2022.02.14
義足のアーティスト、片山真理。「ハイヒールが履けないやつは女じゃない!」と言われ
新作個展『leave-taking』のために上京した“義足のアーティスト”片山真理さん。「上京する前日、1カ月ぶりに化粧をしました」と笑いながら語ってくれた彼女に、アーティスト、母親、そしてひとりの女性としての目線を通して思う、“カッコいい”大人像を伺いました。
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文/持田慎司 写真/岸本咲子 撮影協力/AKIO NAGASAWA GALLERY
いまや日本を代表する新進アーティストとして注目される片山さんに、作品づくりにかける思いとともに、自身が考える“カッコいい”大人像を伺いました。
創作活動を通して、自分の身体を認識する日々
片山 いまだに自分自身がアーティストだって思ったことって正直ないんですけど……(笑)。高校生の時に「群馬青年ビエンナーレ」という若い世代を対象にした美術の公募展で入賞して、審査員だった東谷隆司さんに「今日から君はアーティストだ!」と唐突に言われたのが大きかったですね。私、昔から人に何かを言われると「そっかぁ」って思い込んで突き進んでしまうところがあるから。そこから20年近く、一応アーティストをやらせてもらっています。
── 入賞する以前から、作品は作り続けていたんですか?
片山 祖父が水墨画を描いたり、祖母と母は裁縫が得意だったりと、私が幼い頃実家では“物を作る”ことが当たり前とされていました。そのための道具や材料も当たり前のようにその辺に転がっていたんです。だから、私も物心ついた頃から自然と何かを作るようになって。
── 初めに作ったものの記憶はありますか?
片山 覚えていますよ。あれは確か5〜6歳の頃だったかな? ビーズをテグスでギュウギュウに巻いて作った玉のようなものでした。作った本人の私自身ですら「なんだこれは?」って思ってしまうくらい、それ自体はアクセサリーになるわけでも、実用として何かの役に立つものでもなかった。でも、なぜか捨てられなかったんですよね。
片山 初めてだから、とかでは多分ないと思います。むしろ、これまで作ってきたオブジェもそうですが、手仕事でできたものって、身体の残り香みたいなものが宿っている気がして、私自身は“身体の延長”のように捉えていたから、なのかも……。
── 今ある作品にも、同じよう感情を抱くことはありますか?
片山 今回発表した『leave-taking』には、過去に作ってきたオブジェたちがフルラインナップで登場します。実はこのシリーズを撮ろうと思ったきっかけは、これらのオブジェが海外の美術館に収蔵されることが決まったからなんですよ。
── それはつまり片山さんの手元から作品が離れていくということですね。
片山 そうなんです。いままで作ってきたものはどれも捨てることができなかったんですけど、ついに別れをする決断をしたんです。
── それで、新作のタイトルを惜別という意味を込めて『leave-taking』に?
片山 まさにその通りです。これまで国内外のインスタレーションをするたびに、いろんなところへ一緒に連れて行きましたが、その度にどんどんくたびれていくオブジェを見ていて、ちょっと可哀想な気がしていました。そんなことを思うようになったタイミングで、ちょうどある美術館からオファがあって。であれば、しっかりとした環境で保存してくれるところに行ったほうが、この子たちにとっても幸せなんだろうなって……。
作品は私から出てくるものでなく出来てくるもの
片山 自分が産み出しているはずなのに、「自分とは違う」という異物感をどこか感じさせる点においては、子供と近いのかもしれません。“私から出来てくる”けれど、決して身体の一部ではなくあくまでも違う物や人という感覚。
── “私から出来てくる”というのはおもしろい表現ですね。
片山 そう。単純に“私から出てくる”じゃなくて、“私から出来てくる”。近しいはずなのに違うという感覚だからこそ、先程も出たような“身体の延長”という表現になるのかもしれません。
── “身体の一部”とは違う?
片山 義足などもよくそう例えられますけど、私にとっては“一部”ではなくて、あくまで延長上にあるもの。だって、歩いていれば壊れるし……。昨日ちょうど義足の膝が壊れて、レンタル義足になっちゃったんですよ。明日から大事な新作展なのに。「大切なデートの日に代車できちゃった~(泣)」みたいな感じ。だから、やっぱり“身体の一部”ではないんです。オブジェに対しても、それに近い感覚を抱いているのだと思います。
── ずっとそのような感覚で作品と向き合ってきたのですか?
