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2020.09.27

日本映画界のジョン・レノン!? 忘れられた巨匠監督とは?

映画好きで知られる作家の樋口毅宏さんがコロナ渦中のおウチ時間を楽しむ参考にと、これまでに観てきた映画や大好きな監督について思い入れたっぷりに綴る連載です。今回は忘れられた巨匠、木下惠介監督について。その知られざる素顔とは?

CREDIT :

文/樋口毅宏 イラスト/ゴトウイサク

作家の樋口毅宏さんがこれまでに観てきた映画や監督について思いを綴る連載です。

木下惠介の監督作品で盛り上がったことはない

十年ほど前のこと、「なんだこれは……!」と目が飛び出るほど驚いた。

「1954年に映画のジャンルのすべてが出揃っている。映画史の傑作が居並んでいるじゃないか。映画のピークは1954年だったんだ……!」

そもそもは『二十五の瞳』という小説を執筆するため、資料を読み漁っていた。

『二十五の瞳』は、タイトルからもおわかりのように、壺井栄原作の『二十四の瞳』にオマージュを捧げている。

当時僕は作家になって3年目。生来のファン気質で、デビュー作の『さらば雑司ヶ谷』では小沢健二を、2作目の『日本のセックス』ではGREAT3を、5作目の『テロルのすべて』では長谷川和彦を、それぞれ歌詞を大きく引用したり、下地に敷いたりしていた。
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上記の3者は長らく活動を停止をしていたため、その存在を忘れられていた。

人生に大きな影響を受けた者として、それは許容しがたい状況だった。

愛する者への再評価を願って、僕は彼らをフィーチャーした小説を書いた。

そうしたら小沢健二は13年ぶりのライブ復活。GREAT3は9年ぶりの再活動。長谷川和彦は……御承知の通りです(のちにトークショーをやった。同じ日、それを見に来た女性と結婚した)。

もちろんすべて偶然なのはわかっています。だけど、ささやかな願いが叶ったようでうれしかった。

「次に誰を復活させよう?」

そう考えたら、木下惠介のことが頭に浮かんだ。
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木下惠介……おそらくほとんどの人にとって、「なんとなく名前だけは知っている」程度だろう。僕のまわりには映画好きが多いが、木下惠介の監督作品で盛り上がったことはない。

木下惠介は1912年に生まれ、1998年に亡くなった。もっとも有名な作品は、1954年に公開された『二十四の瞳』。日本を代表する映画監督だった。

信じられないだろうが、1950年代において、観客動員数、評価ともに黒澤明を凌駕していた。
ちなみに木下惠介と黒澤明は監督デビューした年が同じ。黒澤の脚本を木下が撮ったこともある。ふたりは互いに認め合う、良きライバルだった。

調べてみて僕も驚いた。

『七人の侍』──。今さら説明が必要だろうか。日本映画史上最高の名作。世界中の映画人にもっとも影響を与えた邦画であり、「世界のクロサワ」の名を上げた世紀の大傑作。

現代人からすると、『七人の侍』が公開された1954年の日本はそれ一色で、社会現象級の大ヒットだったと想像するだろう。

ところが違うのだ。

当時最大の権威誌だった『キネマ旬報』の、1954年の邦画ベストテンを見てほしい。

■キネマ旬報 1954年日本映画ベストテン

1位 『二十四の瞳』 監督:木下恵介
2位 『女の園』 監督:木下恵介
3位 『七人の侍』 監督:黒沢明
4位 『黒い潮』 監督:山村聡
5位 『近松物語』 監督:溝口健二
6位 『山の音』 監督:成瀬巳喜男
7位 『晩菊』 監督:成瀬巳喜男
8位 『勲章』 監督:渋谷実
9位 『山椒大夫』 監督:溝口健二
10位 『大阪の宿』 監督:五所平之助

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木下惠介はアバンギャルドで、革命家だった

信じられるだろうか。

『七人の侍』が1位ではない。しかも、2位でもない。

1位は木下惠介監督の『二十四の瞳』。
2位も木下惠介の『女の園』。
3位にようやく『七人の侍』。

「驚くな」と言うほうが無理に違いない。

僕は黒澤明と木下惠介の監督作品をそれぞれ全作観ている。

黒澤を全部観ている人はそれほどめずらしくないが、木下惠介はなかなかいないだろう。
▲我が家の木下惠介コンプリートBOX(DVD)。監督の全映画49作品を網羅。
木下惠介はもの凄かった。アバンギャルドで、革命家だった。

