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2019.10.12

吉田栄作「自分から好きになった女性には何故かすぐフラれるんです」

1990年代、トレンディ俳優として一世を風靡した吉田栄作さん。以後も役者を中心に幅広く活動し、特に最近は渋い男優としてその存在感を増している。今年50歳になり、事務所から独立。心機一転して人生に臨む元祖モテ男が自身の華麗なる半生を振り返った。

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写真/中田陽子(maettico) 文/高山まゆみ 取材協力/「かふぇたぬきや」

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現代における「モテ」の意味と意義を探る新連載「モテ解体新処」。第2回目のゲストは1990年代の芸能界で「トレンディ御三家」(※)の長男として絶大な人気を誇った吉田栄作さんの登場です。

我々オトコが求めてやまない「モテ」三昧の生活を若くして手に入れた吉田さん。その「モテ」は彼の人生に何をもたらしたのか? 今、自らの半生をどう評しているのか。今年、50歳を迎えた吉田さんが振り返りました。
※次男は織田裕二、3男は加勢大周

高校の頃は授業の合い間によそのクラスの女子が僕を見に来てました

僕は、神奈川県秦野市っていうところに生まれて、豊かな自然の中で飛び回って遊んでるような、昔ながらの子供らしい子供時代を過ごしました。

中学に上がってバスケ部に入っても、丸坊主にジャージーの世界ですよ。もう色気づきようがない(笑)。それでもラブレターをもらったり、年下の後輩に告白されたりって、チラホラ色気が出始めたのが、中学2年か3年くらいですかね。

高校に入って、髪を伸ばしてから、追い風が吹いてきた(笑)。授業の合間とか、女子たちから、キャーキャー声が聞こえてくるんですよ。フッと振り返ると、よそのクラスの女子が「あの子、あの子」って僕のこと指さしてたり。

でも僕、ほんと照れ屋なんで、意外とそういうのは苦手でしたね。当時は「スカす」って言い方だったけど、カッコつけて、素っ気ない感じだったと思います。

高校1年の時に、好きだった子と付き合えたんですよ。恥ずかしいから、自分の想いを友達から伝えてもらって。最初は相手のリアクションも良くなかったけど、ある日、彼女の方から「付き合いませんか」って言ってくれて。僕がバスケ部、彼女が弓道部で、部活が終わってから、駅までの道を手をつないで帰るようになりました。

もちろんすごくうれしかったですよ。肩を組むようになり、少しずつ距離が縮まった。それなのに、3カ月ぐらいで振られてしまうんです。彼女は好きな人が忘れられないって言ってた。ショックですよね。

そうしたら、高2でまたその子と同じクラスになっちゃって。それで夏休みに入る時に、最後にもう1回、告白してみたんです。でも返事は前と同じ。それで完全にあきらめようと思った。そこからです、自分が変わったのは。
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自分から行くとフラれるというのがトラウマになって

もう、その子だけを想うのはやめようって。「好きです」って言ってくれる人たちは他にもいたから(笑)、じゃ、そういう人たちと付き合ってみようって。いわゆるハイスクールライフを、積極的にエンジョイしなくちゃって変わったんですね。

高校の同級生や、学校外の子からも、声をかけられました。一学年下で、僕の乗るバスを待っててくれる女の子と、付き合ったりもしたな。

一度に複数はないです。付き合うのは一人だけ。ただ、こう言っちゃなんだけど、ちょっとサイクルが早いっていうのはあったかもしれない(笑)。

でもね、いつも相手から来てくれるかっていうと、そんなこともなくて。高校2年の時に、また自分から好きになった人がいて。ところが、その子にも振られて終わったんですよ……。

だから自分から行くとフラれるんだっていう、若干トラウマみたいのができちゃって。そういうなんかね、イジケ心みたいのが僕の中にありますね(笑)。

それでも思い返せば、いつ自分がいちばん「モテた」かっていうと、やっぱり高校時代の気がします。あとは高校を卒業して東京に出てきて、俳優の養成所に通いながら、カフェでアルバイトしていた頃ですね。まだデビューする前だったから、いわゆるメディアの力を使わずにモテたっていうのは。
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人気者はいいけど、自由に恋愛できないのはいかがなものかと

