2020.12.08
人類の月面着陸を信じなかった20%のアメリカ人を驚かせた写真集
月が眺めるだけの星から、訪れるべき宇宙の土地になったのは1969年のこと。人類による初の月面着陸は、当時、世界に大きな驚きを与えました。宇宙飛行士たちが撮影した月の写真集「FULL MOON」からアポロ計画の意義を探ります。
- CREDIT :
文/井上真規子 写真/竹崎恵子(写真集中面を除く)
今回の特集ではさまざまな月の楽しみ方をご提案していますが、月見だけでなく、月で撮られた写真を眺めながら、人類史上に輝く偉業を達成した人々のドラマに思いをはせるというのも、ひとつの楽しみ方かとご紹介させて頂く次第です。
米ソ冷戦のなかで人類は初めて月面に降り立った
当時は第2次世界大戦後の冷戦時代。米ソ2大大国が対立し、両国は政治や軍事、経済はもちろんスポーツに至るまで、ことごとく火花を散らし合う緊張が続いていました。そのなかで国家の威信をかけて進められたのが宇宙開発競争です。
しかし、1971年を最後に、アメリカはアポロ計画を中止し、月面の探査もやめてしまいます。以来47年、人類は一度も月に行くことはありませんでした。
それはなぜなのか? アポロ計画とはなんだったのか?
宇宙飛行士たちがまさに命がけで撮ってきた唯一無二の写真を眺めながら、科学ジャーナリストの柴田鉄治さんに、アポロ計画の意義やエピソードを教えてもらいました。
月面着陸によって、人類が知ったこと
「アポロ11号の月面着陸で人類が得たものは数多くありますが、一番の収穫は地球の尊さを知ったことでしょう。1961年に地球の周回飛行を体験したソ連のユーリイ・ガガーリンが至近距離から地球を見てその青さに驚いたわけですが、8年後にアポロ11号の月面着陸で人類は初めて月に立ち、宇宙の中に小さくぽつんと浮かぶ地球を見たのです。その儚い姿は、地球が人類の住むことのできる唯一の星であることを気づかせました」(柴田さん、以下同)
アポロ計画がもたらした科学の進歩
6回の月面着陸では毎回さまざまなミッションが課され、初めて月の裏側を見ることに成功。また、アポロ計画全体で、総量381.7kgの岩石や物質が持ち帰られました。とくに有名な資料となっているのが、アポロ15号が持ち帰った77kgの「ジェネシス・ロック」や16号が持ち帰った95kgにも及ぶ「酸化斜長石」です。こうした資料が、月の構造や月の年齢など人類の月や太陽系に関する知識向上に大いに役立ったことはいうまでもありません。
「私自身は、月着陸の様子がすべて生中継されたことが非常に画期的だと感じましたね。それまでソ連で人工衛星が打ち上げられても、成功したことが報道されるだけでいまいち実感がもてなかったんです。ところが、アメリカのアポロ計画ではあらかじめすべての予定が発表され、11号が月面着陸した様子もすべてライブ映像で伝えられたのですから、探検という意味においても大きな進歩でしたね」
アメリカの偉業の裏側で行われていたこと
ロケットの部品などを作る下請け・孫請け企業を回ったという柴田さん。そのすべてで、「月ロケットは560万個の部品からできている。もし信頼性が99.9%なら、なお5600個の不良品が残る」というポスターを見かけたといいます。
「当時、アメリカはアポロ計画の裏側で、ベトナム戦争を同時進行させていました。巨額の軍事費と宇宙開発を両立させたことは、さすがといわざるをえません。アメリカが初の月面着陸を成功させたことで、米ソの宇宙開発競争における技術大国としての勝利を勝ち取り、その後の6回の着陸で月探索は一応の完遂をみたことで、アポロ計画は終わりを迎えました」
つまりそれ以上月に行く意味を失ったということ。その後、NASAでは経費削減のために宇宙船を使い回すスペースシャトル計画が実施され、多くの研究が行われてきましたが、人類が月に降り立つことは二度とありませんでした。
アメリカ人の20%は月面着陸の事実を信じていない!?
月面着陸の際に撮影された映像や写真で、大気がないはずの月面に立てたアメリカの国旗がはためいているように見えることや、影がいくつもあるように見える写真などについて、不自然さが指摘されたのです。
そんな憶測を呼ぶほど、月面着陸の成功は人類にとっては驚嘆すべき事柄だったわけですが、地球や月の神秘的な姿をはっきりと映し出した写真集「FULL MOON」を見ている限り、それは到底作り物とは思えません(笑)。
時代は過ぎ、あの当時の興奮をリアルに知らない人も増えつつあるなかで、月で撮影された数々の写真はより不思議な現実味を帯びて、私たちにさまざまなものを訴えかけてきます。アポロ計画で当時の人類が何を見て、何を感じたのか。それを知った上で、改めて写真集を見ると、新たな発見があるかもしれませんね。
● 柴田鉄治(しばた・てつじ)
1935年生まれ。東京大学理学部卒業後、59年に朝日新聞に入社し、東京本社社会部長、科学部長、論説委員を経て現在は科学ジャーナリスト。大学では地球物理を専攻し、南極観測にもたびたび同行して、「国境のない、武器のない、パスポートの要らない南極」を理想と掲げ、「南極と平和」をテーマにした講演活動も行っている。著書に『科学事件』(岩波新書)、『新聞記者という仕事』、『世界中を「南極」にしよう!』(集英社新書)ほか多数。
「FULL MOON」
著者/Michael Light
出版社/Jonathan Cape London
発行/1999年
※写真集の写真はすべて「FULL MOON]より