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2020.03.24

大人なら知っておきたい。ジーンズの歴史【前編】〜なぜデニムはファッションになったのか?〜

ワークウエアとして誕生したデニムが、なぜ世界中で愛されるファッションアイテムになったのか。当時の写真とともにデニムの歴史を辿ります。前編はゴールドラッシュに沸く金鉱から、ジェームス・ディーンなどのムービースター、フラワームーブメントまでを追います。

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文/竹内 虎之介(シティライツ)

デニムがファッションアイテムのひとつであることは当たり前。いまさら言うまでもない事実ですね。一方で我々は、デニムがワークウエアとして誕生したことも知っています。では、デニムはいつからファッションになったか、と考えてみると、案外すぐには答えられないもの。というわけで、ここでは知っているようで意外に知らないデニムのファッション史をあらためておさらいしてみようと思います。

デニムは一夜にしてファッションになった!?

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ゴールドラッシュで金鉱を仕事場とする鉱夫たち(1880年)。Ullstein bild/アフロ
一夜にして巨万の富を得る者がいる一方、夢破れ、一夜ですべてを失う者がいる。活況を呈した金鉱の町は金脈を掘り尽くすや、まるでサーカスの日々が終わるように一夜にしてゴーストタウンと化していく…。ゴールドラッシュに沸く19世紀半ばのアメリカ西部、デニムは一攫千金を夢見る男たちのハードワークに耐え得る、頑丈なオーバーオールとして産声を上げました。

そんな生粋のワークウエアたるデニムがファッションアイテムとして広く普及するまでには、そこから約1世紀の時間を要します。しかし、100年の歳月をかけて徐々に日常生活に浸透していったわけではありません。デニムは、まるで自らが生まれた時代のダイナミズムを記憶しているかのごとく、いわば一夜にしてファッションと化したのです。
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ウエスタンスタイルという予兆

予兆はありました。それは1930年代のこと。1929年の株価大暴落から始まった前例のない恐慌のなか、牛肉が売れずに困り果てた生産牧場主たちは、自らの牧場をデュードランチ(観光牧場)へと転換していきます。これが見事にヒット。映画のなかに生きるノスタルジックな大西部を体感できる娯楽として都市の人々の心を捕らえます。そして、この機を逃さなかったのが在庫の山を抱えるデニムメーカーでした。彼らは「ジーンズでウエスタンスタイルを!」の合言葉のもと、ムービースターとデニムのイメージを巧みに重ね合わせ、デニムをデュードランチで過ごす際の“お約束”へと仕立て上げていったのです。

とはいえ、デュードランチでの時間はあくまでも非日常。ファッション化したデニムもまだまだコスチュームの枠のなか。現在で言えば、野球やサッカーの観戦時に着るユニフォームのような存在だったといえるでしょう。デニムがいまのように日常的なファッションアイテムへと姿を変えるには、その後登場する“彼ら”の存在が不可欠でした。

怒れる“若者”の代弁者となったデニム

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映画『青春カーニバル』(1964年)の広告スチールに出演したエルビス・プレスリー。Shutterstock/アフロ
第二次世界大戦によって一躍世界の超大国と化したアメリカに、戦後、かつてない繁栄が訪れます。そして時代の潜在意識はニューヒーローの登場を促しました。1950年代、デニムの華麗なる転身もまた彼らの登場とともに訪れるのです。

1953年、映画『乱暴者』公開。主演マーロン・ブランド。1955年、映画『理由なき反抗』公開。主演ジェームズ・ディーン。1956年、テレビ番組『CBS-TVトミー・ドーシー・ステージ・ショー』。出演エルビス・プレスリー。
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映画『理由なき反抗』に主演したジェームズ・ディーン。Album/アフロ
極論を恐れずに言えば、デニムのファッション化はこの3人の衝撃的なパフォーマンスによって、一夜にして成し遂げられたと言ってもけっして過言ではないでしょう。当時としては反社会的かつ、あまりにもセクシーな身体表現に大人たちは眉をひそめ、若者たちは熱狂します。3人の下半身をぴったりと包んだデニムは、若者という新たな社会的存在が放つ異議申し立ての代弁者として、ついに街へと解き放たれたのです。
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映画『乱暴者』のマーロン・ブランド。Collection Christophel/アフロ

白デニはアイビーリーガーの隠れ蓑

その頃の若者がどれだけデニムに魅せられたかを知るエピソードに、ホワイトデニムの幻惑とでも呼ぶべき裏話があります。これはアイビーリーグに代表される東部名門校の学生たちが、こぞってホワイトデニムをはいて登校したというものなのですが、当時のアイビーリーグには、まだまだ厳格なドレスコードが存在していました。当然、ワークウエアたるデニムなんてもってのほか。そこで学生たちは、誕生間もないホワイトデニムに目をつけました。「白ならデニムとバレないだろう」というわけです。裏を返せば、そうまでして彼らはデニムをはきたかったのです。 
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新たな世代のアイコンへ

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アメリカで端を発したロックの波はイングランドへも伝播。1969年のワイト島フェスティバルで、ボブ・ディランのライブ演奏に押し寄せるヒッピースタイルの若者たち。AP/アフロ
デニムのもつ意味の進化は、その姿をも変容させました。スリム、ベルボトム、カラージーンズ、さらにはパッチワークやさまざまな刺繍を施した現代アートさながらの一本など、デニムはまさに若者たちの溢れ出るエネルギーを自由に表現するためのキャンバスとなります。

そんななか1969年には、ニューヨーク州ウッドストックで「ウッドストック・ロックフェスティバル」が開催され、エネルギーの出力は最高潮に達します。彼らの叫びを乗せたロックのビートは全米から世界へと伝播。デニムもまた、新たな世代のユニフォームとして世界中の若者たちを虜にしていきました。デニムをはくことが最高にクール…そんな時代がやって来たのです。
 
そして時代は傷心の1970年代へ。若者の祭典は長くは続かず、ウッドストックから放たれた自由の叫びはかき消されます。しかし、すでにデニムを自らの皮膚と同化させた世代が、その後ライフスタイルのなかからデニムを手放すことはありませんでした。

あくまでムーブメントの象徴であったデニムは、その後最先端のお洒落なカジュアルウエアとして若者たちの間で広がっていくことになります。1970年代からの目を見張るデニムの躍進は続く後編にて。

●竹内 虎之介(たけうち とらのすけ)

ヴィンテージテイストのカジュアルウェアを扱うアパレルブランドを経て2001年よりフリーランスのライターとなる。2004年にライティングユニット『City Writes(シティライツ)』を結成。現在はLEONをはじめファッション誌を中心に活動。その他カタログやウェブサイトのコピーなども手掛ける。

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