2022.04.21
江口寿史の描く「いい女」は、なぜ時代を超えて愛されるのか?
『すすめ!! パイレーツ』、『ストップ!! ひばりくん!』などのギャグマンガで一世を風靡した江口寿史さんですが、今は「美人画家」としても大きな注目を集めています。江口さんの描く「いい女」が、幅広い層に支持されるのは何故なのでしょう?
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文/長谷川あや 写真/椙本裕子 協力/テレビ信州、北野カルチュラルセンター、東京新聞
なぜ、江口さんの描く「いい女」像が令和の今に受けるのか? 江口さんは何を想って女性たちを描いているのか? 長野で開催された「彼女」展の会場に江口さんを訪ねました。
女性に生まれなかった恨みを描いている
江口 画集『KING OF POP』(※)を出した時に、全国数か所で同名の展覧会を開催したんです。そのファイナルを金沢21世紀美術館でやろうという話があったのですが、その年は会場に空きがなく、1年後に取れたんですが、もうすっかり気持ちが切り替わっていて。
江口 回顧展をやっているわけじゃなく、毎年新しい仕事はしているんで、回を重ねるごとに展示する作品の数も増えるわけですね。最初の金沢では300点くらいでしたが、今回は450点近くになっています。
江口 デビュー当時は、絵にはまったく興味がなかったのです。面白いギャグが描けたらそれで満足でした。ただ、「少年ジャンプ」では、女の子を登場させるとアンケートの評価が上がるわけです(笑)。それじゃあもっと可愛くしてやろうと、岩舘真理子さんの少女漫画などを研究し、女の子のキャラをバージョンアップさせていきました。
── よく「女性に生まれなかった恨みを描いている」とも仰ってますよね。
江口 そうです、ずっと恨んでいます(笑)。僕は子どもの頃から女性に庇われてきたためか、女性には敵わないという思いを抱き続けていました。憧れと言ってもいいかもしれません。僕が子どもの頃には、まだ、「男の子は、外で元気良く遊ぶもの」という固定観念がありましたが、僕は家にいて、ひとりで絵を描いているほうが楽しかったんです。
野球などに誘われれば、出かけていましたが、イヤイヤでした。女の子の友達のほうが多かったし、女の子に生まれたらもっと楽しいだろうなと、子どもながらに思っていました。もちろん、女の子は女の子で大変なんでしょうけれど。ただ、絵さえ描いていれば、手のかからない子でした。絵描きになる夢をあきらめて、サラリーマンになった親父の血を引いているのでしょうね。その頃から絵はうまかったですよ(笑)。
江口 それはありますね。活動期間が長くなるにつれ、ファンの方も年齢が上がっていきます。「私の世代も描いてください」と(中高年の方から)言われることも多いのですが、今の時点ではまだ対応できていません(笑)。いつかは描くかもしれないけど。なんかこう、「若い子ばかり描いて」と言われると困っちゃいますね。あなたにもそういう時代があったでしょ、と言いたいですね。俺にはなかったぜ、と(笑)。
── 江口さんにも描きたい女性と、描く気になれない女性がいるわけですね(笑)。
江口 ビジュアルの好みは絵には反映されますし、そこがすべてだとは思います。でもそれほど極端な好みはないんです。以前、大阪ではヤマンバのような子を描いたけれど、可愛いし、いい子でしたね。どちらかというと、女の子のビジュアルより、街の風景に合っていることのほうが重要です。僕は街を描くのも好きなんです。壊さなくていいものまで壊していくという世の中の流れの中で、それを描くことで、残しておきたいという気持ちもあります。
色気をぶつけられるのは苦手。俺が見つけてやる
江口 タレントさんは、すでに“できあがっている”ので、僕が抱くイメージではなく、その方のイメージで描かなくてはなりません。でも、一般の方は、僕のイメージで、自由に変えることができる。そこが面白いんです。今、巷に女の子のイラストは多いですが、時々、男に媚びたポーズのイラストを目にすることがありますよね。(実際にポーズを取って)こんな格好する人って実際にはいないじゃないですか(笑)。
