2022.11.14
「ネットでサービス売るなら」でお馴染みのMOSHはどうやって生まれたのか!?
必要にかられ学生時代にマッチングサイトを構築。それから渡米、就職、世界一周を経て、クリエイターを始めあらゆるサービスの販売・顧客管理・決済まで可能にする画期的サイト「MOSH」を立ち上げた籔社長に、起業にかけた思いと、それまでの道のりを伺いました。
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写真/トヨダリョウ スタイリング/小野塚雅之 ヘアメイク/勝間亮平 文/木村千鶴 取材協力/漆畑慶将
画期的ネットサービス「MOSH」を生み出した籔社長にぜんぶ聞きます!
今回はサービスのネット販売を後押しする、MOSH(モッシュ)株式会社代表取締役・籔 和弥さんにお話を伺いました。
大学生の時に家庭教師と生徒をマッチングするサイトを作りました
籔 自分の技術や知識、経験などを、オンラインやネットで簡単に売れる仕組みをサービスとして提供しています。自分でネットショップが作れる「BASE」というサービスがありますよね。その「サービス業版」だと言えばわかりやすいかもしれません。現在200職種以上のクリエイターの方に使っていただいているんですが、例えば、フリーの美容師さんがSNSで集客をしているとしますよね。その方が登録してくださったら、スマホで予約受付をし、事前決済から顧客の管理までを1本化できます。
籔 今までだと決済については色んなツール使わないといけなかったんです。でもモッシュを使えば、決済の設定や予約の受付もスムーズにできます。その辺は技術的なリテラシーが高くなくても使っていただけるようなサイトになっています。
── 籔さんはどんな幼少期を過ごしましたか? 起業される方は子供の頃からちょっと人と違う育ち方をしている印象があるんですが。
籔 福井県の三国町という、海と自然に囲まれた町で育ちましたので、幼少期は外を駆け回って遊んでました。父親がメガネのデザイナーをしていたので、「自分でやる」という仕事の仕方は僕としたら一般的で、“普通”の基準が人と少し違ってたのかもな、という気はします。
中学生の時のアメリカ旅行がきっかけで、海外に凄く興味を持ちました。ニューヨークのストリートでダンスをしている人たちを見て憧れ、それからブレイクダンスを始めたんですが、そもそも周囲の人がやってないことをやりたいという思いが強く、好奇心は旺盛だったと思います。ダンスを通して、自分自身のアイデンティティみたいなものを表現してたっていうのもあるかな。大学生までダンスは続けていて、全国の学生のダンス大会で、団体・個人合わせて日本一にもなりました。
── 日本一は凄いですね! 海外への興味はその後も続いたんですか。
籔 そうですね、それで大学2年の時に留学を目指して英語の勉強を始めたんですが、かなり頑張ってたにもかかわらずめっちゃ苦労しまして。その時に、“中高生の頃から英語学習をしっかりしていたらここまで苦労しなかった、これは教育の機会として足りない部分があるのかもしれない”と感じて、英語の家庭教師と、英語を勉強したい中高生をマッチングするサービスを始めました。
── 学生の頃からやはり起業家精神が備わっていたんですね。その仕組みはご自身で作られたんですか。
籔 はい、当時はウェブの技術について何も知らなかったので、技術を学んで1からサイトを作りました。まずは周りの英語が得意な友達に家庭教師として入ってもらい、大学のある関西エリアからスタートして、最終的には先生を150人ぐらいプラットホーム上に掲載させていただいて、ウェブで検索したら自分らのサイトが出るみたいな形までにはなりましたね。それが初めての起業であり、ウェブサービスを使って、より多くの人に繋げていく活動としての原体験です。
籔 並行してちゃんと自分の勉強もして、翌年無事にオハイオ州の大学に入学できましたよ(笑)。留学時には、勉強を頑張っている人たちとお会いしていろんな刺激を受け、次はグローバルでやれるサービスを作りたいなと思うようになりました。僕的にグローバルでやれるサービスは何なのかなと考えると、食とゲーム、教育。この3つの領域であれば、もしかしたら日本から発信して海外でやる意味があるかもしれないと考え、帰国してから当時スタートアップだったレッティという会社に新卒で入社しました。
── 日本食とゲームは海外でも評価が高いですもんね。レッティというと、あのお店を検索する……。
籔 そうです。新卒で7、8人目の入社だったかな、それこそマンションの一室とかやってるような頃から始まり、会社が急成長していく様を一緒に体感できたことは、大きな経験です。
