
帝国ホテルは、井上馨の発案で、新一万円札の「顔」になることで話題の渋沢栄一らが設立に携わり、「日本の迎賓館」の役割を担って開業した、伝統と格式のホテル。そのフラッグシップである帝国ホテル 東京には、現在約350名の料理人が所属していますが、その調理場を束ねる東京料理長に、38歳の杉本さんが任命されたのです。
そもそも、泣く子も黙る帝国ホテルが新たな東京料理長に選んだ、杉本さんとはいったいどんな人物なのでしょうか。彼の正体(?)に迫るとともに、フランス料理の楽しみ方についても聞いてみました。
帝国ホテルには常に挑戦を続けるDNAがある
「(第11代料理長で初代総料理長の)村上信夫と、(第13代東京料理長で第2代総料理長、現特別料理顧問の)田中健一郎はちょうど30歳違います。田中と私も30歳の年齢差があります。帝国ホテルには常に挑戦を続ける姿勢がDNAとしてあります。ですから、この年代差でバトンタッチすることに大きな違和感はないと思います」
杉本さんは千葉県銚子市生まれ。料理好きの祖父や父の影響もあり(お父様は今もお母様のために包丁を研ぐのだとか)、中学校の頃には横浜の中華街でマイ中華鍋を購入するほどの料理好きになっていたそうです。
家族や友人に料理をふるまう機会も多く(うらやましい!)、「高校の文集には、将来は料理人になりたいと書いていました」
両親の友人の結婚式で訪れ、料理に感動した帝国ホテルで料理人になる──。ほとんどの生徒が進学する高校でしたが、杉本少年の心は決まっていました。

「どの専門学校に行けば、帝国ホテルに入社できますか」
当時、ホテルの料理人は、調理師学校で学んでから、入社するというかたちが主流だったそうです。杉本少年は食い下がります。
「では、どの専門学校に行けば、御社に入社できるのかと聞きました。ホテル側は、『それはどの学校が確実ということではありません』と(笑)」
「ただ、(帝国ホテルの料理人には)武蔵野調理師専門学校の卒業生が多いということは教えてくれて。ほかの調理師学校の資料は一切見ず、迷うことなく、武蔵野調理師専門学校に進みました」
しかし、卒業した年に帝国ホテルでは採用を行っておらず、杉本さんは帝国ホテル内のレストランでアルバイトをしながら、本採用の機会をうかがいます。
ヤニック・アレノ、アラン・デュカスのもとで経験を積む
当時料理長を務めていた田中氏をはじめ、多くの人に反対されましたが、決意は変わりませんでした。こうして憧れの帝国ホテルを5年で退社。杉本さんは、コネもお金も語学力も就労ビザもない状態で渡仏します。
2つの三つ星レストランを持つヤニック・アレノ氏のもとではプルミエ・スーシェフを務め、アレノ氏を引き継ぎ、のちに史上最年少で三つ星を獲得したアラン・デュカス氏もとでは、エグゼクティブ・スーシェフとして活躍しました。
そんななか、「二度と敷居は跨げない」と覚悟していた帝国ホテルと再び縁があり、杉本さんは、帰国を決意します。
「帝国ホテルでなければ、(日本に)戻らなかったと思います。よく自転車に例えるのですが、自転車は、一度、乗り方を身に付ければ、少しブランクがあってもすんなり乗れますよね。それと同じです。5年という短い期間でしたが、私の料理人としての原点は帝国ホテルにあります。
「料理人としてどうあるべきか」という基本を帝国ホテルで学んだから、スムーズに戻ることができたのだと思っています。田中顧問は、サケに例えますけどね(笑)。川を出て海に行ったサケが、脂が乗った状態で戻ってきた、と」
杉本シェフがこの日の取材のために作ってくれた一品。フォアグラをポワレしてタルト仕立てにしたもの。「男性を意識した料理にしました」(杉本氏)。
タルトの中には玉ねぎを軽く炒めてロワイヤルしたもの、セロリのピューレが入っている。周囲にはコニャックでマリネした、イチジクやレーズンなどのドライフルーツを飾った。
杉本シェフがこの日の取材のために作ってくれた一品。フォアグラをポワレしてタルト仕立てにしたもの。「男性を意識した料理にしました」(杉本氏)。
タルトの中には玉ねぎを軽く炒めてロワイヤルしたもの、セロリのピューレが入っている。周囲にはコニャックでマリネした、イチジクやレーズンなどのドライフルーツを飾った。
何を食べてもらいたいかを、はっきりさせる
「何を食べてもらいたいかを、はっきりさせることを大事にしています。仔牛の料理であれば、仔牛の良さを引き出す調理法を用い、目を閉じてソースを口にしても仔牛のソースだとわかる料理を作りたいと思っています。付け合わせも、色合いや旬の素材についても、仔牛を引き立てるものを考えます」
「試作の段階で切った野菜など、部分的なところも撮りためておきます。今回作ったフォアグラのタルトもそうですが、あとで写真を見返して中身を変えたりしています」
アート好きな彼女と出かけてみてはいかがでしょう? また、少し先になりますが、2020年1月24日(金)には、杉本さんによるフルコースディナーイベント「杉本雄の“サンセリテ”」が開催される予定です。

TPOに合わせ、フランス料理を楽しんでほしい
「日本にはたくさんのフランス料理店があります。ひと口にフランス料理といってもクラシックなものから、モダンなものなど多彩です。私どものホテルにも、ファインダイニング(「レ セゾン」)に、ブラスリー(「ラ ブラスリー」)、よりカジュアルなダイナー「パークサイドダイナー」)もあります。
とはいっても、ファインダイニングの廉価版がブラスリーというわけではありません。仲間との会食ではブラスリーでわいわいと、特別な記念日にはファインダイニングを予約してといった具合に、TPOに合わせ、フランス料理を楽しんでいただきたいです。我々もそれぞれのレストランが持つ特長を生かし、よりその個性を明確にしていきたいと考えています」
「アイロンがけが好きというより、ピシッとさせるのが好きです」
また、自宅でも料理をするそうで、「なんでも作りますが、中華が多いです。中華料理は豆板醤(トウバンジャン)や甜麺醤(テンメンジャン)などの調味料をどうまとめるかという作業ですから、キッチンに立つ時間が短くてすむのです。ただ、ランチの調理と並行して、1日かけてディナーの準備をすることもあります」
なお、今年のクリスマスには、杉本さんのプロデュースするクリスマスケーキも登場するそうですよ!

● 杉本 雄(すぎもと・ゆう)
1980年11月生まれ。千葉県銚子市出身。1999年、「帝国ホテル」に入社し、料理人としてのキャリアをスタート。「帝国ホテル 東京」のメインダイニング「レ セゾン」の配属となる。2004年に退社し、渡仏。フランスではブルターニュのビストロ「ホテル・レクラン」を皮切りに、厨房だけでなくホールの接客サービスも経験した。2006年にパリのホテル「ル・ムーリス」へ。「ル・ムーリス」では、ヤニック・アレノ、アラン・デュカスのもとで、シェフとして研鑽を積む。また、同ホテルのメインダイニング(3つ星)では責任者の役割も担った。その後、2つのレストランで総料理長を務めた後、日本に帰国。2017年4月に帝国ホテルに再入社。調理部宴会料理課支配人を務めた後、2019年4月に、第14代目の「帝国ホテル 東京」料理長に就任する。