2019.08.30
新宿・歌舞伎町はなぜ東洋一の歓楽街になったのか?
明治時代、誕生当時の新宿駅は貨物中心の小さな田舎駅だった。それがどのように、東洋一の歓楽街に発展したのか? その歴史の秘密を『新宿の迷宮を歩く: 300年の歴史探検』(橋口敏男著・平凡社新書)から探った。
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文/印南 敦史(作家・書評家)
ところが『新宿の迷宮を歩く: 300年の歴史探検』(平凡社新書)の著者、橋口敏男氏によれば、明治時代の誕生時には貨物が中心で、乗降客はまばらな田舎の駅だった。それが京王線や小田急線といった郊外電車の開通、あるいは関東大震災を契機として発展を続け、昭和の初めに日本一の駅へと成長したというのだ。
橋口氏がそこまで新宿に精通していることには理由がある。長らく新宿区役所で、まちづくり計画担当副参事、区政情報課長、区長室長などを務めてきたのだ。2016年には公益財団法人新宿未来創造財団に移り、新宿歴史博物館館長に就任している。
今回は第4章「歌舞伎町の謎」に焦点を当て、知られざる歌舞伎町の秘密を明らかにしたい。
歌舞伎町には川が流れていた?
森があり、池があり、川がある街だったというのだ。とはいえ当時はまだ歌舞伎町という名前もなく、新宿三丁目と同じく角筈(つのはず)と呼ばれていた。
そののち、大正9(1920)年に現在の都立富士高等学校の前身である府立第五高等女学校が東宝ビルの場所に創設され、関東大震災以降には少しずつ住宅も建ち始めることに。しかしそれらも、昭和20(1945)年の空襲ですべてが灰と化す。
そこで立ち上がったのが、角筈北町会の町会長だった鈴木喜兵衛だ。敗戦の知らせを疎開先の日光で聞いた鈴木は日本の将来を見据え、「観光国家こそ各国に憎まれる心配もなく、敗戦国日本の生き延びる道だ」と考え、同じ町会の人間を説得。「計画復興」を提案する。
計画復興とは、復興協力会をつくり、借地権を一本にまとめ、土地を自由にすることを地主から任せてもらい、都市計画で新しく道路をつけなおし、区画を整理してから、地割して建築させようというもの。世間がまごまごしている間に、道義的な繁華街に仕立てようという計画である。
かくして8月23日には、復興計画書を町会員に発送。10月の半ばごろには、東京都の石川栄耀都市計画課長と計画に関する具体的な打ち合わせを行ったというのだから、かなりのハイペースで事を進めたことになる。
歌舞伎町の名付け親は?
10月23日には第1回復興協力会総会が開かれ、鈴木はこんなあいさつをしている。
地主さんには既にお願いしてありますが、建設が終わるまで、地代は安くしていただく。そうして建設ができたら、吾々から進んで地代を上げていただく。地主も借地人もお互いの立場を理解しあって、親子兄弟のような関係で賃貸借がいたしたいのです。」(P139〜140)
しかも鈴木は6年間に7回の引っ越しをし、娘婿の家や友人宅の押し入れ、事務所に寝たりしていたのだという。そればかりか、その後に建てた自宅も、郷里の家屋敷も信州の別荘地も処分している。
なかなかできることではないが、こうした情熱が歌舞伎町を生み出したのだと考えれば、これからの歌舞伎町が目指すべきものも見えてくるのではないだろうか?
コマ劇場の「コマ」の意味とは?
ところで、コマ劇場の「コマ」とは何を意味するのだろうか?
ご存じのとおり、コマ劇場は歌舞伎町のみならず新宿のシンボル、ランドマークとなった。昭和33(1958)年には、第9回紅白歌合戦も開催された。
また、美空ひばりや北島三郎といった演歌界の大物が出演したことから「演歌の殿堂」とも呼ばれていたが、一方、ミュージカルやボリショイ劇場バレエ団、宝塚歌劇など多彩な興行も行われていた。
そのかいあって、新宿コマ劇場は開設以来4000万人以上の観客を集めた。しかし施設の老朽化もあり、歌舞伎町再開発の一環として平成20(2008)年に52年の幕を閉じている。
その後、地上30階地下1階の新宿東宝ビルとして復活したのは平成27(2015)年のこと。ビルの8階部分には先述のゴジラヘッドができ、歌舞伎町の新たなシンボルとなったわけである。なお、昼の12時から夜の8時まで1時間おきにゴジラがほえる新宿東宝ビルには、最新のシネコンであるTOHOシネマズ新宿やホテルグレイスリー新宿が入っている。かつて鈴木喜兵衛が目指した「道義的繁華街」に近づきつつあるということだ。
歌舞伎町は都市計画に基づいてつくられたため、道路には大きな特徴があるのだそうだ。
歌舞伎町の噴水はなぜ閉鎖された?
そして昭和48年には名称が「ヤングスポット」に変更され再整備。その際にも噴水は残っている。
個人的にも、新宿は思い出深い街だ。母親に連れられて西口の小田急デパートや京王デパートに行った幼児の頃には、寝っ転がって怪しい袋を口に当てているヒッピーの姿に恐ろしさを感じたことがあった。
それから10数年後には歌舞伎町のディスコへ行くようになり、不器用な恋愛と失恋を繰り返したりもしていた。
そうした記憶の断片がまだ頭に残っているからこそ、乱雑な新宿はどこか愛しいのだ。そのせいか、新宿の知られざる部分を明かしてくれている本書も、とても興味深く読むことができたのだった。
『新宿の迷宮を歩く: 300年の歴史探検』(平凡社新書)
著者/橋口敏男 本体920円+税