19歳でデビューしてからは、テレビや雑誌に出まくって。色んな人気投票でトップを取ったり。まぁ、チヤホヤされました(笑)。

でも、それは「モテ」っていうのとはちょっと違いますもんね。タレントとして人気があるっていうのは。まあだけど、芸能界を目指したのは、最初は女性たちに人気になりたくてっていう部分もあったんで。デビューしてそうなった時は、初めはヤッターじゃないけど、一つの目標を達成したような感じはありました。

とはいえそれゆえに、マスコミから連日追われるようになる。自由に恋愛ができないとか。そういう余計なものがついてくるのは、いかがなものかって(笑)。でも、余計なものはどっかで「関係ねえや」っていうのもあって、恋愛もそれなりにしてましたけどね。

おかげで写真週刊誌にも撮られたし、スタッフの方々にもずいぶんご迷惑をおかけしてました(笑)。

当時お付き合いしたのは、いわゆるファンの方ではないです。まぁ、ファンといっても、ドラマ見てますっていう人なのか、ファンクラブ入ってますっていう人なのかで、ちょっと違う気がするんです。コアなファンをそういう対象に見てしまうのは、よろしくないのかなっていうのはありましたね。
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突っ張りの “黒いアイドル”のイメージが独り歩きして

僕の当時のイメージはちょっと生意気というか、俺様キャラみたいなところがあったんですけど、あれは自分で作っているところもありました。ニコニコするアイドルが、僕、あんまりうまくできなかったんです。だから黒いアイドルっていうか、突っ張った感じのヤツがいてもいいんじゃないかって。「なんで笑わないといけないの? じゃあ笑わせてよ」って言ってみたり。それが、だんだん生意気伝説になっていくんですけど(笑)。

最初は自分が心地いいというか、やりやすいから始めたところもあったんですけど、途中からはそれを演じなきゃっていう風にもなっていって。時にはやり過ぎちゃったりもして。そうなってくると、イメージが独り歩きして、だいぶ遠くに行っちゃったなっていう実感はありました。それが26歳で休業して、アメリカに行くことにもつながっていくんですけど。

売れている時になんで?って言われましたけど、当時の僕には、日本にこのまま居つづけることの不安のほうが大きくて。だから後悔はなかったです。まずひとりの人間としてちゃんと生きたいと思って、ウェストハリウッドのアパートを借りて、自活しながら演技の勉強をして、音楽仲間を作っていきました。

忙しい中でも割とロングスパンで、人生を眺めていたというか。僕には人生が、旅のように思えるんです。この先の自分の行く道をどうしようかな、みたいなことをいつも考えて生きてゆくタイプの人間なんです。アメリカに行った時も、実際には4年ぐらい前から準備してましから。
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実は自分がカッコいいと思う男たちをコピーしてきた

「モテる」に話を戻すと。僕が魅力を感じるのは、自分の理想はこうなんだとか、生き方はこうなんだっていうことを、貫いてるヤツですかね。それはやっぱり、男から見てもカッコいい。そういう男でありたいなっていうのがありますね。

逆にモテようとしてモテるのは、なんかダサイというか。たとえば着飾ったり、いいクルマに乗ってどうのこうのっていうことじゃなくてね。

わかりやすく映画でいうと、『ストリート・オブ・ファイアー』の主人公(マイケル・パレ)。彼は旅人なんだけど、ギャングに誘拐された人気歌手(で元カノ)を救おうと敵のリーダーと闘ったり、色んな事件に巻き込まれていく。だけど最後は万事うまくいって、彼女に「私のそばにいてよ」って言われる。でも、そこで「それは俺には似合わねえよ」って、またズタ袋一つ肩に掛けて旅立っていく。

