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2022.06.02

千葉雅也の哲学入門「なぜ今、大人は哲学を学ぶ必要があるのか?」【前編】

大人の男として人生をより豊かに楽しむためには知っておいたほうがよいことがたくさんあります。この連載ではそんな必須の習得項目を、それぞれの専門家にお話を伺って最新事情を交えてご紹介。今回のテーマは「哲学」。語り手は、いま話題の哲学書『現代思想入門』の著者・千葉雅也さん。現代社会を生きるビジネスパーソンへ向けた、リアルで奥深い哲学の話を、2部構成でお届けします。

CREDIT :

構成・文/矢吹紘子 写真/KAOLI

いま、『現代思想入門』(講談社現代新書)という本が、哲学書としては異例のベストセラーになっています。著者の千葉雅也さんは大学教授として学生に哲学を教える一方で、美術・文学・ファッション・建築・音楽など幅広いジャンルでの批評活動を行いつつ小説家としての顔ももつというマルチな存在。そんな千葉さんに現代社会を生きるビジネスパーソンへ向けて、哲学の意味とそれをいま学ぶことのメリットを教えてもらおうという企画です。

── いきなり直球な質問ですみませんが、そもそも “哲学”とは何なのでしょうか?

千葉 哲学とは、物事を少し深く、抽象的に考えてみるということです。

── 深く抽象的にというのは、私たちが普段見ている目線を変えるということでしょうか?

千葉 普段の目線より引いたところから見ると言ったほうがいいかな。例えばビジネスシーンでこうすべきだ、ああすべきだということで、二つの意見がぶつかっているとする。すると「君はどっち側に立つんだ?」と選択を迫られますよね。仕事なのだから、どちらかに決めなきゃいけない。つまり片方を諦めなければいけないと。仕事の場に限らず、例えばネットを見ていると、毎日のように色々な話題で、色々な対立が演じられていて、「白黒はっきりさせろ!」という状況がすごく多い。

状況に埋没しないというのが哲学の基本姿勢

── そうですね。Twitter上の意見のぶつかり合いを見ていて、疲れてしまうこともあります。

千葉 僕もTwitterを長くやっていますけど、昔はもっとみんながそれぞれ日常の勝手なことを、ひとりごとのように呟いていました。でも東日本大震災の前後あたりから、災害情報とか、原発に関する政治の問題とかで、ワーッと新しい人が流入してきて、かなり雰囲気が変わっていった。大きく言って震災以降、日本のSNSは意見対立の面がよりはっきりと出てきたと思います。SNSが日々意見対立の“大喜利”の場になっていて、色々な問題に対して大喜利的に「どっちを取るんだ」と迫るような世界になってしまっている。すごくストレスフルな世界になっていると思うのです。

── そういう場において、違う目線が必要であると?

千葉 深く知的に、深く抽象的に考えるというのは、そういう人々が争っている状況の中に自分が入ってどうするかということではなく、その状況を一歩引いて見るということ。その時にものを見る角度が色々あるから、状況を冷静に捉える。「二つのものが対立しているけど、どうしてなんだろう?」というのを、即断をせずに、立ち止まって考えてみることです。だから哲学の基本姿勢というのは、状況に埋没しないことだと思います。
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身の回りに乱立する“二項対立”の構造を俯瞰する

── でも何のベースもない状態から見方を変えるとなると、具体的にどんなところから始めるべきなのでしょうか?

千葉 そこは、やっぱり勉強なわけです。例えば歴史の本を読んで、日本の戦後の政治がどういうふうに変化してきたのかを知ったら、今の状況だってもう少し引いて見られるわけです。例えば科学技術に関しては、メタバースのような新しい技術によりネットの新しい方向性が話題になっていて、そこにお金が集まっている。でもその流行に単に踊らされるのではなく、そういうネットカルチャーがこれまでどんな風に発達してきたのかについての本を読めば、もっと冷静に投資判断ができるでしょう。
── 必ずしも哲学書というわけではなく、まず世の中に対する興味を深めようと。

千葉 そうです。じゃあ哲学とは何かと言えば、社会の色々な事柄や、人間の行動は色々な対立軸でできているということ自体、物事の論理を説明するのが哲学なのです。僕の『現代思想入門』という本は、20世紀後半のフランスの哲学を紹介していて、そこでは前述したような二つのものの対立を「二項対立」と言っています。人は常に健康か不健康かとか、自然に任せるのがいいのか、人工的な秩序を作ったほうがいいのかとか、色々対立する。だけど、100%どちらかを取るということはできないんです。いずれかを取れば、必ずもう片方のことが問題になってくる。例えば自然派ということでオーガニック製品をいいという人がいたとしても、自分の生活を全部オーガニックにすることなんて、できないじゃないですか。