1位の『二十四の瞳』
香川県小豆島を舞台に、高峰秀子演じる大石先生と12人の小学生による戦前戦中戦後史。名言多数で、今観たほうが過激で新しい。これまで映画、ドラマ、アニメなど、計10回も映像化されている。
2位の『女の園』は、良妻賢母を至上とする封建的な名門女子大学で、生徒の自殺をきっかけに学生運動が起きる。安保闘争はこの作品から6年後。時代を予見しすぎ。

もっと傑作がある。
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『女』(1948)は、出演は男と女のふたりだけ。セットなし、ライティングなし。日本初のロードムービー。
田舎道を歩きながらの会話劇で、今観てもまったくテンポが古びていない。クライマックスでは火事現場に主役のふたりが遭遇する。
そのスペクタクル感といったら、本物の火事にしか見えない。惠介の演出力の高さに舌を巻くだろう。

ラストは痛快なまでの女性讃歌。「女性はダメ男の言いなりなんかにならず、自分の信念に従って生きよう!」というメッセージを送る。
昭和23年の作品ですよ? 男女平等ランキング、万年下位のこの国で。

本作に限らず、木下惠介は作品全般を通じてToxic masculinity(有害な男らしさ)を糾弾している。何という新しさ。
日本初といえば、この国の初のカラー映画を撮ったのも木下惠介。

『カルメン故郷に帰る』(1951)。
主演の高峰秀子は、僕のオールタイムベストアクトレス。

東京でストリッパーをやり、自分を芸術家と信じているカルメンが田舎に帰り、村人を巻き込んで騒動を起こす。カルメンは今で言う、イタイ人なのだが、演じるデコちゃんが可愛すぎて可愛すぎて。山で踊るシーンなど最高。
『カルメン故郷に帰る』を初めて観たのと同じ頃、シャーリーズ・セロン出演の『ヤング≒アダルト』(2011)を観たら、やはり自分を大芸術家だと思い込んでいる主人公が地元に帰ってトラブルを起こす……って、まんま『カルメン』じゃないかと思った。

ちなみに続編は翌年の『カルメン純情す』。こちらはモノクロ。1作目がカラーで2作目が白黒なんてシリーズ作品は、世界でこれだけ。
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木下惠介は怒れる人だった

『日本の悲劇』(1953)も驚愕の傑作。
戦後からたった8年後に、「人は物質的な裕福を追いかけるあまり、親子の間でさえ心を失っていく」と、家族の崩壊を描いている。
クライマックスの長回しは圧巻。当然のことながらブライアン・デ・パルマよりずっと早い。

『惜春鳥』(1959)は、日本メジャー映画初のゲイ・フィルム。ありえるだろうか。
木下惠介はパイオニアだっただけではない。怒れる人だった。石原慎太郎が『太陽の季節』(1956)と『処刑の部屋』(同)で我が世の春を謳歌していた頃、木下は「愚かなヒロイズム」と断罪し、その名も『太陽とバラ』(同)を撮った。
映画『太陽の季節』の100倍いい。ゴールデングローブ賞外国語映画賞。


まだまだある。バイオレンスものだと、閉鎖的な村で、加賀まりこが菅原文太を撲殺し、銃をブッ放す『死闘の伝説』(1963)。
小さな村が日本の縮図になる。
BGMにアンビエントを使用。弟である木下忠司がアイヌの民族楽器をフィーチャーした。

忠司も才能に溢れた人で、兄惠介の作品だけでなく、『トラック野郎』、水戸黄門の「♩人生楽ありゃ苦もあるさ」の作曲を手がけた。

『歌え若人達』(1963)では大学生の友達グループによる友情と恋愛と憂鬱を描いている。
ふわりとした青春群像劇で、まるで『ふぞろいの林檎たち』を彷彿とさせる。男女の出会い方がまんま同じ。
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それもそのはず、脚本は山田太一。木下惠介の助監督からキャリアをスタートした。

三國連太郎、田村高廣、田村正和は木下惠介作品でデビューした。木下が『善魔』(1951)の主役に三國連太郎を抜擢しなかったら、日本の映画史は違うものになっていた。

先述した『二十四の瞳』は反戦モノ、戦後教師モノの嚆矢。

他にも任侠路線、日本で初めて不倫メロドラマをやったのも木下惠介。

つまり、木下惠介がいなかったら、『私は貝になりたい』をはじめとする無数の反戦映画も、高倉健の『日本侠客伝』シリーズも、『3年B組金八先生』も、星の数ほどある昼メロも、『ふぞろいの林檎たち』も、『飢餓海峡』も、『古畑任三郎』も、みんな存在しなかった。

木下惠介は偉大な先駆者なのだ。

こちらをちょっと観てほしい(※諸事情により削除しました)。
『陸軍』は戦中の1944年に撮られた。主演の田中絹代が出征した息子を見に群衆の中を追いかける、ラスト8分。

これだけ観ても木下惠介が今いるどの日本映画監督より優れているか、如実にわかる。
先鋭的で、狂気を宿した野心家。撮影現場では独裁者。名言(というか口癖)は「バカとグズは大嫌い!」の激情家。
(ちなみにバツイチだが入籍した相手とは夫婦関係がなかった)。
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木下惠介はジョン・レノンなのだ

じゃあなぜ木下惠介は忘れ去られてしまったのか?

