2022.01.20
「クレイジージャーニー」で話題の写真家、佐藤健寿はなぜ奇妙な世界を撮り続けるのか?
世界中の奇妙な人・物・場所を撮影した写真集「奇界遺産」シリーズをはじめ、TBSの紀行バラエティ『クレイジージャーニー』への出演などで知られる写真家の佐藤健寿さん。独特の視点で切り取られる“不思議な世界”に、好奇心と想像力を掻き立てられた読者も多いかと。唯一無二の“佐藤ワールド”は、いかにして作られてきたのでしょう?
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文/井上真規子 写真/椙本裕子
そんな佐藤さんが切り取った「摩訶不思議な世界」は、毎回私たちを未知の世界へと導いてくれます。今回は人気写真集「奇界遺産」シリーズが生まれた背景や、佐藤さんの写真に対する想いなど、たっぷり伺いました。
あのエリア 51っていまはどうなっているんだろうと興味本位で
佐藤 僕が子供の頃は、五島勉さんの「ノストラダムスの大予言」がベストセラーになったり、テレビだと、いまで言う「世界の果てまでイッテQ!」のような海外ロケ番組がたくさん放映されていました。当時カリスマ的な人気を誇ったオカルトディレクターの矢追純一さんが手掛けた「木曜スペシャル」の『UFOシリーズ』や、夏になると昼間に『怪奇特集!! あなたの知らない世界』のような心霊番組が大人気だったんです。予言だの、超能力だの、なんか怪しいものがテレビで連日放送されていましたね。ある意味世紀末的というか。それで必然的に興味を持っていったって感じはありますよね。
佐藤 というより、直接のきっかけは、日本で美大を卒業した後に留学したアメリカの学校で出された、写真の課題です。何を撮影しようかテーマを考えていた時、子供の頃にテレビで見た「エリア 51」が脳裏に浮かんだんです。そう言えばアメリカにはUFO基地と呼ばれる場所があって、矢追さんが番組でよく行っていたなと。立ち入り禁止の所まで行ってヘリコプターに追われたりしてて(笑)。あのエリア 51っていまはどうなっているんだろう、と。それで興味本位で撮影しに行きました。
結果的に、その写真は世界的なリアクションを貰うことになって。Flickr(フリッカー)というInstagramの先駆けのような画像共有サービスに写真をアップしてみたら、「エリア 51」のWikipediaの項目で使わせて欲しいという問い合わせをもらったりして。友人にも、面白がってもらえて、これは楽しいぞと。
シンプルに分かりやすく、ニュートラルな視線で撮影することを心がけた
佐藤 オカルトや超常現象のような不思議なテーマのものって、その道の研究者が適当に撮った写真はあっても、プロのフォトグラファーが丁寧に撮ったものはほとんどなくて。それに気づいてからは、南米のナスカに行ってみようとか、ヒマラヤの雪男ってなんだったんだろう? と、実際そこに向かってみたり。そんなことをやっているうちに今に至るという感じです。
── 丁寧に撮影するというは、どういうことですか?
佐藤 被写体自体が「何コレ?」というものが多かったので、できる限りシンプルに分かりやすく、ニュートラルな視線で撮影することを心がけました。単なる報道写真にはしたくなくて、でもアート写真にするのも違うな、とか。そういう想いの間で揺れた結果、今の写真にたどりつきました。
佐藤 「エリア51」や「ヒマラヤの雪男」もそうですが、そういう奇妙なモノをたくさん撮影していくうちに、出版社から“本にしないか”というオファーをもらったんです。一度は話が流れたのですが、声をかけてくれた編集者と数年後に会ったら、その人が出版社内でだいぶ出世していて(笑)。もしかしたら予算をかけて写真集を作れるかもと思い、今度は自分から声を掛けてみたんです。そうして完成したのが「奇界遺産」です。
佐藤 売れることはまったく予想してなかったですね。自分ががこういう本が欲しいと思ってその思いだけで出版した本なので(笑)。
── 非常に立派な本になりましたが、作るうえでのこだわりとかはありましたか?
佐藤 こだわりは、もともと子供の頃から図鑑が好きだったこともあり、当時(2010年)としては珍しい図鑑っぽい写真集に仕上げてもらいました。あとは子供時代に「ぐちゃぐちゃで不思議な世界」が広がっていくような本が欲しかったのを思い出して、UFOや雪男、中国の洞窟とか本来交わらないものをあえて並置したり。子供時代の想いを具現化しました。
なぜ奇妙になったのかという「歴史」を大事にしている
佐藤 90カ国ぐらいまでは数えていたんですけど、段々曖昧になって。今は「120カ国くらい」って答えるようにしてます。多分その前後かなと(笑)。昔は、一度日本を出たら3カ月くらいは行きっぱなしでしたけど、最近は、行っても2週間くらい。海外取材は1年で延べ3〜4カ月ですかね。どれもコロナ前の話ですけど。
── 旅先を決めるうえで、大切にしていることは?
