2024.08.04
【第59回】 「新横浜ラーメン博物館」
30周年を迎えた「新横浜ラーメン博物館」はノスタルジーで味わい増し増し
日本初の料理評論家、山本益博さんはいま、ラーメンが「美味しい革命」の渦中にあると言います。長らくB級グルメとして愛されてきたラーメンは、ミシュランも認める一流の料理へと変貌を遂げつつあります。新時代に向けて群雄割拠する街のラーメン店を巨匠自らが実食リポートする連載です。
- CREDIT :
文・写真/山本益博 編集/森本 泉(Web LEON)
「ラーメン博物館」トータルプロデューサー相羽さんとの出会い
東京タワーが出来る以前の東京を再現したかった
私が小さい頃住んでいた東京・下町にあった駄菓子屋、電話ボックス、ゴミ箱に至るまで、それに映画の看板、どれも懐かしいものばかり、歩みを進めていくうちに天井が夕焼けにかわっていく。まさしく、昭和30年代の下町で、私にとっては「郷愁」そのものだった。
「相羽さんは、どうして、『ラーメン博物館』を手掛けられるようになったのですか?」
館長の岩岡洋志さんは、昭和34年(1959年)生まれ、全国のご当地ラーメンを1カ所に集めた施設を新横浜に作り、全国各地にフードテーマパークが誕生するきっかけにもなったと言われる。
「東京タワーが出来たのが1958年、新幹線が走り始めたのが1964年、あの頃から新しい東京がはじまっていったのですね。ですから、それ以前の東京を再現させるのが、東京の昭和のラーメンのイメージに合うと思って、そうしました。夕焼けも40分で変わっていくんです」(相羽さん)
新横浜ラーメン博物館
● 山本益博(やまもと・ますひろ)
1948年、東京都生まれ。1972年早稲田大学卒業。卒論として書いた「桂文楽の世界」が『さよなら名人芸 桂文楽の世界』として出版され、評論家としての仕事をスタート。1982年『東京・味のグランプリ200』を出版し、以降、日本で初めての「料理評論家」として精力的に活動。著書に『グルマン』『山本益博のダイブル 東京横浜&近郊96-2001』『至福のすし 「すきやばし次郎」の職人芸術』『エル・ブリ 想像もつかない味』他多数。料理人とのコラボによるイヴェントも数多く企画。レストランの催事、食品の商品開発の仕事にも携わる。2001年には、フランス政府より、農事功労勲章(メリット・アグリコル)シュヴァリエを受勲。2014年には、農事功労章オフィシエを受勲。
HP/山本益博 料理評論家 Masuhiro Yamamoto Food Critique
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