2021.01.13

父・秋山亮二へのラブレター

写真家の娘として生まれ50年……ようやく父の不器用な愛に気づいた娘が、父の作品を見て感じ取ったこととは。

CREDIT :

文/秋山 都

LEON.JP食いしん坊担当の秋山都です。
今日はいつもの美食ネタではなく、私の家族のお話をさせてください。
▲FUJIFILM SQUARE(東京・六本木ミッドタウン)で3月末まで展示されている秋山亮二による写真「津軽 聊爾先生行状記」
「うちのパパは、ほかのおうちのお父さんとちょっと違う」

ということに気づいたのは小学校2年生のころでした。まずは朝食のシーンで。お友達のお父さんは朝ごはんを一緒に食べて、その後「カイシャ」というところにおでかけするようですが、うちの父は平日でも日曜でも10時ごろまで寝ているので、朝ごはんを一緒に食べたことはありません。それどころか、数週間~数か月の単位で旅に出てしまうので、家にいないことも多々あり、家庭のなかに「父」の姿はほとんどありませんでした。

もちろん学芸会や運動会、授業参観などにも来たことはなく、極めつけは両親出席が必須の中学受験面接にも欠席したこと。この日は旅に出ていたわけではなく、物理的には出席が可能だったにもかかわらず「ぼくはそういう場所には行きたくない」と断固拒否しました。困った母は「主人は仕事の都合がつかず……」とかなんとか言い訳したようですが、そんな状況にもかかわらず合格させてくれたS学園には感謝の気持ちで一杯です。
このころから、父は私のことに関心がないのではないかと疑うようになりました。そのもっとも顕著な例は、私が18歳で大学へ入ったとき、普段私に話しかけることのない父が「最近の高田馬場はどうだい?」と聞いてきたこと。父は自分が卒業した早稲田大学に私も入学したと思い込んでいたのでした(私は早稲田に落ちていました)。同様に、就職してまもなく、「きみ、最近朝早いけどどこに行ってるの?」と聞いてきたこともあったっけ。「パパ、私は就職したんです」とあきれながら説明しても「あぁ、そうなの」とどこ吹く風。

ではまったく無視するのかというと、そうでもないのです。たとえば、クラブで遊んで朝帰りすると、そのころは早起きするのが常になっていた父が抹茶を点ててくれたことがありました。たまに食事をともにすると、エラリー・クイーンや内田百閒など、その時々に娘(私です)が読んでいた本の話題で盛り上がります。また、男の子と沖縄へ旅行すると伝えたときには「XXXっていうナイトクラブが面白いよ」と夜遊び情報まで教えてくれるのでした。

つまり、父は私に絶対的な無関心というわけではなく、私の“娘”というステイタスには関心がないようなのでした。同じ家に住む、ひとりの人間としてなら興味もあるし、それなりに愛情も寄せるというスタンスなのでしょうか。そこに気づくまで30年くらいかかりました。
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どんなきっかけで気づいたか? 実はそこには父の作品がありました。

申し遅れましたが、私の父の職業は写真家です。カメラマン、フォトグラファーと言うと華やかな環境を想像されるかもしれませんが、父は商業写真家として売れているわけではなく、自分の作品を撮り続けてはカメラ雑誌に発表し、ときに個展を開催するという地味なアーティストです。

その父が撮るのは人。有名人ではなく、市井の人です。インド、津軽、ニューヨーク、中国、楢川村(木曽)、奈良など、その都度興味をもった土地を何度も訪れ、ときにそこで短期間暮らしながら作品を撮るのですが、そこに写っている人々の姿や切り取られ方には、父独特の視点や距離感があり、みる人によっては「シニカル」「醒めた視線」と感じられることもあるかもしれません。

