2023.06.25
【第34回】埼玉のラーメン
埼玉ごめんなさい。こんなに美味いラーメンがあったとは
日本初の料理評論家、山本益博さんはいま、ラーメンが「美味しい革命」の渦中にあると言います。長らくB級グルメとして愛されてきたラーメンは、ミシュランも認める一流の料理へと変貌を遂げつつあります。新時代に向けて群雄割拠する街のラーメン店を巨匠自らが実食リポートする連載です。
- CREDIT :
文・写真/山本益博 編集/森本 泉(LEON.JP)
まず北千住が埼玉の「隠し玄関」として紹介され、三ノ輪、南千住、竹ノ塚、小菅、西新井が俎上に挙げられ、埼玉は越谷しか登場しない。足立区は東京の極北で「寂しく、悲しい」といい、埼玉はさらにその先にあるという。
この落語は、かつての埼玉、それもわずか25年ほど前である。ひどいことに「ダサイタマ!」などと侮蔑されたこともある。いま思い出しても、埼玉までわざわざ食べに出かけたのは、浦和に鰻を楽しみに、大宮にフランス料理店を訪ねたくらいしかない。
麺の美味さが尋常じゃなかった「かねかつ」のつけ麺
左右を見渡すと、ほとんどの客が「醤油ラーメン」を食べている。もし、気に入ったら次回は「醤油」と心に決めて、「淡麗つけ麺」を待った。これが、スープと麺が見事な相性を見せて、とてもよかった。
次回はいつにしようか? と思案しつつ、帰りの西武電車に乗り込んだ。
続いては北浦和の「かねかつ」。JR「北浦和」駅から歩いて2分が魅力で選んだ。これが大当たり。「つけ麺」を食べたのだが、麺の美味さが尋常じゃない。何より、温度がいい。冷たすぎず、麺の味わいがしっかりとわかるほどよい冷たさ。小麦の香り、味わいが口腔を満たす。この麺に匹敵する麺はすぐに思い出せないほど。
その後、あまり間を置かずに、両店を再訪した。「鈴ノ木」の「醤油ラーメン」、「かねかつ」の「新玉とたらこのまぜそば」、どちらも素晴らしいラーメンだった。
麺よりスープより、はじめのナルトが、うまいの、なんの!
意を期して、平日にナビを頼りに杉並区から出かけた。少し余裕を見て、11時開店の30分前には着いていようと、家を9時に出た。ところが、一般道も関越道も空いていて、10時過ぎには着くとの予想だった。店に一番乗りかなと思っていると、なんと、すでに若い3人の男性が、店が用意してある椅子に座っていた。私が4人目、どうやら1回転目で食べられそうだと思っていると、みるみる私のあとに客が並び始めた。開店の11時には20人以上が並んでいる。「深緑」恐るべし。
こうなると、こちらもまずは腕まくりをして、ラーメンの登場を待った。まずはナルトに眼がゆく。カウンター内には「籠清」という小田原の蒲鉾の名店の立て札があり、このナルトこそ「籠清」製と思わせ、箸で摘まむと、厚みがある。麺よりスープより、はじめにこのナルトをいただくと、うまいの、なんの!
スープを飲み干すと、じわじわと感動が押し寄せてきた。そして、1日たった今日も、まだその感動が収まらない。東松山の「深緑」に最大の敬意を払いたい。今度は「白出汁」だ!
● 山本益博(やまもと・ますひろ)
1948年、東京都生まれ。1972年早稲田大学卒業。卒論として書いた「桂文楽の世界」が『さよなら名人芸 桂文楽の世界』として出版され、評論家としての仕事をスタート。1982年『東京・味のグランプリ200』を出版し、以降、日本で初めての「料理評論家」として精力的に活動。著書に『グルマン』『山本益博のダイブル 東京横浜&近郊96-2001』『至福のすし 「すきやばし次郎」の職人芸術』『エル・ブリ 想像もつかない味』他多数。料理人とのコラボによるイヴェントも数多く企画。レストランの催事、食品の商品開発の仕事にも携わる。2001年には、フランス政府より、農事功労勲章(メリット・アグリコル)シュヴァリエを受勲。2014年には、農事功労章オフィシエを受勲。
HP/山本益博 料理評論家 Masuhiro Yamamoto Food Critique
山本益博さんがYouTubeを始めました!
日本初の料理評論家、山本益博さんが、美味しいものを食べるより、ものを美味しく食べたい! をテーマに、「食べる名人」を目指します。どうぞご覧ください!
YouTube/MASUHIROのうまいのなんの!