それを子供の頃に視て「コレだ!」って思った。こういうことだよ、男とは!と(笑)。僕には、そういう男の像がカッコよく思えるんですよ。

種明かししちゃうと、僕は自分がカッコいいと思った人のコピーをしてるんじゃないですかね。ジェームス・ディーンであったり、マイケル・パレであったり。僕が惚れた男の真似をしてると、今度はそんな僕に惚れて真似してくれる男がまたいるというチェーン・リアクションなんじゃないかな。実は僕、ライブとかでは男性のファンも多くて、今も僕を慕ってくれる弟分みたいな仲間たちが全国にいっぱいいるんですよ。

親父は家にアラン・ドロンのポスターを2枚貼っていた

男の生き方ってことで言うと、僕は父親の影響も確実に受けていると思います。親父は、まあ男っぽいというか。髪にポマード塗って、仕事にちょっと色付きのメガネかけて行くような人で、カッコよかったですね。僕には4つ上の兄貴がいて、兄と年に一回は二人で飲んむんだけど、いつも「あの親父で良かったね」って話をするんですよ。

うちは家族みんな、映画と音楽が好きなんだけど、それも親父の影響。親父は特に、アラン・ドロンが好きで、ポスターをデ~ンって2枚、家に貼ってるんですよ。彼の若い時のすごい色男のと、歳をとってからのシブ~いのと。親父はドラマを見てても「この俳優は、いぶし銀なんだよ」って意味わかんないけど(笑)、いつもそんなこと言ってる人でしたね。

おふくろも、すごい綺麗な人で、自慢のおふくろなんですけど、これが親父と揃って並んでいると、すごく絵になりましたね。二人の結婚の話を聞くと、惚れた女に想いを貫いたっていう漫画みたいなストーリーでね。親父、アホだなって(笑)。でもベースはすごく美しい話なんです。
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好きになる女性にタイプはない。毎回バラバラ(笑)

おふくろは自慢の存在でした。ホントに綺麗で授業参観があるとダントツでしたからね(笑)。だから自分が好きになる女性像の中には母親のイメージがあるのかもしれない。どこかにね。男はみんなそうかもしれないけど。

でも、実際に好きになった女性を考えると実はバラバラ(笑)。僕、外見的なタイプってないんですよ。刺激的な人でも癒し系でもミステリアスな女性もあり。欲張りなんですかね。

じゃあなんで好きになるかと言えば、最初に会った時の「これ!」っていうインスピレーションというか。ファーストインプレッションっていうのが大きいかもしれないですね。

この人、自分と合いそうだとかっていうのも、わからない。なんとなくその人の、外見と雰囲気から感じるもので、ああなんか、ステキだなって思う。そのステキって思うところが、毎回違うんです、きっとね(笑)。

だって同じ人だって仕事で出会うのか、プライベートで出会うのか。仕事でもたとえば、演者同士なのか、スタッフなのかでも、ぜんぜん印象って違ってくるじゃないですか。お互いの立ち位置から発せられる会話だったり、生まれる空気感とか。状況が異なれば、新鮮だなって思える機会も増えてくるんでしょうね。
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吉田栄作という人生の旅を続けていくために

僕は今年50歳になったんですけど、年を取ることについては、めちゃくちゃ肯定的です。まあ僕の場合って、10代で俳優と歌手を目指して、なりたかった自分に20代でなれたんですね。そして20代でなりたかった30代になって、30代でなりたかった40代になって。いま、40代でなりたい50代に、なるべき時がきたなって思ってます。

生きるって大変じゃないですか、ましてやこういう芸能の世界って浮き沈みも激しいし。だから自分が、この50代でどういう表現をしていくんだろうってことにはすごく興味がある。1個1個の仕事の積み重ねが、60代の自分を作っていくわけですから、いい仕事をしていきたいなと。でも、うまくしたもんで、おのずとその年代でしかできない、いいお話を、いただけてる気がします。

体型とかもね、昔と変わらないって褒めてくださる方もいるけど、正直、維持していくのは大変。節制も必要だし。でも、この一本道の吉田栄作という人生の旅を、やっていくんだったら、そこはストイックにやり続けていかないと。妥協はしたくない、僕のブルージーンズ物語を続けていくには(笑)。

