2020.01.26
【第2回ゲスト】ヨシダナギ(フォトグラファー)
ヨシダナギ「目標はもちたくない。死ぬ間際にあれやっておけばよかったって思う生き方はすごく嫌」
世のオヤジを代表して作家の樋口毅宏さんが今どきの才能溢れる美人に接近遭遇!その素顔に舌鋒鋭く迫る連載。第2回目のゲストはフォトグラファーのヨシダナギさん。少女の頃からアフリカに憧れて少数民族を愛し、気鋭の写真家となった注目の女性なのです。
- CREDIT :
写真/黒田明臣 文/井上真規子 ヘア&メイク/YOUCA
第2回のゲストは、フォトグラファーのヨシダナギさん。TBSの“狂気の旅人”を紹介するテレビ番組『クレイジージャーニー』でその存在を知った人も多いことでしょう。
少数民族の美しい生き様を伝えるべく、単身でアフリカやアマゾンに潜入し、数々の撮影を敢行。未知の文化へ果敢に挑む姿は大きな話題に。作品の美しさ、稀少性は高く評価され、2017年には「講談社出版文化賞 写真賞」も受賞しています。
美しい見た目とは裏腹に、ヨシダさんの強さや度胸はどこから来るのでしょうか? 樋口さんならではの鋭い舌鋒、視点で、話題の美女の魅力に迫ります。
「ヨシダさんは、クライシスジャンキーです!」(樋口)
「本日はお越しいただきありがとうございます。お会いできて大変うれしいです。ヨシダさんのことは『クレイジージャーニー』で存じあげたのですが、本当にすごい方だなと思っていました」
ヨシダナギ(以下:ヨシダ)
「ありがとうございます。こちらこそよろしくお願いします」
樋口 「まずはヨシダさんを知らない人に向け、紹介の意味も込めて少し伺わせてください。5歳の頃にテレビ番組でアフリカの映像を見て、アフリカの人に憧れたことが写真家になるきっかけになったと」
ヨシダ 「マサイ族と文化交流をするドキュメンタリー番組で、日本の家にマサイ族を招いたり、マサイの集落で日本人が生活したり、という内容でした。マサイ族が槍を持って飛び跳ねている姿を見て、将来自分も彼らのようになって飛び跳ねる仕事に就こう!と思ったんです」
樋口 「番組制作の方たちは、作った甲斐がありましたね。それを見たヨシダ少女が将来、写真家になったのですから」
ヨシダ 「でも当時、親は心配していたと思います(笑)」
ヨシダ 「アフリカは怖くありません。でも、ヨーロッパやアメリカに1人で行くのは怖いですよ」
樋口 「それはなぜなのでしょう?」
ヨシダ 「アフリカ人の行動は不思議と読めるんです。反応や切り返しがなんとなく予測できる。だから仲良くなれるし、トラブルが起きても切り返せるという安心感があります」
ヨシダ 「はい(笑)。それでもなんとかなるだろうと感じます。アフリカなら困っていたら誰かが助けてくれるだろうと」
樋口 「肝が据わりまくってますねえ。僕なんかは『クレイジージャーニー』でヨシダさんを見るたびに、感服するやら呆れるやらで……。泥の川の水で入れたコーヒーを飲んだり、牛の生き血を飲んだり、山羊の頭を食べたり……。食事の前にいちいち手を洗いにいくような軟弱な自分には絶対にできないと(笑)」
ヨシダ 「ハハハ。私の家はあまり裕福ではなく、小さい頃におやつをねだると、母から「人間は基本的に何を食っても死なない、だから何でも食え」と教えられました。それで身近にある、お腹を満たせそうなものを探してたどり着いたのが、アリやダンゴムシ。とにかく興味本位で色々なものを口に入れる傾向がありました。だから、とりあえず食べてみようと思うんでしょうね」
樋口 「すごい……(放心)」
ヨシダ 「でも、美味しいと思って食べているわけじゃないんです。美味しかったらラッキー、くらいな。牛の血も、思ったよりまずくなかったですよ(笑)」
樋口 「強い! 強すぎる!! ヨシダさんは興味や好奇心がとても強いんでしょうね。まさにロックンロールライフ、いやクライシスジャンキーじゃないですか。ドキドキしないと人生に満足できないという」
ヨシダ 「そうなんですかね(笑)」
「おじさんという天使には笑っていないと嫌われてしまうなって」(ヨシダ)
というのも昨今、『女は笑っていろ』みたいなことを言うと、パワハラ&セクハラに該当します。僕も女性にそんなことを無理強いしたくない。でも、ヨシダさんは自らの幸せを引き寄せるため、自主的に“笑顔運動”をされている」