片山 10代の頃から続けてきたアートワークですが、いつもどこかで創作自体を辛く感じてしまう部分はありました。そもそも「自分の身体を認識したい」という思いから自ら始めたものなのに、年を追うごとに、身体も、そして心もどんどん変わっていって……。だから、作っても作っても寂しさが必ずどこかに残る感覚があったし、いつまでたっても終わらない。そんなことを漠然と感じながら、20代くらいまでは作り続けていたんです。
── 自分の身体を認識するために作品を作り続けていたと?
片山 先天性の四肢疾患があった私は、幼い頃からバギーや舗装具が常に生活の中にありました。そして、9歳で脚を切断してからは、義足や車椅子での生活が当たり前だったんです。でも、田舎だったこともあって周囲を見渡してもそんな子はひとりもいない。「みんなと同じになりたい」「自然に人混みに紛れ込みたい」と思ううちに、他者との違いを意識するようになって、それが作品作りに影響したのだと思います。
“違い”を意識するなかで芽生えてきた感情
片山 私は、他の人よりできることが極端に少ないんです。例え、それを自分がどれだけ望んだとしても……。実際、学生時代にはアルバイトの面接で落ちに落ちまくっていましたし。面接でハッキリと「正直、一級の障害者はうちでは面倒をみきれない」と言われたこともありました。だから、「群馬青年ビエンナーレ」で東谷さんに声をかけていただいたこともそうですし、mixiで知り合った専門学校生から卒業制作のファッションショーでモデルをやって欲しいと頼まれた時も、「私ができることならやってみたい!」と素直に思えたんです。
── それは、頼まれて自分ができることならできる限り頑張るということ?
片山 “頼まれる”というとすごく聞こえはいいですが、そんな美談ばかりではありません。夜のお店でアルバイトをしていた時は、お客さんからお酒をかけられて「ハイヒールが履けないやつは女じゃない!」なんて罵られたこともありますし……。でもそれがきっかけ、というか「ちくしょー!」という気持ちになって、その日のうちに「ハイヒールが履ける義足が作れないか」って義肢装具士さんに相談しに行きました。私は、差し出された美味しいお菓子でも、投げられた石であっても、それが自分にとってのきっかけになるのであれば、まずはやってみることが大事。そして、やってみてダメだったらやらなくていい、と思っているんです。
片山 「したいと思っても、できることが少ない」と普段は感じているからこそ、ハッパをかけられるとやってみたくなるのかもしれません。私って、本当に単純だから。実は、今回上京するのもすごく億劫で、「正直、あまり行きたくないな」なんて思っていたんです(笑)。本当に、どうしようもない人間なんです。でもそれを鼓舞してくれる夫や娘がいて……。
── それで今日のインタビューに至ると?
片山 そうなんです。実はお化粧も昨日したのが1カ月ぶりで(笑)。でも、そういう感じで、いつも人からモチベーションをもらいながら生きているんです。「できることはしたい!」。そう気づかせてくれるのは、私にとってはいつだって周りの人の影響がとても大きいのだと思います。
※後編に続きます。
● 片山真理(かたやま・まり)
1987年群馬県出身。2012年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。幼少の頃より裁縫に親しむ。先天性の四肢疾患により9歳で両足を切断。以後、手縫いの作品や装飾を施した義足を使用しセルフポートレートを制作。2011年より「ハイヒールプロジェクト」をスタートし、歌手やモデルとしてハイヒールを履き、ステージに立つ。
主な展示に 2019年「第58回ヴェネチア・ビエンナーレ」(ヴェネチア、イタリア)、「Broken Heart」(White Rainbow,ロンドン,イギリス)、2017 年「無垢と経験の写真 日本の新進作家 vol.14」( 東京都写真美術館、東京、日本 )、「帰途-on the way home-」( 群馬県立近代美術館、群馬、日本 )、2016 年「六本木クロッシング 2016 展:僕の身体、あなたの声」( 森美術館、東京、日本 )、2013 年「あいちトリエンナーレ 2013」(納屋橋会場、愛知、日本 )など。主な出版物に2019年「GIFT」United Vagabondsがある。2019年第35回写真の町東川賞新人作家賞、2020年第45回木村伊兵衛写真賞を受賞。
2月19日(土)までAKIO NAGASAWA GALLERY GINZAで個展『leave-taking』開催中。
■AKIO NAGASAWA GALLERY GINZA
住所/東京都中央区銀座4-9-5 銀昭ビル6F
開廊時間/11:00-19:00(土曜 13:00-14:00 CLOSE)
定休日/日・祝・月曜日
TEL/03-6264-3670
HP/AKIO NAGASAWA