ただ、ある意味、年齢を重ねてだいぶ丸くなったところもあるんじゃないですかね。若い時のほうが、神経質だったのかな。やっぱり無理にもイメージ作ってたのかな。そういう鎧を着てたんでしょうかね。それが次第に重くなっちゃったんでしょうね。

今はもう本当に、秦野市出身のあんちゃんっていうことでいいと思うんですよ(笑)。帰巣本能なんですかね、地元愛が年々強くなってるし。なんか地元に貢献できるようなことも、今後していきたいなってすごく思ってるんで。そういう意味じゃ、あんまり外面を作らずに、いろいろな方とも接していると思います。

いま、自分の半生を振り返ってみて、どうなんでしょうね。ある程度、モテることもあったっていう、その人生をどう評価するかってなると、良しワルしじゃないでしょうか(笑)。女性ファンもたくさんできたけど、バッシングもされたし。

僕がこういう姿じゃなかったら、芸能界を目指していなかったかもしれないし、こういう人生も歩んでいなかったかもしれない。僕は高2の時に何か世の中に足跡を残せるような男になりたいと思い立って、そこから芸能界を目指したんですけど、そう思わせてくれたのもこの姿のおかげなのかもしれない。

今はむしろ、男ばっかりのコアなファンがわ~って盛り上がってるような歌手だったり俳優の方がうらやましいと思ったりもするけど。まあでも、女性にモテるってのは……うれしいですかね。うん。自慢していいんですかね(笑)。
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俳優はやめても、音楽はやめないと思う

今年は歌手デビュー30周年というタイミングで、8曲を収録したアルバム『We Only Live Once』を作ることができました。7曲は、僕自身による作詞・作曲で、あと1曲はデビュー曲の『どうにかなるさ』を、新しくレコーディングしています。

1曲1曲にたくさんの思い出がある。旅の途中で作ったり、ライブや撮影に行った先で書いたり、そうやって自分が動いている中で生まれた曲たちです。いろんな街の風景、いろんなライブハウス、いろんな人々、思いが詰まっているアルバムになりました。

僕自身、自分の主戦場は俳優だと思うんです。俳優であり現場だと思う。テレビであり、映画であり、最近では舞台であり。それがあるからやっぱり生きてこれたのかなっていうのはあると思います。
 
でも、きっと、俳優はやめても、音楽はやめない。好きだから。俳優はやっぱり仕事であって、毎回自分じゃない誰かを演じているんです。でも最近の僕の音楽は、自分から湧き出てきた歌詞やメロディを歌う、自分発の表現方法だなって。だから俳優活動をメインでやっていながら、ライブもあることが、僕の中では心のバランスを取るうえでとても大事なんです。

あとは好きな海に行くとか、酒を飲むとかっていうことも含めて、心のバランスを取るのに重要な要素がいくつかあるんです。そのうちの大きな一つですね、音楽は。
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● 吉田栄作(よしだ・えいさく)

1969年神奈川生まれ。俳優、歌手。1988年『ガラスの中の少女』でスクリーンデビュー。『もう誰も愛さない』などトレンディドラマで一世を風靡。映画、舞台にも多数出演、優れた演技で高い評価を得ている。音楽活動は『心の旅』、デュエット曲『今を抱きしめて』が大ヒット。ライブを中心に積極的に活動している。はだのふるさと大使。2019年末には、天才雀士役が話題のドラマ『天 赤木しげる葬式編』(テレビ東京)放送予定。

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吉田栄作さんの新作アルバムはコチラです!

◆ 『We Only live Once』

吉田さん自身が作詞・作曲した7曲には、旅先での心象風景や、スケッチが描かれています。男のロマンを聴いてみてください。頑張っている人に進む力をくれる、先行シングル『Runners High』も同時収録。デビュー曲の『どうにかなるさ』も新録されました。ライブ情報はFacebookなどで確認できます。
78 LABELE/本体2500円+税

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