ヨシダ 「小学校低学年の頃、母親から『私にとってあなたは娘だから可愛いけれど、世間一般で見たらブスでも特別可愛いわけでもない。でも笑っていれば誰かが助けてくれるくらいのいい笑顔は持っているから笑っていなさい』と教えられて。いい教えなのかわかりませんが(笑)。それから、魚屋さんへ行って母がニコニコしておじさんに話しかけると『いつも笑顔がいいね~。これ持っていきな!』と。母は、ほらね!って(笑)」
樋口 「お母様の洞察力というか、慧眼は凄まじいですね。我が娘とはいえ、まだ少女だったナギさんに対してそこまでわかって、処世術を教えてくれた」
ヨシダ 「それから『あんたが困った時に助けてくれるのは紛れもなくおじさんだから、絶対におじさんを無下に扱ってはいけない』と言ってましたね。それで、おじさんってそんな天使のような存在なんだ、天使には笑顔でいないと嫌われてしまうなって素直に思ってました」
樋口 「この記事を読んでいるLEON読者はみんな泣いていますよ。ヨシダナギさんっていう、天使がいるぞって(笑)」
一同 笑
「ピンチでもテントを張ってみようとか、この虫を食べてみようって少しでも楽しめる人がいい」(ヨシダ)
ヨシダ 「サバイバル能力の高い人がいいですね。いざという時、メンタルが弱くてたじろいでしまうような男性は嫌いです」
樋口 「ドキッとしました……やっぱりそうなんだ……」
ヨシダ 「フフフ。どんなにピンチな状況になっても、テントを張ってみようとか、この虫を食べてみようって少しでも楽しめる人がいいんです。「熱がある、風邪っぽい」って言われた段階で弱音に聞こえて嫌気がさしてしまう。男のくせに頭痛いとか言ってんじゃね~!って。無理はしないで欲しいですけど(笑)」
樋口 「き、厳しい……」
ヨシダ 「私の中に、昔から男性は女性を守るべきだってマインドがあって。男性には強くあって欲しいし、体調が悪かろうが勇ましくいて欲しいんです」
樋口 「ああ~~~! ヨシダさんにぴったりな方がいた! 前田日明や高田延彦など、スタープロレスラーを育てた山本小鉄さんという方なんですが。新日本の道場でレスラーの卵をしごきまくって鬼軍曹と言われた方です。『風邪なんて、日本酒一升瓶一気飲みしてヒンズースクワット1000回すれば治る!』と仰るような方で。70歳になる前に、ぽっくり亡くなってしまったんですが、男らしい無茶苦茶な方でした」
ヨシダ 「お、おもしろいですね(笑)」
樋口 「ヨシダさんにお会いしてほしかったです!」
「生きるのってこんなに簡単で楽しいものなんだって気づくことができた」(ヨシダ)
ヨシダ 「ん~。17~18歳頃ですね。当時は、たまたま辿り着いたグラビアの世界にいましたが、先が見えていなくて。両親も離婚したばかりで家族はめちゃくちゃ。生きていても何も楽しいことがないと思っていました」
樋口 「離婚してからは、お父さまと暮らすようになったんですよね」
ヨシダ 「はい、14歳の時です。人生のレールを敷いてくれていた母と離れて、辛いことへの耐え方がわからなくなり、生きることが苦痛になっていました。20歳の頃、この不幸は土地の“気”が悪いせいだと思い、勢いで1人暮らしを始めたら、不思議と人生が楽しいと感じるようになって」
樋口 「え、どういうことですか?」
ヨシダ 「例えば掃除しないと目に見えなくても埃ってたまるんだとか、食器は原色だと食欲がわかないんだとか、日々、発見と驚きの連続で。生きるのってこんなに簡単で楽しいものなんだって気づくことができたんです」
樋口 「ヨシダさんに憧れる、人生に思い悩む多感な若者たちが今の話を聞いたら、救われるでしょうね。その頃は、どうやって生計を立てていたのでしょう?」
ヨシダ 「イラストレーターの仕事をしながら、たまに銀座のスナックでバイトしてました。毎日働くのは嫌で若い人とは話せない、とおじさんに相談したら紹介してくれたんです」
樋口 「そして写真家になった。今はこれだけ認められて、一番ハッピーなんじゃないですか?」
ヨシダ 「2017~2018年前半くらいが一番幸せでした。仕事の量と何もない時間のバランスがすごく贅沢で。でも、去年後半から今年は忙しすぎて。働くことは生きるために大切ですが、精神を病んでまで働くのは馬鹿馬鹿しいと思うんです」
樋口 「それは僕もわかります。作家になって数年目くらいがちょうどよかった。認められて、仕事も忙しくなってきて、でも書き終わったら少し休むことができて。ヨシダさんの『なんで病むまで働くんだ』とか、『アフリカに憧れる』とか、『なんとかなる』って考え方は、いい意味で日本人を逸脱していますよね。人生を肯定する楽観主義がある。それが吉田さんの強みだと思います。じゃあ、今のモチベーションはどうですか?」
