2022.03.05
ヴォーカリスト・鈴木雅之「社会や流行が変化しても普遍的な‟ラヴソング”を歌い続けたい」
甘く魂のこもったヴォーカル力で、都会の夜を彩るロマンティックなラヴソングを数々発表している、鈴木雅之さん。ソロ活動を開始して35周年、佇まいや音楽から常に「カッコいい大人」像が伝わってきます。その原動力、そして還暦を超えた現在だからこそ見える「カッコよさ」の真髄を直撃しました。
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文/松永尚久 写真/内田裕介
2011年からは、東日本大震災をきっかけに、日本の名曲をカヴァーするプロジェクト『DISCOVER JAPAN』がスタート。22年2月には、これまでを総括する『DISCOVER JAPAN DX』を完成させました。YOASOBIの「怪物」、手島 葵さんの「明日への手紙」、スターダスト☆レビュー「木蘭の涙」や、ラッツ&スター名義で発表した大瀧詠一さん提供の「Tシャツに口紅」のセルフカヴァーといった新録曲を含む、あらゆる時代のマスターピースの数々を、唯一無二のセクシーなヴォーカルで再構築。楽曲の新たな魅力をディスカバーできるデラックスな3枚組になっています。
どんな音楽も自分色に染め上げる表現力を磨くことにこだわってきた
鈴木 「ヴォーカリスト」という肩書きにこだわって活動してきた35年と言えます。ジャズやR&Bなどジャンルに特化した「シンガー」ではなく、どんな音楽でも自分色に染め上げることができる表現力を磨き、認知されること。それを、さまざまなミュージシャンやスタッフの方々、そしてファンの皆さんとともに築き上げることができたのかなと。これまでの35年の活動は、間違っていなかったという自負はあります。
—— 35年を通して、常に「カッコよさ」を感じる音楽を発信している、鈴木さん。それぞれの時代によって、表現してきた、もしくは感じる「カッコよさ」に違いや変化があったのでは?
鈴木 1970年代に幼なじみと一緒にグループを結成して、活動を始めたのですが。当時は、ハードロックやニューミュージックなど、さまざまなジャンルの音楽が個性を主張し合っていた。その中で、僕らが追求した「ドゥーワップ」という60年代にアメリカを中心に隆盛を極めたコーラス・スタイルの音楽はマイノリティな存在で、ブームに逆行していたのです。
でも、それが功を奏して、80年にデビューさせていただくと「古くて新しい」ものとして注目されていった。ブームに乗るのではなく、作ることができたのかなと感じました。
—— やがて80年代中盤になると、ヒップホップなども台頭し、またディスコやクラブ文化も定着するようになり、鈴木さんの発信した音楽は一大カルチャーへと進化しました。
鈴木 僕がそういう場所に足繁く通っていた頃(70年代)は、ディスコという言葉がなくて「踊り場」と言ってました。スマホはおろか、録画するデバイスも普及していない状況だったので、当時オンエアされていた『ソウル・トレイン』(70年代放映のアメリカ発ソウル・ダンス番組)で披露されたステップを必死で頭の中にメモリーしてダンスフロアへ繰り出していましたね。
週末には(『ソウル・トレイン』のスポンサーをしていた)JUNの洋服に身を包んで、駅のホームでステップを復習している人が多くいましたよ(笑)。また、新宿だとアメリカ軍の関係者が遊びにやってくるので、本場のステップを吸収できましたし。時代の先端を体感してきたことが、その後に結びついていると思いますね。
—— 特に80年代の鈴木さんは、煌びやかな「大人」という印象が強かったです。
鈴木 デビュー前からお世話になっていた大瀧詠一さんからは「流行りものには手を出すな。後悔するから」と何度も釘を刺されていたんですけど、86年にソロ活動をスタートさせてからは、生音のドラムにエレクトロニックな音を混ぜた楽曲を制作したり、ファッションも肩パットが過剰に入ったジャケットを羽織ったりと、今振り返ると「何でこんなことやったの?」と思うことをたくさんしましたね(笑)。