はい、結論出します。

木下惠介はジョン・レノンなのだ。

ジョン・レノンってビートルズの?
そうです。

ジョン・レノンはビートルズでポップミュージックを革新した。本人曰く、「すべての音は鳴らされてしまった」と嘆くほどに。

ヒットソングだけでなく、幾つも実験的な手法に取り掛かり、アルバムの定義を刷新した。ロックバンドのあり方をすべて作った(映画『イエスタデイ』にあるように、ビートルズがいなかったら、オアシスもこの世にない)。

ジョン・レノンはムチャクチャな人だった。

生前の暴言妄言も数えきれない。

「大谷翔平選手や藤井聡太棋士や芦田愛菜さんみたいなお化け遺伝子を持つ人たちの配偶者はもう国家プロジェクトとして国が専門家を集めて選定するべきなんじゃないかと思ってる」

とか、

首相の辞任会見について、
「テレビでちょうど見ていて泣いちゃった」

なんてレベルではない。

「ビートルズはキリストより有名だ」ですよ?
(もちろんこの発言はジョンの趣旨と違って解釈された。語ると長いので検索して下さい)。
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ジョンはドラッグもいっぱいやった。
FBIに目を付けられても反体制派の活動家に多額の寄付をした(これも誤解されそう。長くなるため略)。
アルコール依存症で、オノ・ヨーコをボコボコにした。

ロック史上最大の人格破綻者。
とても聖人なんかではない。

賭けてもいいが、もしジョンが生きていたら、Brexit万歳ソングを作っていただろう。主体性がない、流されやすい性格だから(天才あるある)。

ところが、だ。

「天国なんてないと思ってごらん」

「イマジン」1曲のせいで、「怒りと闘いのジョン・レノン」は、「愛と平和のジョン・レノン」に祭り上げられてしまった。

本当はキリスト教全面否定の超過激ソングなのに。

ビートルズのアルバムをせいぜい1、2枚しか持ってない、どの曲がどのアルバムに収録されているかもよく知らない世間の大多数から、世界のどこかで侵攻や戦火が上がるたびデモで合唱される、退屈定番ソングに堕ちてしまった。

ジョン・レノンは、自分を赤裸々に曝け出し、だけどカッコよすぎて美しすぎる曲が、いっぱいあるのに。

木下惠介も同じ。

『二十四の瞳』の空前のヒットと一人歩きにより、お涙頂戴ばかりがクローズアップされた。ブチ切れていて、カッコいい名作群はすべて置き去りにされてしまった。

(あと、ドラマ「木下惠介アワー」のせい。徐々に映画の場を奪われていった木下は、毎週薄口の「イマジン」を発表することで、ぬるいイメージが固定してしまった)。
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ジョン・レノンも木下惠介も、旧態依然の社会のモラルや常識と闘い続けた一生だったにもかかわらず。

あんまりだよ。

……あれ、何の話をしていたんだっけ。

そうでした。「1954年が映画のピーク」って話でした。自説の最大立役者を説明しているうちに前章を使い切ってしまった。

むかしの映画を観るって、どうしても勉強をするような気持ちになってしまうけど、お願いだから木下惠介を発見して下さい。


木下惠介おすすめベスト3
1位 『日本の悲劇』(1953)
2位 『女』(1948)

3位 『永遠の人』(1961) 高峰秀子、佐田啓二(中井貴一のパパ)、仲代達矢の愛憎三角関係ドラマ。田村正和のデビュー作。アカデミー賞外国語映画賞候補作。

今回はここまで。次回、〝映画のピークは1954年説〟に続きます。

(参考文献:『天才監督 木下惠介』(新潮社)長部日出雄)

● 樋口毅宏(ひぐち・たけひろ)

1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補、12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『東京パパ友ラブストーリー』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。最新作は月刊『散歩の達人』で連載中の「失われた東京を求めて」をまとめたエッセイ集『大江千里と渡辺美里って結婚するんだとばかり思ってた』(交通新聞社)。
公式twitter : https://mobile.twitter.com/byezoushigaya/

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