2019.07.06
【第9回:ボランティアの話】
ボランティアっていうのは金持ちの趣味なんだよ。悪いか!
怒涛の昭和~平成~令和を生き抜いてきた梅沢富美男さんが考える「男の生き方、身の処し方」とは? 常に一本芯の通った、炎上を恐れぬ本音コメントは世の迷えるオヤジ&コヤジのバイブルですぞ!
- CREDIT :
構成/紺野美紀 写真/内田裕介 イラスト/ゴトウイサク
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有名人がボランティアをやると、すぐに売名行為だって言うヤツいるけど、そう言われた時のその俳優の返しも秀逸。「俺はすでに有名人なんだよ」って。その通りだよ。売名っていうのは、売れてないヤツがやることなんだから。すでに有名人が売名もなんもね~だろ。
俺がボランティアをするようになったきっかけは3.11の震災。ホームページに「助けて下さい! 赤ちゃんのミルクがないんです」って書き込みがあったんだ。すぐにいくつかの乳業メーカーに電話して、梅沢富美男という者ですがミルクを大量に売ってくれませんかって頼んだよ。
でも、どこも「個人には売れません」の一点張りだった。あの時は「こんな緊急事態にマニュアル対応かよ」って本当に呆れたね。これは本当に頭きたからテレビでも言ったし、本にも書いたけどな。
結局、全国の後援会の人たちが一人1個買ったものをうちの事務所に送ってくれてね。相当な数が集まりましたよ。事務所中がミルクとおむつだらけだった(笑)。
でも、そういうことが出来たのだって、俺が有名人で全国にファンがいてくれたからだよな。劇団の大型トラックもあったから、「よし、コレを届けよう」って思ったんだ。
全国から集まったミルクやおむつをトラックに積んで、“救援物資輸送中”っていう許可証をもらって被災地に向かった。それが最初。それからも炊き出しでよく行ったな。
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たかがウィンナー、されどウィンナー
うかつだったね。その子どもだって、ウィンナーなんて震災前には当たり前に食ってたと思うよ。もしかしたら、「またウィンナーかよ」なんて母ちゃんに文句言ってたかもな。でも、あの時にはそれがとてつもない御馳走に見えたんだろう。
たかがウィンナー、されどウィンナー。そういうことって実際に行かないと分からないことだよ。お金を寄付するだけだったら、気づきもしなかった。その子には教えられたよ。つくづく、人に優しくすることって難しいことだなと思った。
昔、おふくろが「お弁当は必ず余るぐらい用意しなさい」って言ってたんです。もし、足りなくなって食べられない人がいたらかわいそうでしょって。それを思い出したよ。ウィンナーも子どもたち全員に配れないなら持って行くべきじゃなかったんだ。
おふくろの口癖は「人によくしてあげなさい。でも、決して見返りを求めちゃダメよ」って。無償の愛の人だったからな、おふくろは。お返しを期待して何かをするのは、それは単なる貸し借り。
だから、今でも俺はふるさと福島やゆかりの青森(母親の故郷)のために出来ることは何でもやりたいと思ってますよ。地元のイベントやテレビもノーギャラだよ。だからってCMはこないし、市長選挙にだって出るつもりありませんけどね(笑)。
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● 梅沢富美男(うめざわ・とみお)
1950年11月9日、福島県福島市生まれ。血液型B型。俳優・歌手・タレント。剣劇一座「梅沢劇団」の創設者で大衆演劇のスターだった梅沢清と娘歌舞伎出身の竹沢龍千代の5男として生まれ、1歳5か月で初舞台。15歳で本格的に役者の道へ。1976年、女形に転向し「下町の玉三郎」として大ブレイク。1982年には『夢芝居』で歌手デビューし50万枚を超えるヒットに。現在は「梅沢劇団」三代目座長として年間180日舞台に立つ傍ら、テレビにも数多く出演。バラエティや情報番組での歯に衣着せぬ直言コメントで人気を得ている。