2018.11.23
富士スピードウェイの30度バンクを日産R382で全開!
あまりの危険さゆえに10年で閉鎖された富士スピードウェイの30度バンク。まつわる思い出はたくさんあるものの、もっとも感慨深いのはレーシングドライバー黒沢元治氏の全開走行に同乗したことだ。
- CREDIT :
文/岡崎宏司(自動車ジャーナリスト) イラスト/溝呂木 陽
1974年以後は放置、朽ち果てるままになっていたが、2005年に整備され「30度バンクメモリアル」として復活、一般開放されている。
このバンク、僕は何度も走っているが、ほんとうにすごかった。いや、すさまじかった!

最高速度のそれほど高くない箱(クローズドボディのツーリングカーやGTカー)ならまだしも、フォーミュラカーやトップカテゴリーのスポーツカーでのバンク突入は痺れた!
当時は、レーシングドライバー経験者の自動車ジャーナリストなどいなかったので、僕はレーシングカーの試乗記も依頼されていた。
そんなことで、国内メーカーの「箱」のワークスカーにはほとんど乗った。
具体的に言えば、下はカローラやサニー、上はGT-RやフェアレディZ、ロータリー勢やトヨタ1600GTといったところだ。
鈴鹿サーキットや船橋サーキットも使ったが、もっとも多かったのはFSW。となると、当然30度バンク走行は必須となる。
テストコースのバンクなら、経験を重ねれば要領もわかってくる。恐怖心も少しづつ克服できる。が、FSWのバンクはそうはいかない。
深く、絶壁のように立ちはだかるバンクそのものも怖かったが、それ以上に怖かったのは路面の荒さ(舗装の悪さ)だった。
「馬の背」と呼ばれるこぶのようなうねりがその象徴だが、バンクの壁に強烈なタテGで押しつけられながらここを通過する時のマシンへの、そしてドライバーへの負荷は厳しい。
マシンが、ドライバーが、煽りをこなしきれなければ、そのままコントロールを失い事故に直結する。加えて、バンク下から吹き上げてくる横風の強さが予測不能なのも怖かった。
ある雑誌の取材のための走行時のこと。カメラマンからどうしても同乗撮影したいとの希望が出た。クルマはGT-Rだったと思う。
それは「バンクを全開走行する緊迫感が撮りたい」とのことだった。
僕は希望通り、2ラップめから全開でバンクに入り、馬の背も全開で通過した。そして馬の背を超えた辺りから急坂を斜めに横切るようにバンク下へと下りていった。
ところが、どうもシャッターを切った気配がない。ので、少しスピードを落とし、「どうでした? いい写真撮れました?」と聞いた。
すると、カメラマンは恥ずかしそうに、「いえ、撮れませんでした」とひと言。
「えっ、どうして?」と僕が返すと、さらに恥ずかしそうに…「バンクでは身動きできないっていうか、身体もカメラも金縛りにあったみたいになってしまって…」と。
当時のカメラでは、ファインダーを覗いて、ピントを合わせて、といったステップを踏まなければまともな写真は撮れない。しかし、強烈なタテGに激しい揺れ/振動が加わって、なにもできなかった、ということだ。
次のラップから速度を落として撮影は無事終わったが、カメラマンは初めての体験への驚きと、思い通りに撮影できなかったことで、かなりショックを受けたようだった。
日産R382といえば、1969年の日本GPで、トヨタ7、ポルシェ917を破り、黒沢元治と北野元が1、2フィニッシュを果たしたマシン。
日本レース史上を通じて、もっとも輝やいているマシンの1台である。そのR382で、FSWを、30度バンクを、全開走行。僕は、そんな貴重な、ハッピーな体験ができたのだ。
とは言っても、僕がステアリングを握ったわけではない。もし、握ったとしても、FSWを全開で走ることなどできるはずもないし、ましてや30度バンクに全開で飛び込むことなどできっこない。
そう、僕はR382のサブシートで、超刺激的かつ貴重な体験をしたということだ。
ドライバーは黒沢元治。6ℓ・V12を積むモンスター、R382を駆って1969年日本GPを制したドライバーだ。
ガンさん(黒沢元治さんの愛称で、僕もそう呼んでいた。ちなみに現在はLEON RACINGの監督を勤められている)は、サブシートの僕に向かって、「オカチャン、全開でいく?」と笑顔で聞いてきた。
「もちろん全開でお願いします!じゃないと、ガンさんの横に乗る意味ないでしょ!」と僕。
初めは流していたが、最終コーナーを立ち上がると、いきなり全開モードに。そこでまず驚いたのはR382の強烈な加速。頭と身体が巨大な力でシートに押しつけられる。それはまさに未体験ゾーンの加速だった。
当時すでに、220〜230k m/h 辺りまでは経験していたし、感覚的にも難なくついていけた。が、300k m/h 超えはそうはいかなかった。周りの景色が飛んで見えるような感覚だった。
新幹線「のぞみ」の車窓から見る、通過駅でのイメージに近い感覚とでも言えばいいのだろうか。
そして、バンクへの進入速度の速さに度肝を抜かれた。バンクが恐ろしくタイトに、厳しくそそり立っているように感じた。
でも、怖さはまったくなかった。マシンが、スピードが、完全にドライバーのコントロール下にあると感じていたからだろう。ただ単純に、「すごい!」という驚きと、未体験ゾーンに飛び込んだ快感を感じるだけだった。
馬の背も難なく通過した。箱より100km/hも速いのに、箱よりずっと安定していた。
巨大なすり鉢の上から下に向かって斜めに駆け下りる間も、僕は快感しか感じなかった。「夢見心地」とはこんなことを指すのだろう。
「FSW30度バンク+330km/h+日産R382+黒沢元治」。僕の生涯の宝物である。
1940年生まれ。本名は「ひろし」だが、ペンネームは「こうじ」と読む。青山学院大学を経て、日本大学芸術学部放送学科卒業。放送作家を志すも好きな自動車から離れられず自動車ジャーナリストに。メーカーの車両開発やデザイン等のアドバイザー、省庁の各種委員を歴任。自動車ジャーナリストの岡崎五朗氏は長男。