2018.05.13
パパから中学生の娘へ――332個めの弁当を作り終えた朝に綴る、父と娘の毎日弁当
娘の幼稚園時代に3年間毎日、小学校では月イチ、そして中学で毎日お弁当を作っているというパパがお弁当にこめる気持ちとは。
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文・写真/柏原 光太郎
そんな一言から始まった毎日の弁当作りですが、幼稚園3年間、小学校は給食だったので月に2、3度でしたが、中学に入ってからはまた復活。いま3年生の娘の中学入学以来332食目、幼稚園から数えると通算800食ほどの弁当を今朝、作り終えました。

せっかく作るなら、と自らにハードルを課してみました。いわく、既製品、冷凍食品は使わない、既成の調味料(クックドゥみたいなもの)は使わない、前の晩の料理をそのままいれない、週内に同じ料理は入れない、弁当のあとの朝食は新たに作る、などなどです。
だいたいのハードルはいまもクリアしていますが、早々とギブアップしたのは「週内に同じ料理は入れない」。当時娘は人参がイマイチで、パプリカは食べさせたことがなく、そうなると「赤」はプチトマトくらいしかありません。お弁当の妙味は彩りにありますから、赤が使えないと華やかにならないと自分に言い聞かせ、まずプチトマトは週内無制限に。追って、場所を埋めるのに便利なブロッコリーも解禁としました。

肉、魚、野菜のバランスにも注意し、赤黄緑白もきちんと配慮しました。ごはんはお握りにしたり、炊き込み、混ぜご飯にしたり、とずいぶん時間をかけて作りました。
ところが幼稚園入園から一か月ほど経った時のこと。妻が園長先生に呼び出され、こういわれたのです。
「お嬢さんのお弁当はお父様がお作りになっているようですが、お嬢さんの負担になっています。うちの昼休みは40分で、ほかのお子さんは10分程度で食べてから園庭で遊んでいるんですが、お嬢さんは40分間延々とお弁当に向かい合っています。もう少しお考えいただけないでしょうか」

幼稚園の子供が食べられる分量はたかがしれていますから、スーパーで肉や魚を買うと、小さな塊に区分けして冷凍しておきます。帰宅までの道すがら翌日の献立を考え、冷凍庫の材料を冷蔵庫に移して寝るのですが、何度か失敗をやらかしました。かなり酔って帰宅、時間通りには起きましたが、冷蔵庫を開けると解凍された肉が数種類もならんでいたのです。どうやら酔っぱらって何度も献立を考えなおし、そのたびに冷凍庫から肉を移し替えていたようです。
こんな失敗は起こしましたが、飲みすぎでぎりぎりに起きたので義母が気を効かせて作ってくれたのが2度だったか、あとはなんとか3年間作り続けました。


幼稚園時代よりはずっと大きな弁当箱。通常はアルミのもので、半分はご飯、半分のおかずを4品ほどが標準です。
ここ数年、私は「台所男子の会」「軽井沢男子美食倶楽部」「日本ガストロノミー協会」といったコミュニティを作り、料理好きの男性との交流を始めました。以前から週末の料理はフェイスブックに投稿していましたが、弁当が加わってからは、インスタグラムにもアップするようになりました。

低温調理器「アノーバ」でローストビーフを作ることもあれば、解禁直後の鴨をローストしたり。ただ、私の弁当の基本は外食で美味しかったものを弁当にアレンジするので、牛カツ、タコの唐揚げ、ポテサラコロッケ、ハモのつけ焼きなどが並びます。たとえば最近の弁当の一例は「鴨ロースの塩焼き、タケノコと豚肉の花山椒和え、ブロッコリーのチャンジャ和え、プチトマト、じゃこご飯」といった塩梅。
平日は遅いので、リアルなコミュニケーションはなかなか取れず、娘とは「昨日のお弁当どうだった?」「うん、美味しかったよ」程度の会話ですが、そのときの表情を多少は気にしているつもりです。
友人たちからは「これは弁当じゃなくて、酒肴盛り合わせだろう」とからかわれますが、娘もとりあえず完食してくれているので、これでよしとしています。
最近は娘の同級生が私のインスタをフォローしていて、娘に直で「今日のお弁当のローストチキンが食べたいから、私のおかずとシェアしよう」とメッセージがくるそうで、子供たちが好きそうな料理は多めにいれたりするのもひそやかな楽しみです。

作り続けていると、「コツはなんですか」「どうやって献立を考えるんですか」などと聞かれることも多いですが、「無理しないことです」と答えることにしています。
私は弁当作りのハードルを設けていますが、これだってそうしたほうが楽しいからで、そうしなくてはいけないなんてことはない。冷凍食品が悪いとか、既成の調味料がいけないというつもりはまったくありません。いまの冷凍食品が美味しいのはわかっていますし、たまには会食帰りでいただいた炊き込みご飯をそのままいれることもあります。
要は、誰かが毎日作り続けないといけないのですから、仕事と考えるのではなく遊びの気分を入れればいいんだと思います。
このままであれば中高6年間、私は娘のお弁当を作ることになります。兄弟あわせて15年間毎日作り続けているお母さんもざらですから、私の弁当作りなんて自慢にもなりません。ただ、このまま「酒肴弁当」を作って私の味に慣らし、いつの日か本当の酒肴を前にして一杯酌み交わせるようになればいいな、というのがいまのささやかな私の願いです。
● 柏原 光太郎
1963年東京生まれ。(株)文藝春秋でウェブ事業、宣伝部門を担当する傍ら、十数年前から食の魅力にはまる。食べるだけでなく、作る楽しみを普及させようと男性が積極的に料理をするコミュニティとして、「台所男子の会」「軽井沢男子美食倶楽部」「日本ガストロノミー協会」を立ち上げる。インスタグラム:kashiwabara_kotaro