でも、父の作品を長年みてきた私からすれば、写真を撮る父の内にあるのはまぎれもない「愛」だと思うのです。不器用で、直截には言えない父なりの愛情の伝え方が、ファインダーをのぞいてシャッターを落とすという行為だったのでしょう。
つい先日も、私が父のデビュー作となった写真集『津軽 聊爾先生行状記』(1978年刊)を再編集して復刊させるため、膨大なフィルムを整理した際のこと。この写真集には私がソロで写っているカットが1点あり(そしてそのカットの自分はあまりかわいく見えないので、私は好きではありません)、そのカットを『新編津軽 聊爾先生行状記』にも収めるか否か考えながらアザ―カットを見ていたら、出てくる、出てくる……私が被写体となったカットがやまほどあったのです。
▲写真集『新編津軽 聊爾先生行状記』に収められた私のファミリーポートレート(中央が筆者)
これら『津軽~』の作品は、父はじめ私の家族がおよそ2年間青森県弘前市に移住しながら撮影されたものです。父はどこかの通信社から派遣された写真記者であるという架空の役割を自分にあてることでテーマを見出し、日々愛機のローライフレックスを首からぶら下げて出かけていましたが、まさか父のファインダーに私がこれほど登場していたとは……私、ちゃんと父の視界に入っていたんですね。あれから40年以上が経って初めて知ることでした。なんか父と娘の感動物語みたいになっちゃって……どうもすみません。

といっても、父の作品は決してハートウォーミングなものではありません。ではどんな? と思いますよね。現在、FUJIFILM SQUARE(東京・六本木ミッドタウン)にて、写真歴史博物館 企画写真展として「津軽・聊爾(りょうじ)先生行状記」を3月末まで展示していますので、もしご興味をお持ちいただけたのであれば、足をお運びいただけましたら。
▲『新編津軽  聊爾先生行状記』3,600円(税別)rojirojibooks刊
また、娘が30年におよぶ編集者としてのキャリアを活かし(笑)、再編集した父の写真集『新編津軽 聊爾先生行状記』も、展示会場であるFUJIFILM SQUARE、青山ブックセンター本店(東京・表参道)、スタンダードブックストア(大阪)、恵文社一乗寺店(京都)、青森県立美術館ミュージアムショップ(青森)ほか各オンライン書店(shashashaONREADING)などでも発売中です。こちらも合わせてお手にとっていただけたらうれしいです。こちらは初版が1978年に発行されて以来、古書マーケットで数万円で取引されている幻の写真集の復刻です。写真好きな方なら、きっと楽しんでいただける内容かと。

最後になりましたが、娘から父へのラブレターとでもいうような内輪ネタを許してくれた石井洋編集長を始めLEON.JP編集部のみなさんへ感謝を申し上げます。ありがとうございました。

秋山亮二写真展「津軽 聊爾先生行状記」

場所/東京都港区赤坂9-7-1
   フジフイルム スクエア(ミッドタウン・ウェスト 1F)
日程/開催中~3月31日(水)
時間/10:00~19:00
展示について

秋山亮二/Ryoji Akiyama

1942年 、東京都生まれ 。
早稲田大学文学部卒業後、 AP通信、朝日新聞社写真部を経てフリーの写真家に。6×6版の二眼レフで人々の生活を撮影し、 NY、インドネシア、中国など「旅する者の視点」から対象を淡々と捉えた作品を発表し、独自の世界観を構築した。作品はニューヨーク近代美術館、東京都写真美術館、宮城県立美術館、呉市立美術館、川崎市市民ミュージアム、青森県立美術館などに収蔵。
作品集に『津軽・聊爾先生行状記』(津軽書房)、『ニューヨーク通信』(牧水社)、『楢川村』(朝日新聞社)、『奈良』(游人工房)など。 2019年に刊行した『你好小朋友』 復刻版(青艸堂)は中国で発売初日に初版が完売 。続いて2020年6月に刊行した続編『光景宛如昨』(青艸堂)も中国と日本の両国で話題を呼んでいる。最新刊にデビュー写真集を再編集して復刻した『新編津軽 聊爾先生行状記』(rojirojibooks刊)。

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