それに僕は、色気をぶつけられるのは苦手なんです。“色気は俺が見つけてやるから”と思うわけです。普通の仕草の中に、これを描きたいと思う瞬間があって、できるなら、その瞬間、その瞬間で、写真を撮って記録しておきたいのだけど、それだと危ない人になっちゃうので我慢しています(笑)。
── 江口さんのイラストが男性からだけでなく、女性からも共感される理由はそういったところにあるのかもしれません。
江口 若い女の子のファンに「江口さんの描く女の子を目指しています!」と言われると、救われるんです。女に生まれなかった悔しさが昇華されるというか……。男性のファンに「可愛いですね」と言われるより、女性に、「こうなりたいです」と言われるほうがうれしいかもしれないですね。
江口 髪や身体のしなやかさ、ですかね。以前はファッションや小道具などにも力を入れていましたが、最近は目に見えないものを表したいと思っています。僕の絵を見て、女の人といるような感情になってもらえるような、アトモスフェアを表現したい。
絵に匂いはないけれど、匂いを感じてもらいたいんです。そうそう、ちょうどいい話があります。知り合いの女性が、10歳くらいの息子さんを連れて、『RECORD」展(※)に来てくれたんです。その男の子、最初は女の子の絵なんて見たくないと言っていたんだけど、見ているうちに、可愛い、うまい、ヤバいと言い出して、最後は、絵と目が合うと無言で照れてた、と! すごくうれしかったですね。
昨日は、会場に、4歳くらいの小さな女の子を連れたお母さんがいらして、ポストカードを買ってくれたらしいんですけど。お母さんやそのお友達が、ポストカードに描かれた女の子のイラストを見て、あまりにも可愛い、可愛いと言うもので、その子、嫉妬で、機嫌そこねちゃって、ポストカードを破いちゃったんですって。これもうれしかったなぁ。俺の絵、そんなにいい? 破くほどいい? って(笑)。
エロさとは自分が欲しくても手に入れられなかったもの
江口 はい、僕の趣味趣向は決してマニアックじゃない。大衆的なんです。大衆的の最先端と言ってもいいかもしれません(笑)。次にこういうのが来るというのがなんとなくわかるし、欲しいと思うものが後に流行ったりします。アーティストって、トンがっている人が多いけれど、僕はあまり尖ってないし、尖っていても心地良くないんです。
── 普遍性のある作品は古びない──、まさに江口さんの作品を体現しています。エロについても普遍的というか、下着姿の女性などセクシーな絵もたくさん描いていらっしゃいますが、品がある、凛としたエロさを感じます。江口さんは、エロさというものを、どんな風にとらえていらっしゃるのでしょう?
江口 以前、ある週刊誌で、イラストでグラビアページを作るという企画があったんです。イラストで写真に勝ってやる、いいよ、ぜひやろうと、ふたつ返事でした。その時の作品は、「彼女」展でも展示していますが、僕にとってエロさとは、自分が欲しくても手に入れられなかったものなんです。だからこそ魅力的に思えてしまう。
ただ、描くにあたっては、自分が持っていないものだからこその苦労もあります。僕の場合、写真を参考にイラストを描くことが多いのですが、自分で実践して確認することも多々あります。例えば、今回も展示している、アンディ・ウォーホルへのオマージュでもあるカウガールの絵、あの胸の部分の生地の膨らみ方の感じは、実際にやってみないとわからないんです。なので、自分で胸に詰め物をして、ウエスタンシャツを絞り、ポーズを決めて写真を撮りました。夢が壊れるから言うなと言われていますが、僕のパソコンの中には、ひどい写真がたくさん保存されていますよ(笑)。
江口 リアリティは細部に宿ると言われますが、そういうところで嘘がばれるのが嫌なんです。そんなこともあって、描く対象を探している時でなくても、最近の子たちの服の着方やメイクの仕方はついチェックしてしまいます。最近、涙袋を強調している子が多いな、とかね(笑)。
僕はこれまで涙袋は描いてこなかったのですが、最近は、若いイラストレーターを中心に、涙袋を描く人が増えています。無理やり合わせるつもりはないですが、僕も一応の対策をしようとは思っているんです。そんなことで、「古い」とか言われたくないですから(笑)。そんなわけで、久しぶりに大きな課題に直面したという感じで、最近はつい女の子の目を見てしまいます。
物ごとは、慣れてルーティンになると「記号」に変わってしまう
