2022.03.10
藤原ヒロシ、高木 完、デッツ松田が明かす タイニーパンクスの真実
1980年代の東京ストリートシーンを席巻したタイニーパンクス。その伝説のヒップホップユニットにまつわる書籍を、中心メンバー自らが手掛け話題となっています。まだどこにも公開されていない内側を、主要メンバーが特別に明かしてくれました。
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写真/鈴木泰之(Studio log) 文/長谷川 剛 構成/長谷川茂雄
変貌するTOKYOシーンをストリートサイドから振り返る
しかし、これまで彼等を正面から取り上げたメディアは皆無。そこでタイニーパンクスに最も近かった編集者、デッツ松田氏が書籍製作に乗りだすことに。しかし、その注目すべきコンテンツは、いまだベールの内側に隠されたまま。ファンならずとも気になる内容を、お三方に集まっていただき、ざっくばらんに語ってもらいました。
高木 始まりとなると、もう10年くらい前になるのかな?
デッツ そうだね。僕等が50歳になったとき、それを祝うパーティーをル バロン ド パリ(すでに閉店)で執り行ってね。そこでヒロシたちがライブとかしてくれて、そのパーティーの時に構想のコアが生まれたように思います。
藤原 でもね、ソコまで凄いモンじゃない(笑)。
デッツ まあ、そのパーティーでも昔話に花が咲いたわけだけど、結構色々と忘れてしまっていることが多くて。だから完全に忘却しちゃう前に、時系列含めしっかり書き留めておこうと思ったんです。
高木 既存の自伝とかをいろいろ見ると、結構後付けだったり盛った内容のモノもあるじゃない? だけどもっとシンプルに、僕等のことをストレートに形にしておきたいと、そう考えたんですよ。
デッツ 僕等ももうトシだから(笑)。できる時にやっておきたかった。
タイトルは「TINY PUNKS +1 TOKYOクロニクル 1977-1990」
デッツ 今回の書籍タイトルは「TINY PUNKS +1 TOKYOクロニクル 1977-1990」になる予定です。
藤原 “1977”というのは、僕たちにとって音楽的な機運が高まりだしたタイミング。
デッツ そして1985年にタイニーパンクスは結成され、ヒップホップの時代が訪れるわけ。
高木 その後にメジャーフォースを設立して、シングル「ラストオージー」をリリースすることになる。クラブシーンではハウスミュージックの流れも生まれてきて、時代は90年代に突入していく。
僕等に興味のない人にはまったく刺さらない(笑)
藤原 そうです。だから、そのへんのカルチャーや僕等に興味のない人にはまったく刺さらない(笑)。
高木 個人的には宝島版「ラストオージー」の再録とかは、改めて集めてみて本当に興味深かった。
藤原 僕はそのへん、ほとんど憶えてないかな(笑)。改めて見せられて『そういうのあったか……』くらいの印象。
デッツ ヒロシは前からそうだよね(笑)。ほんと昔話にあまり興味がない(笑)。
高木 僕は逆に結構、当時のことをアレコレ憶えてる。でも、そういったエピソードをいろいろ話したりすると、ヒロシも少しずつ思い出してくれて、『こんなこともあった』とかサイドストーリーを加えてくれるんです。
デッツ あと80年代のプライベート写真もこの書籍には載せています。ヒロシの若かりしロンドン時代の写真とかも掲載していて、これも見る人によっては十分お宝だと思う。
編集部 さらに書籍には、アイテム的なお宝も付属しているんですよね?
デッツ そう。タイニーパンクスのTシャツやフーディをリターン品として追加できる形式。またそれとは別に、特製ステッカーが書籍すべてに付きます。
読者が独自に分析して楽しんでほしい
高木 そうだと思います。国内のストリート系ミュージック的にも、パンクがあってヒップホップに繋がって、ハウスなどが現われて、少しずつシフトしていく流れも、なんとなく理解できるはず。
藤原 そうね、知られてこなかった部分にも、この書籍のお陰でいろいろスポットが当たったように思います。
高木 確かに。僕等のなかでは当たり前のコトでも、実際に人に話してみると、「それ知らなかった!」と言われることも多いからね。
高木 たとえば「ラストオージー」の由来。今では名称が独り歩きしている感もあるけど、このネーミングは当時ヒロシの家にあったビデオのタイトルだから。今考えるとなんとも感慨深い。
藤原 とは言え、誰も中味は観ていないという(笑)。
デッツ とにかく改めて確認してみると、ラストオージーってユニークだよね。当時あんなふうにアイテムばかりを紹介するページってなかったしね。
高木 どうしてあんなこと始めたんだっけ? とにかく80年代に僕等が興味を持って買ったり集めたレコードやビデオ、それにオモチャなんかを取り上げてたよね。あのスタイルにはオリジナリティがあったと思う。
藤原 んー、単に自慢したかっただけじゃない?(笑)
デッツ この書籍にはそういったくだりもしっかり掲載されています。そのあたりは、特に注目してほしい部分かな。
藤原 このあいだ、すべてのテキストに目を通してみたけど、僕等が当時面白がっていたモノ、やってきたり見たコト等は、十分に網羅されてた。個人的には、読者それぞれがこのコンテンツを独自に分析して楽しんでくれたらイイのかなと思います。
高木 そうだね。この書籍では分析とかは、まったくしてないからね。
藤原 誰かが分析した後に、この書籍自体の解説本なんかを出してくれたら面白いかも(笑)。
左● 高木 完(たかぎ・かん)
1961年、神奈川県生まれ。日本のヒップホップ黎明期より活動を続けるミュージシャン、DJ、プロデューサー。K.A.N CO.LTD代表取締役。1979年、パンクバンド「FLESH」に参加。81年に結成したバンド「東京ブラボー」やDJ活動などを経て、85年に藤原ヒロシと「タイニーパンクス」を結成。88年には日本初のクラブ・ミュージック・レーベル「MAJOR FORCE」設立に関わる。2018年には、30 周年を迎えた同レーベルを再始動させた。
中● 藤原ヒロシ(ふじわら・ひろし)
1964年、三重県生まれ。音楽プロデューサー、DJ、作曲家、ファッションデザイナー、フラグメントデザイン主宰ほか、特定の肩書きを持たないクリエイター。音楽活動だけでなく、タグ・ホイヤー、ブルガリ、ロロ・ピアーナ、モンクレール、マセラティ、ポケモンetc.……と手掛ける話題のプロジェクトは数知れず。その動向は、常に国内外で注目を集める。
右● デッツ松田(でっつ・まつだ)
1961年、三重県生まれ。編集プロダクションdoubteverything代表。「Hot Dog Press」、「ASAYAN」、「POPEYE」、「HUgE」ほか、80年代より多くの雑誌の編集に携わる。90年代にフジテレビ系列局で放送されていた伝説のクイズ番組「カルトQ」の放送作家としても活躍。藤原ヒロシ氏とは、生まれ育った実家が近所であり、少年期から付き合いも長い。