2018.11.14
東京の冬を味わう、一杯の「鍋焼きうどん」
いまのようにケータリングやデリバリーがなかったころ、「鍋焼きうどん」は出前の花でした。そしてさらにさかのぼれば、町を屋台で売り歩く元祖ファストフードでもありました。そんな「鍋焼きうどん」がほっこりと心をお腹をあたためます。
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写真/吉澤健太 文/秋山 都
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そのうどんは、汁(つゆ)を鍋に張ってあたため、油揚げやかまぼこなどの具を加えたいまの鍋焼きうどんに近いもの。いまは蕎麦屋のメニューで片隅を占めるにすぎない鍋焼きうどんの歴史は案外に古く、その起源は江戸初期にまで遡ります。万治2年(1659年)頃には「振り売り(ふりうり)」と呼ばれる担ぎ屋台で売り歩くうどん屋がいたそうですが、深夜でも火を持って移動するため火事の危険性があることから、貞亨3年(1686年)には「饂飩・蕎麦切何に不寄火を持ちあるき商売仕侯儀一切無用」と禁止されてしまいます。つまり、この頃の江戸では、夜中のうどんやそばの振り売りが大いに流行っていたのでしょう。
また三代目柳家小さんの得意噺のひとつには「うどんや」という落語があります。冬に鍋焼きうどんの屋台を引いて商いをしている主人公が、酔った客に振り回されるという噺ですが、扇子を箸に見立ててうどんをたぐりこむ仕草が見どころのひとつ。かように鍋焼きうどんは東京の冬の代名詞でもありました。
![「神田まつや」に鍋焼きうどん(1100円)。お餅入りの寄せ鍋うどん(1300円)もあり。](https://assets-www.leon.jp/image/2018/02/20152010823934/0/2.jpg)
池波正太郎がこよなく愛した名店
◆「神田まつや」
![神田まつや 内観/入れ込みになった店内は昼過ぎからお銚子を傾ける紳士淑女でにぎわう。最近ではトム・ハンクスが来店し、SNSに上げたことでも評判になった。](https://assets-www.leon.jp/image/2018/02/20152102217076/0/3.jpg)
「この内容は創業当初から変わっていません。うちのお客さまの中には上の具をつまみながら一杯やってうどんで〆るのがお決まりという方もいるし、『鍋焼きうどんの台抜き(うどん抜き)で』なんていう方もいらっしゃる。個人的には、薄口の汁(あまり知られていませんが神田まつやには2種の下地があります)で鍋焼きうどんにするのがあっさりとして好きですね」と教えてくれたのは四代目店主の小高孝之さん。
この「神田まつや」の鍋焼きうどんは池波正太郎が愛したことでも有名。蓋を開けたときふんわりとたちのぼる湯気に相好をくずす作家の姿がいまも目に浮かぶようです。
でも、いまになって考えてみれば、当時60代後半に差し掛かった祖母は、たまに疲れてごはんを作りたくない(祖父は先に亡くなり、祖母はひとりで自炊していました)ときもあったのでしょう。また出前をとるにも一人前ではお店に悪くて電話しにくい、という心遣いもあったのだと思います。
「食べたくない」「いらないっ」と突っぱねる孫(わたしです)の憎らしい顔を前に、祖母は「あら、そうお」と気の抜けたような顔をして、母屋に帰っていったものでした。その、後ろ姿。しばらくして亡くなった祖母のことを考えるとき、わたしはどうしてあの鍋焼きうどん一杯を食べてやらなかったのか、一緒に「おいしいね」と丼を囲むことができなかったのか、と自責の念にとらわれてやみません。
懐かしくて、あたたかくて、切ない、鍋焼きうどんにはさまざまな物語があります。あなたの鍋焼きうどんはどんな一杯なのでしょう。
![null](https://assets-www.leon.jp/image/2018/02/20152237756346/0/4.jpg)
◆ 神田まつや
住所/東京都千代田区神田須田町1-13
お問い合わせ先/03-3251-1556
営業時間/11:00~20:00(L.O.19:45)、土・祝11:00~19:00(L.O.18:45)
定休日/日曜