江口 単に線を描くと、年をとったとか、疲れているといった、「記号」になってしまうんです。例えば、昔のマンガ家は、きれいな鼻筋だけを描いていました。僕も鼻の穴や膨らみは描きたくなかったんです。かつて、それは、不細工の「記号」だったので。でもある時、大友克洋さんが鼻の穴を描きはじめ、それをきっかけに、それまでの描き方が、説得力を失ってしまったんです。以来、僕も、鼻の穴を描きつつ、可愛くするということをずっとやってきたつもりですが、ついに、泪袋を描きつつ、可愛く描かなければならないというフェーズに入ってしまいました(笑)。
江口 すごく考えます。仕事でもなんでも、物ごとは、慣れてルーティンになると「記号」に変わってしまう。でも、それじゃ、つまらないんです。僕がサインをたびたび変えるのもそのためです。簡単に書いて時間を短縮すればいいのにと、よく言われるのですが、「記号」をずっと書いていても面白くありません。いろいろなサインを試していると、お、これは使える、ということが時々あるんです。ファンサービスをしながら、自分でも楽しんでいるんです。
自分の楽しみを見つけて、好きに生きればいいということは常々思っています。同世代のファンの方が、よく「おっさんなんで、着られないけれど、Tシャツ買っちゃいました」とか言ってくるんですが、自分のことをおっさんという言う必要はないし、Tシャツだって着ればいいんです。同級生から孫の待ち受けを見せられても、困るんです(笑)。どう反応していいかわからなくて。僕はいつだって自分のことにいちばん興味があるので、子どもを待ち受けにしたことはないんですよ(笑)。
女性のイラストを描いていても、僕自身はずっとマンガ家
江口 違和感を感じるべきだ、年相応の絵を描けという意見もあるかもしれません。でも、僕はそう思わない。僕は自分の絵をうまいと思ったことはないけれど、自分の絵は好きなんです。そして、これは良くて、これはダメだということを見極める判断力には自信を持っています。だから誰に何を言われても続けていける。
ただ、夜、描きあげた自分の絵を、一夜明けて改めて見た時に、「たいした絵じゃないな」とがっかりすることは未だにあります。夜中に書いたポエムが、朝、冷静になって、読み直してみたら、ヤバかったりするじゃないですか。そんな感覚です。それでも本当にその判断ができなくなったら引退するしかないと思っています。もちろん、まだまだ描き続けていたいですけどね。
江口 ありましたね(笑)。うん、僕自身はずっとマンガ家だと思っています。今描いているイラストも、マンガ家だからこそ、描けているものだと思っています。女性のイラストを描くにしても、その人がどんな生活しているのかを考えたうえで、ファッションを決めたいんです。線で女性を描くのではなく、感情までを表現したいんです。マンガ家の多くはサービス精神が旺盛なものですが、僕もイラストにしろ、マンガにしろ、自分の作品を見て、喜んでもらいたいという思いは常に持っています。
マンガも描きたいんです(笑)。でも、もはや僕に漫画をオーダーしてくる編集者がいない。「マンガ描きました!」って、自分で持ち込みに行くしかありません。まぁ今はTwittrなどを通して、誰でも自分の作品を発表できる時代だから、依頼がないから描けないなんて、言い訳が通じなくなってしまいましたけど(笑)。
描きたいものはあるんです。僕がデビューした、70年代後半の、ギャグマンガ考を描きたいんです。ギャグマンガがいちばん輝いていた時代を築いた、赤塚不二夫さん、山上たつひこさん、それに続いた鴨川つばめさんや僕ら、あの時代にギャグに殉じた若者たちの凄さを描いておきたいというのはありますね。それは僕にしかできないことだと思うので。
● 江口寿史(えぐち・ひさし)
1956年熊本県水俣市生まれ。マンガ家。1977年、「週刊少年ジャンプ」でプロデビュー。代表作は『すすめ!! パイレーツ』、『ストップ!! ひばりくん!』など。80年代中盤からは、イラストレーターとしても活動。広告やポスター、本の装画、レコードジャケットなど、幅広く活躍している。2015年にデビュー以来の作品をまとめた画集『KING OF POP』(玄光社)を刊行。「彼女」展に展示された女性イラストをまとめた画集『彼女』(集英社インターナショナル)も好評発売中。