなく、7日でN.Y.に着いた。シカゴやN.Y.での運転は、最初こそ少し緊張はしたものの、すぐに馴れた。
往路がアバウトで楽な旅だったので、復路(往路とは違うコース)はタフに走ることにした。「給油と食事以外はノンストップ」、「できるだけハイアベレージ」と決めた。
スピード違反で捕まってもレッドカードは避けたい。ので、イエローカード内の20〜25マイル超(80〜90マイル)をメドに走った。
朝夕のラッシュ時に大都市エリアに入ると渋滞にはまるし、ハイウェイが途切れるところ、迂回路等々もあって、平均速度はイメージしていたものより低くなってしまった。
それでも、ほぼ2日半の60時間ほどでL.A.に到着。距離はざっと5000kmだから、平均速度は83km/hくらい。まあ悪くないし、それなりの達成感もあった。
60時間一睡もしなかったが、たまに軽い眠気がくるくらい。L.A.に着いた時も疲れらしい疲れはほとんど感じなかった。若かったのだろう。
カペラ・ロータリーは些細なトラブルさえなく、ドライバーもそれは同じだった。まるでちょっとしたショートトリップを楽しんだような感覚だった。
それだけに、ファミリア・ロータリーの10万㎞トライアルの中止が、余計残念に思えてならなかった。
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。