2017.09.26
デニムはなぜ世界一愛される存在になったのか? その歴史を紐解く【後編】
ワークウェアからファッションに進化したデニムの前半史を紐解いた前編。後編では今日まで続く、ファッションアイテムとしてのデニムの足跡を辿ります。
- CREDIT :
文/竹石安宏(シティライツ)
ヒッピーの象徴からお洒落なカジュアルへ
そんなカウンターカルチャーはアートや映画、音楽、ファッションなどに多大な影響を及ぼすのですが、デニムはそのシンボルのひとつでした。つまり当時のデニムはサブカルチャーであり、まだメインカルチャーではなかったのです。
とはいえ、デニムは当時の若者たちに絶大な人気を博すようになったのはたしかなこと。1970年代に入るとリーバイスやリー、ラングラーといった、元々はワークウェアとしてデニムを生産していたオリジンメーカーだけではなく、純粋なファッションとしてデニムを打ち出すブランドも出現してきます。
1991年にスタートしたディーゼルの広告キャンペーンは、強烈なビジュアルと若者に向けた鮮烈なメッセージで世界を驚かせた。
大いに物議を醸したビジュアルは若者たちに広く支持され、広告業界でも高く評価された。
このキャンペーン中のいくつかの作品は、カンヌ国際広告祭のグランプリや金賞、ユーロベストのグランプリ、金賞やエピカの金賞などこれまでに数多くの賞を受賞した。
1998年には、その年広告界で最も輝かしい功績を残した人に贈られるカンヌ国際広告祭の「アドバタイザー・オブ・イヤー」をレンツォ・ロッソが受賞した。
1993年の広告ビジュアル。「1日に145本喫煙する方法」と題された下には、「そもそも誰が2つも肺を必要なのさ?」と記されている。このキャンペーンにはビジュアルに劣らない強烈でユーモアあふれるメッセージが添えられていた。
若くセクシーな女性の後ろには金色の年配男性たち。「愛に支払いをさせる方法」と小さく書かれている。この一連のキャンペーンを通じ、ディーゼルは90年代でおそらく最も"ホット"なデニムの地位を獲得した。
レンツォ・ロッソと10年間タッグを組んでこの“DIESEL FOR SUCCESSFUL LIVING”キャンペーンを作り上げたひとり、Jocke Jonasonはすべての作品が「挑発的で面白く、そして知的だった」と話す。
1991年にスタートしたディーゼルの広告キャンペーンは、強烈なビジュアルと若者に向けた鮮烈なメッセージで世界を驚かせた。
大いに物議を醸したビジュアルは若者たちに広く支持され、広告業界でも高く評価された。
このキャンペーン中のいくつかの作品は、カンヌ国際広告祭のグランプリや金賞、ユーロベストのグランプリ、金賞やエピカの金賞などこれまでに数多くの賞を受賞した。
1998年には、その年広告界で最も輝かしい功績を残した人に贈られるカンヌ国際広告祭の「アドバタイザー・オブ・イヤー」をレンツォ・ロッソが受賞した。
1993年の広告ビジュアル。「1日に145本喫煙する方法」と題された下には、「そもそも誰が2つも肺を必要なのさ?」と記されている。このキャンペーンにはビジュアルに劣らない強烈でユーモアあふれるメッセージが添えられていた。
若くセクシーな女性の後ろには金色の年配男性たち。「愛に支払いをさせる方法」と小さく書かれている。この一連のキャンペーンを通じ、ディーゼルは90年代でおそらく最も"ホット"なデニムの地位を獲得した。
レンツォ・ロッソと10年間タッグを組んでこの“DIESEL FOR SUCCESSFUL LIVING”キャンペーンを作り上げたひとり、Jocke Jonasonはすべての作品が「挑発的で面白く、そして知的だった」と話す。
ランウェイを闊歩したデザイナージーンズ登場
ジーンズ」を発表。当時13歳だった女優ブルック・シールズをモデルに起用し、写真家リチャード・アヴェドンが撮影した広告が大きな話題となりました。
こうしてカルバン・クラインはストリートからランウェイへと押し上げることで、デニムをメインカルチャー、果てはセレブの必須アイテムへと昇華することに成功。その快挙に他のデザイナーたちも触発され、1970年代後半から1980年代前半にかけ、“デザイナージーンズ”というムーブメントが世界中で巻き起こるのです。
不滅の定番デニムの進化は止まらない!
そんな次なる反逆の狼煙は、ここ日本で上がります。需要の拡大に応えるために、大量生産されたデニムのクオリティに満足できない日本人。彼らが1980年代後半から1990年代前半にかけ、道具としてのクオリティを競い合っていた時代のヴィンテージデニムを、現代に甦らせようとするブランドを次々と創業。それらのブランドが作るデニムは“レプリカジーンズ”と呼ばれて一大ブームとなり、1990年代中頃には日本中の若者たちを熱狂させました。
80年代末、加熱しつつあったヴィンテージブームをいち早くキャッチし、大ヒットした雑誌「Boon」。その誌面には日本中から集めたヴィンテージデニムや、日本発信のレプリカデニムがずらりと並ぶ。協力/祥伝社
レプリカジーンズの先鞭ともいえるエビスジーンズは、海外で最も正解した日本のデニムブランド。協力/祥伝社
デッドストックデニムも90年代には高騰し続けていた。協力/祥伝社
リーバイスの古着は時代による変遷から、微妙なモデルの違いまでショップ、雑誌ともにマニアックに深掘りされていた。協力/祥伝社
日本中の古着屋がレアアイテムを求めて、海外から買い付けていた時代。最近ヴィンテージ人気が再燃しているが、この当時のムーブメントは圧倒的な規模だった。協力/祥伝社
80年代末、加熱しつつあったヴィンテージブームをいち早くキャッチし、大ヒットした雑誌「Boon」。その誌面には日本中から集めたヴィンテージデニムや、日本発信のレプリカデニムがずらりと並ぶ。協力/祥伝社
レプリカジーンズの先鞭ともいえるエビスジーンズは、海外で最も正解した日本のデニムブランド。協力/祥伝社
デッドストックデニムも90年代には高騰し続けていた。協力/祥伝社
リーバイスの古着は時代による変遷から、微妙なモデルの違いまでショップ、雑誌ともにマニアックに深掘りされていた。協力/祥伝社
日本中の古着屋がレアアイテムを求めて、海外から買い付けていた時代。最近ヴィンテージ人気が再燃しているが、この当時のムーブメントは圧倒的な規模だった。協力/祥伝社
メインファッションのカウンターとして、ワークウェアだった頃のデニムを甦らせるのもこれまた皮肉なお話ですが、レプリカジーンズのブームは日本に止まらず欧米へと波及します。“ハイクオリティ=ヴィンテージ”という基準が世界で認識されたのは、そんな日本発のレプリカジーンズの影響です。
現在でもメゾンブランドなどのラグジュアリーデニムには、少なからずヴィンテージテイストが見て取れるゆえ、レプリカジーンズはファッションとしてのデニムの進化に多大な影響を及ぼしたといえるでしょう。
その後も美脚ジーンズやセレブジーンズなど、世界のファッションシーンで大きなブームを巻き起こしてきたデニム。今日では流行やスタイルをも超越した絶対的存在として、現代ファッションに欠かせないアイテムとなっています。そして人類史上もっとも多くの人が纏った服であり、男の必携ワードローブの大代表であるデニムは、これからも不滅のファッションであり続けるに違いないでしょう。
●竹石安宏(たけいしやすひろ)
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