── 物理的にも不可能です。

千葉 私たちは人為的で文化的なものを、生活のどこかには入れざるを得ない。あるいはオーガニックのものを使っているといっても、その製造工程には人工的で自然破壊的なものも含まれているでしょう。この世界のすべてを人間のコントロールで設計しようといっても、原発なんか、いつ事故が起きるかわからない。自然のプロセスというのは突然人間を裏切るものですから。
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対立しているように見える二項の両方が組み合わさって、世界は動いている

── 実際、予想不可能なタイミングで地震が起きたりします。

千葉 こういうふうに見ていくと、「自然と文化」という考え方は、二つの極の組み合わせであることが分かってくる。みんな自分は自然派だとか、自分はもっとコントロール派だとかやり合っているけれど、実はどっちも極端なのです。そうではなくて、それらの両方が組み合わさって世界は動いていますよ、と少し引いて全体を見ることが大事なのです。そしてその、二項対立の片方を純粋に採用することはできないというロジック自体を言うことができるのが哲学という分野なのです。

── 二項対立というのはいつからあるのでしょうか?

千葉 それ、すごくおもしろいというか、変な問いなのですよ。そもそも人間の思考システムというのは、二項対立で考えるようにできているのです。世の中がどうこうではなく、人間というコンピュータがそのようにできている。でもそういう疑問が浮かぶということは、つまり私たちは二項対立でものを考えることを、普段まったく意識していないという証拠ですよね。例えば「カレーはカロリーが高いから、お昼はお蕎麦にしよう」と言うのも、はっきりと意識していないけれど、例えば、健康と不健康という対立がベースにある。ほとんど無意識に、自分の思考が二項対立で組み立てられているのです。

── よっぽどお腹が空いていない限り、なんとなくお蕎麦に寄ってしまいそうな実感があります。

千葉 そうですね。そしてその裏には、安心と不安という対立がある。ひとつの物事を決定するというのは、意識下で、二項対立の片方に決めることになっています。

── なるほど。でもそう言われると、どんどん気になってきてしまいます……。

千葉 二項対立で世の中ができているということに気づくことだけが哲学ではありません。色々な角度から世界の在り方を抽象的に捉えるのが哲学であり、その一つの切り取り方が、世の中が二項対立でできていると考えてみる、ということ。それは構造主義(※)といわれる考え方なのですが、そういう目線でみると、色々なことが二項対立の組み合わせで見えてくる。男性と女性、右翼と左翼、ローカルとグローバル、国内で固まろうとする人と海外のものを受け入れる人。

── どんどん線引きが難しくなっていきますね。

千葉 国内で固まろうとする人たちは右翼的だと言われたりもしますが、じゃあそういう人たちが海外からのものをすべて拒否しているのかというと、そんなわけない。純国産のものだけで生活している人なんていないから。二項対立が色々なところで意見対立を作り出しているのだけれど、実際のところは非常に曖昧なことがいっぱいあるわけです。
※構造主義:1960年代にフランスで発展した思想。構造=パターンで、例えばA(映画)、B(漫画)、C(テレビドラマ)のストーリーに同じパターンを見出すような学問の方法論のこと。
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二項対立をいったん保留にして、グレーゾーンに目を向ける

── その曖昧さをもう少し大切にしようよ、と。

千葉 それは二項対立の脱構築という、デリダ(※)という哲学者が考えたロジックです。脱構築とは、物事を二つの概念の対立で捉えて良し悪しを言おうとするのを、いったん保留にしましょうということ。前述したとおり、実は二項対立というのは純粋にはできていなくて、常に曖昧な領域がある。そしてそのグレーゾーンが、実は生活において一番リアルな部分だということなのです。そこをよく見ていこうという話ですね。
※ジャック・デリダ(1930~2004):ユダヤ系フランス人の哲学者。ポスト構造主義の代表的人物。
── ローカルかグローバルかで言うと、外来のものに嫌悪感を示す人たちがいるなと、最近実感することがあります。身近な例えですが、街で長く愛される老舗の純喫茶と、外国からやってきたチェーンのカフェを比べて、後者をチャラいものと見下すような。

千葉 中間がリアルだってことですよ。つまり老舗の渋い喫茶店を好きな人はそれでいいし、外来の華やかなカフェを楽しむのもいい。それはどっちがベストとも言えないということですよね、きっと。

── どっちもそれぞれに良さがあるよ、というふうに思うということですか?