佐藤 「ビジュアル的な奇妙さ」も大切ですが、なぜ奇妙になったのかという「歴史」をすごく大事にしています。奇妙な場所って、必ず何か「ねじれた歴史」のようなものが存在するんですよね。撮影していくと、その文化に行き当たらざるを得ない感じになってくる。それがまた面白いんです。
佐藤 例えば「エリア51」がなぜ、“UFO基地”と呼ばれるようになったのか? その歴史を辿っていくと、“冷戦”に行きつくんです。50年代、アメリカ政府が秘密裏に建設した航空基地をソ連のスパイ衛星に撮影されてしまい、米政府は“そこに何かが存在すること”を認めざるを得なくなっていった……とか。
そういう不思議な場所の歴史的な背景を調べることで、よりその場所を奇妙に感じるようになります。さらにUFOに関していえば、心理学的な問題も加わってくる。分析心理学者であるユングの本には「第二次世界大戦中、世の中はすごく疲弊していた。だから戦後、アメリカ国民は空に調和の象徴として円形を見出そうとしていたんじゃないか」みたいなことを書いているんです。
で、実際にUFOの目撃が多く叫ばれ始めたのも、第二次大戦直後から。戦争が終わって、アメリカでは「次の敵はソ連だ」、ソ連でも「アメリカが新たな敵だ」って風潮になって、互いに偵察機を飛ばし合っているという噂が民間に広まったんです。それでみんな「核爆弾がいつか落ちてくるんじゃないか」と頻繁に空を見るようになった。その頃から急に「空に不思議な物体を発見した」という報告が増えはじめわけです。
佐藤 米政府は「ソ連の偵察機かもしれない」って思っていたようです。あとは漫画みたいな話ですが「ナチスの生き残りがUFOを作ってるんじゃないか」って噂が広がったりして。でも、冗談で済ませるにはあまりにも報告が多いから、一度ちゃんと調べてみようとなって、アメリカの軍部が調査チームを立ち上げたわけです。
結果、何もなかったんですが、30〜40年経つと細かい話は忘れられて、テレビで「過去に米軍が正式にUFO研究を行っていた」みたいな放送をするようになって、それを見た我々が「やっぱり本当にアメリカ軍はUFO問題に取り組んでいた」と捉えてしまう……。そんなふうにして「UFO基地」という、事実がねじれて生まれた場所ができたわけですね。
「逆になんでこんなものが世界の大ブームになったんだろう?」と思うことも
佐藤 先ほどお話したとおり、なるべくニュートラルな気持ちで撮影に臨んでいます。例えば「奇界遺産3」に掲載した北朝鮮は、どうしても政治性みたいなものが写真に写りこんでくる。貧しく撮ろうと思えばいくらでも撮れるし、逆のイメージで撮影することもできるわけです。だから「本当にどちらでもない真ん中の視点」で撮影することに徹しています。
メディア特有の無理矢理なストーリーづけで、イメージを変に植えつけるようなことはしたくなくて。あくまでもニュートラルな視線で撮影して、改めて「やっぱり不思議だったな」っていうものも出てくるし、「逆になんでこんなものが世界の大ブームになったんだろう?」と思うこともある。そういう面白さを、皆さんと共有できたら楽しいと思っています。
── だから、佐藤さんの写真には“それが何なのか?”を考えさせられる不思議な力が備わっているんですね。そんななかでも「これは!」と佐藤さんの気持ちが盛り上がった場所は?
佐藤 やっぱり最近では北朝鮮のマスゲームですね。興奮するというか、焦るんですよね。凄すぎる場面に出会うと、撮影する前から、制限された時間内で撮りきれなくて後悔している自分でイメージできてしまうんです。北朝鮮のマスゲームはとにかく圧倒されました。
佐藤 それがそうでもないですね(笑)。ざっくりはやりますけど、調べすぎると色眼鏡がついてしまうこともあるので。あとは「奇界遺産」で訪れるような場所って、ネットで調べても大した話が出てこないんです。ひとつの記述を、ほとんどの記事が使い回しているような状態だったり。ネットの言及は多い場所でも誰も実際に行ってないので、それが間違っていることも多々あるし、僕だけがその間違いに気づいていることもよくあります。
テレビのとある局のリサーチャーの方から「これ間違ってます」って言われて、「いや、ネットが全部間違っているんですよ」って。そういう謎の戦いがたまにありますね(苦笑)。最終的に中国のローカルニュースや、政府の資料文書などを提出しましたけど……。別の話かもしれませんが、ネットに書かれている大多数の情報が事実でないにもかかわらず、事実みたいになっていっちゃうって怖さは常にありますよね。
── ちなみに、写真で伝えることが難しいモノやコトってありましたか?
