2022.05.22
注目の女性料理人、庄司夏子。「自分の目標の達成でしか、わたしは癒されない」
先ごろ発表された2022年版「アジアのベストレストラン50」で、日本人女性初の「アジアの最優秀女性シェフ賞」を受賞した庄司夏子さん。独創的な料理の世界と共に、同賞を「35歳までに受賞する」と公言して実際に33歳で受賞するなど、目標を次々と達成していく有言実行型のキャリアパスでも注目されています。高みを目指して走り続けるその原動力には、料理業界を担う次世代への深い愛情がありました。
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文/江藤詩文 写真/椙本裕子
コロナ禍でも庄司さんはアクセルを緩めることはなく、2021年10月には、ベルギー・アントワープで開催された「世界のベストレストラン50」のアワードに、日本からシェフとしてただひとり出席。2022年2月には、新設された「中東&北アフリカのベストレストラン50」を記念してUAEアブダビで開催されたアワードに、唯一の日本人シェフとして招聘され、ポップアップイベントを開催。
日本の料理界には前例のない、世界を見すえて短期間で着実に自身のブランド価値を上げていく庄司さん流・知的ブランディング術を伺いました。
「アジアの最優秀女性シェフ賞」へのロードマップ
庄司さん(以下、敬称略) ここ最近でいえば、コロナ禍で世界の活動が止まってしまっても、攻める姿勢を発信し続けたのが大きかったと思います。例えば昨年秋にアントワープで開催されたアワードは、コロナによる渡航制限がまだ厳しい状況でした。日本に帰国後の隔離期間も長いし、その間はお店も営業できないなど、健康に加えて経済的なリスクも大きかったのですが、それでもなお参加する価値があると判断して、「行く!」と即答しました。実際現地に行ったのは、日本人のシェフではわたしひとりでした。これに出席したことで、「この人はこの状況下でもアクティブ」だと判断され、次のアブダビでのイベントに繋がったと思います。
また、コロナ以前から続けてきたアーティストとのコラボ作品の発表も、コロナ禍でも変わらずに継続しました。コロナは確かにレストランにとってピンチですが、わたしがこれまで仕事をご一緒したアーティストは、この状況でも皆さん攻め続けていたんです。そんな尊敬するアーティストの姿勢に刺激を受け、ピンチはチャンスに変えられると、わたしも攻めることにしました。
庄司 アーティストとのコラボ作品など、日本国内の人だけでなく、海外の人の心にも刺さるものをつくり、世界に向けても発信しています。わたしは、自分がやっていることを多くの人に知ってもらわないとまったく意味がないと思っています。自分がつくりたいものをつくるだけでは、自己満足で終わってしまいますから。
それに世の中がネガティブな状況で、攻めた活動を発表している人間は、数が少ない分目立つし、人々の記憶に刻まれますよね。
家庭科のシュークリームからオートキュイジーヌの世界へ
庄司 料理がおもしろいな、と思ったのは中学生の時です。家庭科の授業で焼いたシュークリームを「おいしい」と褒められたのがうれしくて、家でいっぱいつくって友人や知り合いに配っていました。何かをつくって、人に喜んでもらいたいという思いが当時から強かったんです。
「こんなに上手なのだから、将来はシュークリーム屋さんになったら」と言われた言葉が心に残って、調理師免許を取得できる高校に進学しました。
けれども高校に入って少し現実の世界を知り始めると、1個200円くらいでシュークリームを売って、どうやってひとりで生計を立てればいいのか、まったく想像がつかなくなってきました。それで高校1年生の時にシュークリーム屋はやめにして(笑)、高校3年間をかけて将来を考えるようになりました。
庄司 わたしは家庭環境が複雑で、妹に障害があったこともあり、わたし自身はわりと放って置かれていました。ただ、これから家族を支えるにしても、ひとりで生計を立てるにしても、つくりたいものをつくるだけじゃ生きていけないなと思って、オートキュイジーヌの勉強を始めました。
高校生の頃には一流レストランの食べ歩きにもハマっていて自分で稼いだバイト代は全部外食に注ぎ込んでいました。でも、同級生には、5万円のディナーに行こうと誘っても一緒に来てくれる友達がいなかったので、ひとりで行くか、母親と行っていました。まだ高校生なのに「ワインを勉強しなければいけない」と、ワインセラーを買ったりもしたんです。
