2017.08.21
太宰治、赤塚不二夫、酒好きの作家たちが愛した酒のアテ
赤塚不二夫、小津安二郎、太宰治、山田風太郎、田村隆一ら酒飲みたちが愛した酒のアテは何だったのか。
- CREDIT :
文/草彅洋平(東京ピストル)
アメリカのノーベル文学賞受賞作家7人のうち5人はアル中で、作家の苦悩に酒が切っても切り離せない存在であることが、読めばよくわかってしまうのだ。
日本でもアル中とまではいかないが(いやそういう作家もいるが)、酒を愛した作家は数多い。
そこで今回は小説家・太宰治だけではなく、大衆小説家・山田風太郎、詩人・田村隆一、映画監督・小津安二郎に漫画家・赤塚不二夫も入れて、彼らが愛した「酒」について考察してみよう。
酒の美味しさを知り尽くした彼らが、そんな酒のアテに好んだものは何だったのか。今晩のつまみに悩んだら、酒飲みの先輩たちに“真似ぶ”のもいいかもしれない。
赤塚不二夫とキャベツ
小津安二郎とおでん
太宰治と山椒
「酒を呑むと、気持を、ごまかすことができて、でたらめ言っても、そんなに内心、反省しなくなって、とても助かる。そのかわり、酔がさめると、後悔もひどい」とある。
「それなら、酒を止せばいいのに、やはり、友人の顔を見ると、変にもう興奮して、おびえるような震えを全身に覚えて、酒でも呑まなければ、助からなくなるのである。やっかいなことであると思っている」とも。
太宰にとって酒は精神安定剤のようなもので、見知らぬ人の前に出るためのマストアイテムだったのだ。
(井伏鱒二「病院入院」『荻窪風土記』より)
山田風太郎とチーズ肉トロ
例によって、夕方五時半から食堂の隣りの十畳のまんなかにぽつねんと坐って、冬枯れの庭を見ながら酒を飲む。
家や家族や、環境は有為転変するが、この時刻に酒を飲んでいることは百年一日のごとく変らない。先年もふと病気して、数日でいいから禁酒するように医者にいわれたが、平然として飲んでいた。
それじゃあ酒をウマイと思ったり、愉しいと思って飲んでるかというと、可笑しくも悲しくもない気持で飲んでいる。ただ放心状態で飲んでいる。その状態がいちばん疲れなくて、それには一人がいちばんいい。そしてほろっとして、あと黙々と寝入ってしまえば目的は達せられるので、酒でもビールでもウイスキーでも、何ならショーチューでもちっともかまわない。(「ひとり酒」より)
田村隆一とステーキ
一、友来たらば飲むべし。
一、のど渇きたらば飲むべし。
(ここから声が小さくなる)
一、渇くおそれあらば飲むべし。
一、いかなる理由ありといえども飲むべし。
● 草彅洋平(くさなぎようへい)
1976年、東京都生まれ。あらゆるネタに極めて高い打率で対応することから通称「トークのイチロー」。2006年に編集を軸としたクリエイティブカンパニーである株式会社東京ピストルを創設。以降メディアの領域を紙、web、カフェ、シェアオフィス、イベントスペースまで幅広く拡大。次世代型編集者として活躍中。