でも、僕の座右の銘のひとつとして「失敗は成功のもと」があるんですけど、あの当時いろんなことに挑戦できたことが、今にいい影響を与えていると思うし、また現在もアンテナを張り巡らせて、さまざまなものを吸収できるようになったのかなって。
社会や流行が変化しても普遍的なものを歌いたい。それは「ラヴソング」
鈴木 どんなに社会や流行が変化しようとも、普遍的なものを歌いたいと思っていて、それは「ラヴソング」だと思いました。だからソロで活動をスタートさせた当初から、ずっと「ラヴソング」を歌い続けています。アレンジに関しては時代によって変化していますが、本質的なその部分はどの楽曲にもちりばめられているのかなって。「ラヴソング」は、自分にとっては譲れない要素です。
—— どのラヴソングも「都会」を行き交う人々の感情や情景を丁寧に伝えていると思いました。
鈴木 89年に発表した小田和正さんの提供曲「別れの街」を制作したことが大きかったですね。その時、小田さんに「街」と「町」の違いを教えていただいたんです。「街」は高層ビル群に囲まれた都会を示すもので、「町」は地元や故郷などシンプルな風景が広がる環境だと。都会に集まる人々はそれぞれの「町」を背負って「街」に集まって、いろんなドラマを繰り広げている。「街」で起こった人の出会いと別れを抽出させた楽曲が、「別れの街」なんだと。
それ以降、作る楽曲はドラマを意識するようになりました。また同時期には、山下達郎さんともセッションさせていただく機会があって、達郎さんからは音の作り方というか。人間のエモーショナルをどのように音に反映させたらよいかを学ぶことができました。
—— また変わらないと言えば、80年代から続く甘美でソウルフルな歌声、そしてルックスです。キープするための秘訣はなんですか?
鈴木 もちろん、トレーニングをするなど、カラダや喉のケアや管理をすることも大切なのですが、一番の要因は若い世代と対等な立場で行動することなのではないのかって思います。僕は周囲から「リーダー」と呼ばれることが多いんですけど、それは先頭に立っていながらもお互いを刺激し合い、一緒に新しいものを築き上げていくイメージ。自分は前にいて他の人を走らせる印象の「ボス」とは異なる気持ちでいるから、若くいられ続けるのかなって。
—— なるほど。「気持ち」が大切なんですね。
鈴木 人間は、今いる環境が外見にも現れると思う。もし僕が、同世代の人ばかりと集っていたらいい歳の取り方をするのかもしれませんが、下の世代と共演する際はちょっと気を遣われるのかなって(笑)。音楽業界に限らず若い世代とやり取りを積極的にされる方って、皆さんエネルギッシュじゃないですか。
YOASOBIの楽曲は現代のラヴソングだと感じて、カヴァー
鈴木 このコロナ禍によって、自宅で過ごす時間が増えたことで、いろんなタイプの音楽に触れることができました。その中で、彼ら(特にソングライターであるAyaseさん)の作る音楽は、現代の「ラヴソング」だと感じて、選んだのがこの楽曲です。恋愛だけでなく、人間愛、家族愛、友情、すべての愛が「ラヴソング」じゃないかな。
実は、『DISCOVER JAPAN』というプロジェクトは、17年に発表した『DISCOVER JAPAN Ⅲ ~the voice with manners~』で終了する予定でいたんですけど、コラボレーターである服部隆之さんにこの楽曲を聴いていただき、「オオカミ少年の話があったけど、現代にオオカミ(怪物)が存在した。‟コロナ”という。だからこの楽曲をカヴァーするべきだ」と説得して、完成させたのです。
—— 今回は3枚組というボリュームのある構成。これまで発表してきたカヴァー曲だけでなく、新録曲も収録していますが、どういう基準でセレクトしたものなのでしょう?