佐藤 例えば、『クレイジージャーニー』でも放送されましたが、アメリカに「ボディ・ファーム(死体農場)」と呼ばれる場所があって、ここは法医学や人類学の研究のため、人間の遺体を農場に放置して、死後の経過を観察する施設なんですけど、そこの特有の臭いっていうのは、なかなか伝わらないですよね。他にも写真では穏やかな空気感に見えても、現場では怒号が飛び交っていたりすることもよくあります。あと、北朝鮮は犯罪者もいなくて安全だったんですが、撮影中に監視人みたいな人がずっと同行して「これは撮影禁止だから」って色々言われるんです。
『クレイジージャーニー』はスタッフの情熱の次元が、もう全然違うんです
佐藤 すごく面白い番組ですよね。ほかの出演者たちも、「番組に出てよかった」と言ってたんじゃないかと思います。スタッフの情熱の次元が、もう全然違うんですね。変に思考停止した自主規制みたいなものがまったくなくて、驚きました。
我々のようなタイプにとって、特にテレビは諸刃の剣。その点、松本(人志)さんはじめスタッフの方々がきちんと敬意をもって扱ってくれて、素直にやりやすかったです。
── 近年はUFOやオカルトなどを特集した番組はほとんど放送されなくなってしまいました。なぜ、減ってしまったのでしょうか?
佐藤 よく言われる話が、90年代に起きたオウム真理教事件。80年代のオカルトブームを経て、その文化土壌から出てきた奇抜な言動を繰り返す麻原彰晃をバラエティ番組が面白半分でテレビ出演させたことで、東大出身の賢い子たちが「大予言」や「最終戦争」、超能力まがいのことを信じて入信してしまった。それであの事件が起こって、マスコミもこれはさすがにまずいとなって自粛が始まったという。
あと、昔は「エリア51」みたいな伝説一つで10年、20年引っ張れたんです。「アメリカの基地建設に関わった作業員にインタビューした」って内容で、テレビの特番一本組めましたから。でも今、同じことやれば、FacebookなどのSNSで作業員の身元も一発でわかるし、嘘が簡単にバレてしまうんですね。そうやって嘘を暴こうと“デバンキング”する人たちがいっぱい増えて、昔のやり方が通用しなくなってしまった。同時にCG技術も発達して、リアルなUFOの映像を見たら、みんなまず「CGだ」って思ってしまう。リアリティの概念が変わってしまったというのも、背景にあると思います。
佐藤 日本やアメリカは特にそうだと思います。でも一方で、例えばインドの各地で「サイ・ババってどう思う?」※って聞いてみたら、誰1人として「あれは嘘つきだよ」みたいに否定する人はいなかった。懐疑的にみれば「(超能力を使って)超越的な神様だってアピールをしてる」って捉えるんですが、インドではそもそもサイ・ババは神様であるという前提は揺らがなくて「神様だからそういうことができてもおかしくない」と思うって言うんですね。ういう環境による認識の違いはすごく面白いと思いましたね。
佐藤 自分の旅は、実は目的地へ行くまでの過程の方が遥かに長いんです。たとえば、宇宙ロケットを撮影したカザフスタンの「バイコヌール」も、行くまでに20時間、ロケットが飛び立つまで1週間の滞在時間がありました。その間もずっと写真は撮っている。でも本にするのは、その中の一瞬のハイライトだけなので、「奇界遺産」が自分の旅すべてかと言われるとそうでない。だから、それ以外の写真も見てほしいと思って作りました。20年間かけてニュートラルに見てきた世界はこんな感じ、って伝えられる本ができあがったと思っています。
●佐藤健寿(さとう・けんじ)
1978年生まれ。写真家。写真集「奇界遺産」「奇界遺産2」「奇界遺産3」(エクスナレッジ)が異例のベストセラーに。TBS系列『クレイジージャーニー』、NHKラジオ第1『ラジオアドベンチャー奇界遺産』、テレビ朝日『タモリ倶楽部』、NHK『ニッポンのジレンマ』ほか、テレビ・ラジオ・雑誌への出演多数。
HP/奇界 | 奇界遺産・佐藤健寿 公式サイト (kikai.org)
Instagram/Kenji Sato 佐藤健寿(@x51) • Instagram写真と動画
「世界 MICROCOSM」
写真家・佐藤健寿が約20年にわたって撮影した「世界」。数百点の未発表写真を含め、アジアからアフリカ、北極圏まで網羅。佐藤健寿ならではのニュートラルな世界が繰り広げられます。数量限定、なくなり次第販売終了予定。608ページ、函付きの豪華装丁版。価格1万6500円。朝日新聞出版刊