ひと目で誰の作品かわかるマスターピースで勝負する
庄司 レストラン業界は、女性が5%くらいしかいないと言われるほど、圧倒的に男性が多い社会です。それゆえ男性と対等のボリュームの仕事をこなせば、若い女性ということで注目されやすいというメリットはありましたが、席数の多いレストランでは、大きな寸胴鍋を持ち運ぶだけでも男性との体力差を感じるなど、肉体的にきつかったのは事実です。
独立後、本当はレストランをやりたかったのですが、若い女性ということで金融機関から融資を受けにくいといった問題もありました。また、当時は「女性は生理で味覚が変わるから、男性の方がおいしい料理をつくれる」といった女性料理人への偏見が今よりもありました。
独立して24歳で大きな借金を背負い、小さなお店をつくったものの、まず最初に直面したのは、知名度のない女性シェフの小さなお店に、いったい誰が来てくれるのだろうという壁です。腕のいい料理人を雇いたいけれど、年上の男性料理人が来てくれるはずもありません。
そこで、アートの世界のように、何かひとつ「これがわたしの代表作」といえるマスターピースをつくってブランドを確立することを考えました。認知度が上がれば、今後の展開がしやすくなるからです。
庄司 レストランは小さなマンションの一室で、1日ひと組4名まで・1営業(ランチとディナーのように1日2回オペレーションするのではない)のスタイルでスタートしました。このスタイルなら、まず小さな物件で事足りるので、初期投資が少なくて済みます。人数が4人なら4人家族の食事をつくるのと同じくらいの量ですから、高額なプロ用の調理器具も必要ないし、仕込みの量も家族サイズなので、大型の寸胴鍋も必要ありません。
PRも重視して、ケーキとレストランの料理を発信することで知名度が上がりだすと、今度は若い女性であることが強みになりました。けれどもケーキの知名度が先行し過ぎてしまい、わたし自身が生み出した唯一無二のケーキではあるけれど、ケーキにわたし自身が食われてしまうような不安を感じるようになりました。ケーキに食われないような料理をつくらなければいけないというプレッシャーは大きく、毎日が勝負の連続です。
ファインダイニングの世界は、アスリートのように日々戦いが続く、体力と忍耐力が必要な世界です。それでもわたしのように、若い女性でもやり方によって世界と戦えるということを、知名度が上がった今だからこそ、その影響力を利用して、自分がロールモデルとして次の世代に伝えていきたいのです。
”エテ子”の視点で自分を俯瞰してゲストのハートをつかむ
庄司 1日ひと組の営業なら、そのお客様のためだけに用意したオートクチュールな料理と空間、サービスでおもてなしができます。そこにもっと価値をつけたいと考えました。
例えばオートクチュールのドレスやアーティストのマスターピースは、何千万円や何億円、場合によっては値段がつけられないほどの評価が得られますが、オートキュイジーヌのフルコースは5万円でも高いと言われてしまう。料理は、人の身体の一部になる美しい世界です。その料理を構成しているのは、1年をかけて食材をつくる生産者さんや職人さんです。彼らの仕事にも、もっと光を当てていきたいのです。
オートクチュールなおもてなしを提供するには、お客様に喜ばれるための情報収集が必要です。例えば、étéではお客様がチャイムを鳴らすと、最初にわたしがお迎えに出てコートをお預かりします。大きなレストランで、シェフ自身がそんなことをするお店はないと思います。また、自分で料理をつくってお客様にお出しするというスタイルも変えていません。こうすることで、わたし自身がお客様やお店を大切にして向き合っているというメッセージを、押し付けがましくなくお伝えすることができると思うのです。
個人の自分軸で動いていたら、もしかすると「コートを預かるなんて誰にでもできる仕事」と思うかもしれませんが、エテ子の視点で捉えると、自分がやることでお客様に喜んでいただけるし、コートのデザインや材質ひとつからそのお客様の情報を自分の目で直接読み取れる。だから自分でやろうという感じです。他のシェフと比べると、わたしはお客様に使う時間が圧倒的に多いかもしれません。
── たまにはお客様のことを忘れてぼうっとリラックスしたいと思うことはありませんか?
