2021.12.11
ささやかな日常こそ最高の幸せと教えてくれる『きのう何食べた?』
『きのう何食べた?』で描かれるのは、中年のゲイカップル。ふたりが「毎日一緒にごはんを食べる」というささやかな日常が本当の幸せだと思えるのは、経験と年齢を重ねているからでもあり……。
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文/吉田 潮(コラムニスト・イラストレーター)
「ゲイの男性」の描き方が変わってきた
「女言葉で毒舌を吐き、懐の深さで人生相談に応じる」「若い男性や二枚目を狙うため、男から怖がられる」「女性に厳しく辛辣、男性には甘い」「女装や派手な服が定番」などなど。「男が好き=女のようにふるまう」という決めつけの前提があり、デフォルメされて色物扱いに。好きになる対象が男である、というだけなのに、「異」の存在として描かれる傾向が強かった。
今は違う。ごく当たり前に日常生活を営む。特殊な存在ではなく、どこにでもいる人として描かれるようになった。女装でも女言葉でもないノンケの男性がゲイの男性を好きになって、戸惑いながらも恋に落ちていく過程を丁寧に描き、空前のヒットとなったのが、田中圭主演の『おっさんずラブ』(2016・2018、テレ朝)だ。映画化し、シチュエーションを変えた新装版(2019)も制作。コミカルな展開だが、男たちの男たちによる男たちだけの恋愛ドラマとして人気を博した。
また、童貞の主人公(赤楚衛二)が「人の心を読める力」を授かってしまったがために、同僚の男性(町田啓太)の優しさに惹かれていく心模様を描いたのが、『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(2020・テレ東)だった。
この背景には、日本の賢くて想像力豊かな女性たちがいる、と私は思っている。彼女たちがひっそりと、しかし堅実に着々と育てあげてきた「BL文化」がドル箱メジャーコンテンツとして花開いたため、テレビドラマにいい影響を及ぼした、と。今こうして楽しめるのも、腐女子の皆さんのおかげやで。
ただし、この2作は恋の入り口を描いていて、若さとときめきを重視した「ノンケとゲイの初めて物語」。人を好きになる尊さが主軸で、その先に続く日常にはたどり着いていない。で、ようやく今回のお題『きのう何食べた?』である。
2019年にテレ東が連ドラで放送、翌年の正月にはスペシャルドラマも制作。さらに映画化され、現在「劇場版」が上映中。シロさんこと筧史朗を演じるのは西島秀俊、ケンジこと矢吹賢二を演じるのは内野聖陽。このゲイカップルは、原作漫画ファンも納得のキャスティングだ。そもそも原作漫画が秀逸であることに加え、制作陣の原作に対する思い入れも相当強く、万人から愛される作品となったわけだが、この魅力をざっくりまとめてみよう。
加点方式の愛と、文字通りの日常茶飯事
ところがシロさんとケンジは、お互いの長所をどんどん見つけていくし、自分の悪いところは極力直していく。
西島&内野の愛情表現も、時間経過とともにどんどん高まっている気がする。「イヤ、もう、マジで好きでしょ、あんたたち」と思わせるふたりの空気。連ドラの初めの頃と比べても、お互いの敬意と愛おしさが増し増しになっている感がある。ふたりの長期的な計画による演技プランだとすればすごいし、演技を超えた好意がこんなに漏れ出てくるのは稀有。劇場版ではふたりの「表情の柔らかさが醸し出す心情変化」と「経年で生じるなれあいの心地よさ」をたっぷり堪能できた。
そして2つめ。シロさん(時々ケンジ)の作る料理は気取っていなくて好感がもてる。アクをとるなどの作業は手を抜かないし、一品料理ではなく必ず何皿か作る「副菜の鬼」ではある。それでも、基本的に誰にでも作れそうなメニュー(材料も手軽に入手可能)が多い。シロさん自身も「めんつゆと顆粒だしでほぼほぼ乗り切る」と自嘲。いわば毎日作っている人の料理なのだ。
文字通り、日常茶飯事。そこがいい。聞いたこともない材料や調味料を使い、全体的にすかした料理をドヤ顔かつ上から目線で出す主人公では、この物語は成立しないもんね。
料理が得意ではない私も、連ドラの「ツナとトマトのぶっかけそうめん」、劇場版の「リンゴのキャラメル煮」は作った。これなら作れると思わせる料理や、今ある材料で作れる料理というのは、重い腰を上げさせて人を台所に向かわせるもの。
そういえば、連ドラ放送中は登場した料理をこぞって作り、SNSにドヤ顔でアップする人が大量発生。サッポロ一番は断然塩派の私でも、素直に「今度味噌も買ってみるか」と思わせるだけの説得力が、この作品に登場する料理にはあるからね。
ささやかな日常こそ最上の幸福
年齢を重ねたことで、切り捨てられるようになった欲望やこだわり、沸点が低くなった感情、視点を変えることができる柔軟性、優しい嘘の使い分けなどに説得力もある。もちろん、すべての中年がこんなに成熟しているわけがないのだが、「毎日ふたりで一緒にごはんを食べる」というささやかな日常が本当の幸せだと思えるのは、経験と年齢を重ねているからでもあり。
この対比として登場するのがジルベールこと井上航。磯村勇斗が演じるジルベールは、自分にベタぼれな年上彼氏の小日向大策(山本耕史)をワガママ言いたい放題で振り回す。
また、中年期ということは親が老年期。テレビドラマは基本的に若い人が主軸になるため、親も子もまだまだ現役、「老い」に直面していない。
シロさんとケンジは親の老いを目の当たりにすることで、ふたりの絆を強固にしていく。連ドラ・スペシャルドラマ・劇場版で共通して登場するのが、シロさんの両親だ。頭の固い父を田山涼成(ドラマ版の前半は故・志賀廣太郎)、料理上手で古風な母を梶芽衣子が演じている。
息子がゲイと知っても父はまったく理解できず、家では女装をしていると思っている。母は母で、息子を知ろうと努力はするものの本当の意味でゲイを理解していない。正直、厄介な両親ではある。
ついにケンジの母も登場
劇場版ではこの両親のせいでケンジがひどく傷つくハメに。さらに、ケンジの母(鷲尾真知子)も登場。実家である美容院を継ぐ話をもちかけてくる。夫が女をつくって家を出て、時々帰宅しては暴力をふるって金を奪っていく。それでも離婚しないで三人の子を育て上げた、たくましい母が引退を宣言。
ちなみに父は千葉で生活保護を受けているため、毎年ケンジのもとには役所から扶養届書が届く。扶養も断り、会うこともないが、その封書は父の唯一の生存確認だ。
確実に家族は老い支度を始めている。シロさんとケンジはそれぞれの親の病や衰え、老いを目の当たりにし、経済的な援助や家業の継承という話も浮上。ふたりは自分たちにできることだけをする。
結婚するとか、孫の顔を見せるとか、金を出すとか、家業を継ぐとか、自宅で介護するとか、親が望むことをかなえるのがはたして親孝行だろうか? その答えをふたりが出してくれた気がする。親が思うほど不憫でも不幸でもなく、むしろささやかな日常を最高の幸せと感じている。それこそが本当の親孝行ではないか、と。
ゲイカップルの日常を描いたら、人類共通の救いがあって一体感が生まれた。結婚していなくても、子供がいなくても、裕福でなくても、毎日おいしいご飯を食べて小さな幸せを噛みしめる。万人に愛される本当の理由はそこにあるのではないかしら。少なくとも私は救われた気がするよ。