鈴木 令和、平成から昭和まで時代ごとにまとめながら、コロナ禍だからこそ皆さんに伝えたいメッセージもこめたコンセプチュアルなアルバムです。本作には、YOASOBIの楽曲のほか、未来は必ず明るいものになるというメッセージのこもった手嶌 葵さんの「明日への手紙」、デビュー当時から僕の盟友的存在であるスターダスト☆レビューの究極の別れを描いた「木蓮の涙」を新たにレコーディングして収録しました。
—— また、ラストには83年にラッツ&スター名義で発表した、大瀧詠一さんの提供曲「Tシャツに口紅」のセルフカヴァーを収録しています。
鈴木 このプロジェクトでは、日本の「隠れた」名曲の数々をストリングスの旋律にのせて伝えたいと思っていて。大瀧さんの音楽の多くには、その旋律があり、かつこれからも歌い続けたい楽曲でもあります。今回は特別に大瀧さんが遺されたコーラスを拝借できたので、アルバムの最後に皆さんへのプレゼントのようなカタチで収録して、改めて楽曲の素晴らしさをディスカバーしていただきたいと思いました。
ファッションを「着こなす」ように、音楽も「聴こなして」
鈴木 ファッションでいろんなスタイルを取り入れながら自分流に「着こなす」ように、音楽も「聴こなして」ほしいですね。それをうまくできる人がカッコいい大人なのではと。
—— 確かに、さまざまなな「聴こなし」ができそうな作品です。
鈴木 人の数だけ、楽曲に対する思いも異なる。だから、皆さんにとって人生のテーマ曲になるようなものを、このアルバムでディスカバーしていただけたら。
—— 4月からは全国ツアーもスタートします。
鈴木 今回のアルバム収録曲をメインにしながらも、35年間のソロの歩みも感じていただけるような構成になると思います。おそらく、新しいルールに基づいたステージになるのでしょうが、お客さんと心のキャッチボールができたら。世の中にはいろんな困難がありますが、そこに立ち向かっていく気分になれるショーをお見せしたいと思っています。
「古希ソウル」を作るまでは、第一線で活動し続けなくては
鈴木 実は還暦(60歳)になる前までは、そこがゴールだと思って「還暦ソウル」という楽曲を作ったのですが、完成させた瞬間に、まだまだ先があると確信しました。声の伸びを含め、今の自分が最高の状態であり、またこの年齢だからこそ伝えられるものがあると。
だから70歳を迎えて「古希ソウル」を作るまでは、第一線で活動し続けなくてはいけないなって。それが、今の自分を走らせている機動力になっていますね。人間は老いていくことが怖いのではなく、目標を失うことが怖いと思うのです。
—— 音楽を含め、これからどんな「カッコよさ」を追求していきたいですか?
鈴木 これはずっと思っていることなのですが、人間として「品のある色気」を失わずにいたいですね。それは、自然と滲み出てくるものだと思う。僕は、ヴォーカリストとして大切な皆さんに届けたい大好きな音楽がある。その音楽に恋する思いを持ち続けていられるからこそ、「色気」を出すことができるのかなって。
—— ちなみに、最近「色気」を感じる方はいますか?
鈴木 僕は目移りするタイプなので、その時々で色気を感じる方が変わりますが(笑)。最近だと、20年発表のシングル「DADDY ! DADDY ! DO !」で共演した鈴木愛理さんですかね。どんなミュージシャンの方と共演する際もそうなのですが、自分が相手をどうエスコートできるのか? (特に女性の場合は)ひとりの男性として接しているんですけど、彼女の姿に共演するたびに色気とチャーミングさが増していくように感じました。
その後、昨年行われた彼女の日本武道館公演を拝見したら、すっかり「ソウル・ディーヴァ」としての存在感を漂わせていたのです。自分が成長にひと役買えたのかなと思うと、感慨深かったですね。
—— 鈴木愛理さんとの色気漂うセッションは、アルバムと同時発売された映像作品『masayuki suzuki taste of martini tour 2020/21 ~ALL TIME ROCK 'N' ROLL~』にも収録されていますね。
鈴木 セッションは自分でも、どんなものができるかいつも楽しみなんです。これは、音楽の神様が与えてくださる「最高のギフト」だと思っているので。
● 鈴木雅之(すずき・まさゆき)
1980年、シャネルズのメンバーとしてデビュー。86年よりソロ活動を開始、ベストアルバム『Martini』は(Ⅰ)(Ⅱ)それぞれミリオンセラーを記録。17年に、第67回芸術選奨文部科学大臣賞(大衆芸能部門)を受賞。22年2月23日には、ソロデビュー35周年記念カヴァー・ベスト・アルバム 『DISCOVER JAPAN DX』と、ライヴ映像作品 『masayuki suzuki taste of martini tour 2020/21 ~ALL TIME ROCK 'N' ROLL~』が同時発売。4月2日〜全国ツアー『masayuki suzuki taste of martini tour 2022〜DISCOVER JAPAN DX〜』がスタート。
「DISCOVER JAPAN DX」 鈴木雅之
4500円/ソニー・ミュージックレーベルズhttps://www.martin.jp/solo35th