ヨシダ 「そうですねぇ。作品もさほどないし、久しぶりにつまらないな~って。でも、その無気力な状態も楽なんです(笑)。一方、事業を法人化したことで社会の責任を感じるようになり、厄介に思ってます。こうやって大人は病んでいくんだろうっなって(笑)」
樋口 「『成長した』、じゃなくて『厄介』って思っちゃうのがヨシダさんらしい(笑)」
「たまたま注目されたから有名になっただけ。自分は何も変わっていない」(ヨシダ)
ヨシダ 「ずっと写真家ではいないだろうと感じています。でも何になるかは、いまはまったくわからない。イラストレーターも写真家も目指したのではなく、たどり着いたものだから。もし80歳まで写真を続けていたら、それはそれですごいけど、やっぱり難しいと思います」
樋口 「難しいというのはなぜでしょうか」
ヨシダ 「少数民族の撮影にはお金がかかります。趣味で続けるには難しい金額ですし、スポンサーについてもらうにも目的が明確でなければならない。この活動は結構厳しいものです。メディアに出て注目されているうちはいいけれど、ブームもずっと続きませんしね」
樋口 「浮かれませんねえ。醒めた視線を失わないというか。次はどんなことがやりたいですか?」
ヨシダ 「人目に晒されるのが苦手なので人前に出ない仕事がいいですね。でも、基本的に成し遂げたいこととかはないんです。むしろ目標がない状況が最高にいい。できないもどかしさで苦しんだり、全力で走るのは嫌いだから。『メダルゲームを1時間で5000円使って遊びたい』とか簡単にできる目標ならたくさんありますけど(笑)。そもそも人間はいつ死ぬかわからないし、死ぬ間際にあれやっておけばよかったって思う生き方がすごく嫌で」
樋口 「なるほど、後悔したくない」
ヨシダ 「あと、モチベーションが長く続かない。だから長いスパンで目標を立てずに、目の前にゴールを設定して、常に褒めてもらえる仕事がいいですね(笑)」
樋口 「だから著書に『ゴールがいくつもある方がいい』ってあったんですね。そうは言いつつも、社会的に認められ、確固たる自分の居場所を得て、若者に憧れられて……すごいと思います」
樋口 「なるほど~。でも僕はやっぱりヨシダさんの元からある力が見出されたんだと思います。多くの人は注目されたくても、見てくれる人もいなくて、声もかけられなくて、どんどん生活が荒んでいく。なりたくてもなれないんです。お話を伺って、ヨシダさんはつくづくナチュラル・ボーン・アーティストなんだなって思いました。次の展開もきっと誰かが、提示してくれるような気がしますね」
ヨシダ 「それはそれで楽しみですね」
樋口 「何もかも凡人の自分からすると到底かなわないと思いました。同じリングにすら立てないと。こんな強い人がいるんだなって敗北感に打ちひしがれています。本当にひ弱なオジサンですみません」
ヨシダ 「そんな、とんでもないです(笑)。こちらこそありがとうございました」
【対談を終えて】
実は誰もができることなのにやらなかった。あるいは思いつかなかった。ヨシダナギさんの最大の武器は、「ヨシダナギ」という方法論を発明したことにある。不器用なまでの強い意志と純粋な欲望が、ヨシダナギを支えている。(樋口毅宏)
●ヨシダナギ
1986年生まれ。フォトグラファー。独学で写真を学び、2009年より単身アフリカへ。以来アフリカをはじめとする世界中の少数民族を撮影、発表。唯一無二の色彩と直感的な生き方が評価され、2017年日経ビジネス誌で「次代を創る100人」へ選出。また同年、講談社出版文化賞
写真賞を受賞。
公式HP http://nagi-yoshida.com/
● 樋口毅宏 (ひぐち・たけひろ)
1971年、東京都豊島区雑司が谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ケ谷』で作家デビュー。11年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補および第2回山田風太郎賞候補、12年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。著書に『日本のセックス』『二十五の瞳』『愛される資格』『アクシデント・レポート』など。妻は弁護士でタレントの三輪記子さん。最新作は育児を通して知り合ったパパ友同士の禁断の恋を描いた『東京パパ友ラブストーリー』。
公式twitter https://mobile.twitter.com/byezoushigaya/