2019.08.20
水着美女はどこへ? ビール広告からグラビアがなくなったワケ
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文/岩﨑 譲二(マーケティングプランナー)
一昔前はどこの飲み屋でもビール片手に微笑む水着美女のポスターが、一仕事終えた我々を癒しのヴィーナスの如く出迎えてくれたものだが、今ではすっかり見かけることがなくなってしまった。
もはやノスタルジーすら感じるビールの水着美女ポスターだが、これが初めて登場したのは昭和初期の1932年に登場したキリンビールのポスターのようだ。そして姿を消し始めたのは21世紀に突入して間もない2000年代初頭のこと。水着美女ポスターはまさに、前世紀の古き良き時代の名残とも言える。
ビール広告における水着美女の盛衰を通じて、20世紀から21世紀にかけての日本社会の変化が見えてきそうだ。
水着美女はリビドーを刺激する「ビールの妖精」
その理由は大きく分けて2つあると思われる。
1つ目の理由は「機能の可視化」だ。
ビールの持つ心身の活性効果と、水着の美女が男性に与えるチアアップ効果は近しいものがある。商品特性を表現するためにタレントやキャラクターを起用するのはマーケティングの王道手段であるが、水着美女も同様だ。
つまり、水着美女はビールのベネフィットを体現する「ビールの妖精」として起用されてきたと言える。
2つ目の理由は「欲望の刺激」だ。
水着の美女が男性の欲望を刺激する、という点に関して異論はないだろう。
この欲望刺激が、必ずしも生活必需品ではないビールやたばこなどの嗜好品のマーケティングにおいては非常に重要なのだ。
心理学者のフロイト曰く、「人間は生来リビドー(性的欲望・性衝動)を備えており、それは性欲に限らず生きることへの心的エネルギーとなる」そうだ。
本来生きていくうえで必ずしも必要ではないビールと、生きる上で欠かせない性衝動(水着美女)を並べることで、それらを同一視させ、本能的にビールを欲する状態を作る。
これが水着美女が長らく起用されてきたもう一つの理由と言える。
水着美女が姿を消した理由
酒類メーカー各社が公表しているのは「商品の多様化」「女性ユーザーの拡大」「訴求ポイントの多様化」だ。
商品の多様化とは、昔に比べ酒類メーカーの扱う商品ラインアップが格段に増え、もはや水着のポスター1枚ではそのすべてを包含できないということらしい。
また、女性のビール党が拡大したことによって、男性には効果的な水着美女ポスターが効かない、あるいは不適切ということのようだ。
もう一つは訴求ポイントの変化だが、ビールブランドが乱立するなかで、各社は独自の訴求ポイントの打ち出しに迫られた。食事と一緒に楽しめる“ Food”商品であったり、プリン体・カロリーオフなどの機能性商品がこれにあたる。
要するに、商品もユーザーも拡大するなかで水着美女だけではとても「もたない」ということのようだ。なるほど、非常に納得できる説明だがやや建前なニオイがしないでもない。
筆者としては別の理由もあるのではないかと邪推する。
水着美女ポスターは「業界自主規制」に引っかかったのではないか。
業界自主規制とは「法的に絶対ダメとは言えないが、業界の健全な発展のためにはやらない方がいいよね」というものだ。
例えばビール業界では、未成年が手を出したり、アルコール依存の人がもっと飲みたくなったり、禁酒しようとしている人の意思を妨げたりするような広告はNGだ。
その点、水着美女広告は、水着に刺激されたイタイケな少年がビールに手を出すかもしれない、少年に限らず飲みすぎな大人たちがさらに飲みたくなるかもしれない。そもそも、性的な魅力全開の水着美女を広告に起用するのは社会的にどうなのか?
つまり、水着美女ポスターはクリーンな方向に進み続ける日本の社会規範に反するものとして、21世紀に生き残れない宿命だったとも言える。
水着美女は本当に消えたのか?
例えば、女性からはやっかみも込めて物議を醸している、檀れいさん演じる天真爛漫な奥さん。ビールではないが井川遥さん演じる艶めかしいハイボールバーのママ。明らかに聞き間違いを狙ったのではないかと疑いたくなる「リッチする?」の松下奈緒さん。
水着姿でこそないが、水着姿以上に、我々のリビドーを刺激する素敵な広告に仕上がっているのではないだろうか。
確かに水着美女は消えてしまった。しかし逆境を越えて、彼女達は素晴らしい進化を果たした。いまだその微笑みを絶やさず、我々を優しく見守ってくれているのだ。
我々が人間であり、男である限り、ビールの妖精たちは不滅である。