庄司 リラックスする時間はなくもないのですが、例えばくつろいで漫画を読むのでも、自分軸で読みたい漫画を読むのではなく、お客様がお薦めしてくれたなど、お客様に繋がるものを選びます。
いまはお客様に繋がるか、自分の目標や次のステップに繋がるかどうかで行動を決めていて、それ以外に脳を働かせることができません。わたしは自分の道を突き進んで、目標にリーチして、それを達成することでしか自分自身が落ち着かないというか、癒されないのです。
ぼうっとする時間は、お客様に教えていただいたことを調べたり、次の目標への近道を調べたり、お世話になったお客様に会いに行ったり。そうですね、あえてぼうっとする時間というなら、それが近いかもしれませんね。
若い世代のために命をかけてチャラチャラしていたい
庄司 わたしは、料理はファッションやアートに匹敵する美しい世界だと思っているので、業界全体を底上げして、これから将来を考える若い人たちとって夢のある世界であってほしいんです。だからファッションやアート、メディアの力も使って、業界を改革したいと考えています。
今の中学生や高校生が、テレビや雑誌でシェフを見た時に、働きづめで肌も髪もボロボロだったら興味を持ってもらえませんが、煌びやかに輝いていたら興味がわくかもしれないじゃないですか。キラキラのシェフが、憧れのハイブランドとコラボしていたり、好きなアイドルがそのシェフのお店のお客様だったら、わたしもなりたいと思ってくれるかもしれない。
そういう、職人肌の人から見たら「何をやっているんだ」と思われかねないことで、個人の自分はもしかしたらエテ子を「チャラチャラしているな」と思っているかもしれないけれど、これは次世代にはとても大事なことで、わたしはそこに重きを置いています。
だから何を言われようが、わたしは完璧なスタイルと完璧な写真で、完璧なPRを整えて、完璧な世界を作り続けていかなければいけない。そうすることで結果を出して、ついてきてくれる人たちに恩返しをしていかなければいけないと思っています。
庄司 「アジアの最優秀女性シェフ賞」を受賞したので、次は5年以内に「世界の最優秀女性シェフ賞」を狙います。正直にいうと、わたし個人としては、このジェンダーレスな時代に、なぜ女性性にフォーカスする賞があるのか、そもそも何をもって女性と定義するのか、肉体的に女性なのか、精神的に女性なのか、疑問に思うことはたくさんあります。それなのに、なぜ賞を取ることにここまでこだわるのか、とよく聞かれます。それは賞を取ることは、わたしの声を世界に届けるためのパスポートのようなものだからなんです。
誰も知らない、何の受賞歴も認知度もない人間が何か言っても、誰も聞いてくれません。その点、世界のナンバーワン女性シェフを取れば、注目度も上がりますし、第三者から見てもわかりやすい。その肩書きがあることで、担い手不足が深刻なこの料理業界の発展やサポートに繋がっていくと思うのです。
そうやって少しずつ力をつけることで、若い世代のために世界を変えていくことがわたしの人生の目標です。
どんな質問を投げかけても言いよどむことはほとんどなく、明確な言葉で語尾まではっきりと言い切る庄司さん。背筋を伸ばし、強い眼差しで、明瞭な言葉を連ねていた庄司さんが唯一ふっと立ち止まったのが「ぼうっとする時間」というワードでした。「ぼうっとする。ぼうっとする」と悩みながらも、丁寧に本音を答えてくれた庄司さん。一分一秒を惜しむように駆け抜けている庄司さんにとって、ぼうっとする時間はほんとうに縁のない時間なのだと感じました。公言通り、5年以内には間違いなく日本人初の「世界の最優秀女性シェフ賞」を受賞すると思います。その日を楽しみにしています。
●庄司夏子(しょうじ・なつこ)
料理人。1989年、東京都生まれ。2007年、駒場学園高等学校食物調理科卒業。代官山「Le jue de l’assiette ル ジ ュー ド ラシェット」( 当時ミシュラン1つ星/現「recte レクテ」 ) を経て、 2009 年南青山(当時) 「florilege フロリレージュ」のスーシェフを務める。 2014 年 、24 歳で代々木上原に一日ひと組4名のレストラン「été(エテ)」をオープン。芸術的なマンゴータルトが「幻のケーキ」と評判を呼び、世界中で注目を集める。ハイファッションメゾンのほか、アーティストの村上隆や、ファッションテデザイナー Tomo Koizumi といった世界的クリエイターとのコラボレーションも多数。2019年、「été(エテ)」を移転し、一日ひと組6名へと規模を拡大。2020年、「アジアのベストレストラン50」で日本人女性初となる「アジアの最優秀ペストリーシェフ賞」受賞。同年、「ブルガリ アウローラ アワード」受賞。2022年、「アジアのベストレストラン50」で、同じく日本人女性初の「アジアの最優秀女性シェフ賞」と「42位ランクイン」をダブル受賞。現在、一日ひと組の招待制レストラン「été(エテ )」と、限定ケーキを販売する「Fleurs d’été(フルール ド エテ)」の2店舗のオーナーシェフ。
Instagram/@ete.restaurant 、@natsuko.ete
FB/Été
●江藤詩文(えとう・しふみ)
旅するフードライター/インタビュアー。ガストロノミーツーリズムをテーマに、世界各地を取材して各種メディアで執筆。著名なシェフをはじめ、各国でのインタビュー多数。訪れた国は65カ国以上。著書に「ほろ酔い鉄子の世界鉄道~乗っ旅、食べ旅~」(小学館)シリーズ3巻。Instagram(@travel_foodie_tokyo)でもおいしいモノ情報を発信中。