千葉 そうですね。だってそうじゃなかったらファシズムでしょ。

── でも今は、どちらかに決めたほうがいいという社会的な力がすごく強まっている気がします。

千葉 そう思いますよ。色々なところで、問題を起こしたくない、少しのミスも起きてはいけない、だから何が正しいかをはっきり決めてしまおうという圧力が強くなってきている。昔だったらもう少し緩やかだったけれど、今は再発防止策などをとっていくうちに、どんどん窮屈になっていってると思うんです。『LEON』などは、そういう風潮に反旗を翻している雑誌だと思いますけど。
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“中間”を見ることで、世の中を高解像度で捉えることができるようになる

── 私は千葉さんと同い年で、90年代に青春時代を過ごした世代なのですが、当時はまさにグレーというか、今よりも「いい」「悪い」の線引きがくっきりしていなかった気がします。

千葉 そうですね。というか僕はそれが普通であって、色々と窮屈になっていったことをおかしいと単純に思っています。今、この状況を当たり前と思っていること自体、かなり価値観が歪んでいると思うのです。例えば日本では、やたら屋外でタバコ吸うなという規制が強くなってきたけれど、あれも変な話で、アメリカなんか、むしろ外で吸えるわけですよ。僕が2017年にハーバード大学に研究員として行った時は、みんなキャンパスのまわりでタバコを吸っていましたから。一部の人が、アメリカのエリートはタバコを吸わないみたいなことを言っているけれど、全然そんなことない。要は物事を具体的に見なきゃいけないってこと。アメリカはこうだから日本もこうなるべきだとか、そんな大雑把な話ではないのです。

── 著書の冒頭で、現代思想を学ぶと「複雑なことを単純化しないで考えられるようになる」「単純化できない現実の難しさを、以前より『高い解像度』で捉えられるようになる」と述べていましたが、そういう風に具体的に見ることが、“高解像度”で捉えることにつながるということですね?

千葉 まさに。でもそうすると話がわかりにくくなるから、人は嫌がるのですよ。

── みなが「よし」とする側にいたほうが楽ですものね。

千葉 やっぱり怖いし、その方が無難に、定常的に利益を得られるから。でも例えばビジネスの原則というのは逆張りであって、他の人と違うことを言って、ある種の差別化をするということが価値になるわけでしょ。なにかちょっと異質なことを言うのって、意味があると思いますよ。できないですから、意外と。

── 何か違うことを言うと、Twitterで槍玉にあげられたり。

千葉 流れに逆らうのが難しくなってきているから、まあ大変ですよ。僕もちょっとしたことで、すごく素朴な批判を受けたりするし。

── でもそこはあえて厭わない気持ちを持とうと?

千葉 哲学の根本はそこですから。

※後編に続きます。
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● 千葉雅也(ちば・まさや)

1978年栃木県生まれ。パリ第10大学、高等師範学校を経て、東京大学大学院総合文化研究科超域文化科学専攻表象文化論コース博士課程修了。博士(学術)。立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。フランス現代思想の研究と、美術や文学、ファッションなどの批評を展開し、小説にも取り組んでいる。著書に『勉強の哲学 来たるべきバカのために』『ツイッター哲学 別のしかたで』『意味がない無意味』など。『デッドライン』で第41回野間文芸新人賞、「マジックミラー」(『オーバーヒート』に収録)で第45回川端康成文学賞。

■ 『現代思想入門』(講談社現代新書)

フランス現代思想の「入門書」として今年3月の発売直後から大きな話題を呼び、計8万部を突破。哲学書としては異例のベストセラーに。本インタビューでも触れたデリダやフーコーをはじめ、ドゥルーズ、ラカン、フロイト、マルクスなど名だたる思想家による概念を親しみやすい言葉で解説。現代社会の構図や問題と関連させながら議論する、ビジネスパーソン必読の一冊。

矢吹紘子(やぶき・ひろこ)

ライター、編集者。『BRUTUS』『POPEYE』などライフスタイル誌を中心に記事を執筆・編集。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ修士課程修了。京都在住。

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