── それは大きな体験でしたね。籔さんはレッティでどんな仕事を担当されていたんですか。
籔 僕はずっとアプリのリーダーをやっていました。そこでは各地方のコアなグルメの方々やユーザーさんを集めて、会話をしながらコミュニティを育てていくような活動をしていたんです。アプリとしてはそういったコミュニティを大事にしていたので。ただレッティの社長には、就職するときに「3年半くらいで退職して起業する予定です。それでもよければ新卒で入ります」と伝えてあったので、ちょうど3年半働き、2016年12月に退社をして、そこから世界一周の旅に出ました。
インターネットの普及により人の生活が相対的に見えるようになったことはある種副作用でもあり……
籔 グローバルでどういうサービスが広がっているのかを見てから、起業したいと思っていたんです。2017年1月からアジア、インド、アフリカ、アメリカとなどを一通り旅したんですが、その頃、僕が回った国々ではC to Cの個人間の取引、今で言うとメルカリさんのような、個人と個人が取引を行うってことが一般化していまして。特にアジアでは、アプリでマッチングしてタクシーのようにバイクに来てもらうとか、マッサージをしに来てもらうとか、個人間取引みたいなものが非常に普及してたんです。
それを見て、こういう個人間取引みたいなものがインターネットの本質であり、この流れは今後も広がっていくな、と感じたんです。当時の日本ではそういうサービスはまだあまり普及していなくて、世界とかなりギャップがあったので、この原体験は凄く衝撃的でした。そこで得た体験を元に『MOSH』というサービスを作ったので、そういう意味ではベースとなるアイデアは世界一周のときに練られたかなと思っています。
── 確かに、アジア圏の方々のデジタルツールの使いこなし方は目を見張るものがありますし、上昇志向の熱さが日本人とはちょっと違う気がします。
籔 そうなんですよね。いろんな方に話が聞きたいと思ったので、企業家や投資家、普通に働いてる方も含め、20代30代の若い方々150人ぐらいとお会いして……。
── えっと、結構さらりと言われましたが(笑)、海外でいろんな人と会うって、どうしたらいいんですか?
籔 企業家や投資家さんはご紹介していただいてますが、紹介がない場合はマッチングアプリなどを使いました。
籔 会った人たちはみんな、自分のやりたいこととか、“情熱のありか”みたいなものを模索しているなと感じました。アジア、インドも含めて、生活的なインフラはかなり整っている時代になってきています。アフリカのマサイ族の村でもそうです。マサイ族の村はそもそも観光資源が70%くらいで成り立っているので、若い人は英語を話せます。携帯も使っていますし、フェイスブックとかで世界中の人と繋がっているので、情報が普及してない時代と違って、いろんな生き方の選択肢みたいなものを見ることができました。
村で同じ歳くらいの青年と話した時「日本ってどんな国なの?」とか「ここでのこの暮らしは、自分のやりたいことではないんだよね」など、自分の意思みたいなものが言葉の中にたくさん出てきて。マサイ族は15歳になると、ライオンを仕留めるという儀式があるんですね。通過儀礼として、ちゃんと大人になったよというステップみたいなものらしいんですが、そういうことも含め、考えることもたくさん出てきたんだと思います。
── インターネットの出現で、自分たちとは違う暮らしや価値観が見えてきたんですね。
籔 はい、インターネットやSNSの広がりによって、いろんな人の生活や生き様が相対的に見えるようになりました。それはある種の副作用でもあり、今後も社会的に大きな課題になるはずです。これを解決できるような事業をやりたいと思い、起業に踏み切りました。
── 起業するにあたってのコンセプトが決まったわけですね。
籔 はい、会社のミッションは「情熱が巡る経済を作る」というものです。情熱がちゃんと見つかって、それが育ち、次世代にも繋がっていく。そういう循環を作るプロダクトを、事業としてスタートさせたのが、『モッシュ(MOSH)』です。
コロナ禍のタイミングでオンライン化は需要があるということを改めて認識しました
籔 大変だったという感覚というよりも、振り返ると伸びてなかったなと思う時がありました。起業する以前からチームのようなものは作っていたんですが、僕が海外に行ったタイミングでガラッとアイデアを変えたので、最初はチームのみんなも大変だったと思います。本当に地道なプロダクトなので、立ち上がりから2年くらいは、全くお金を使わずにコツコツやってましたから。
それが変化したのはコロナ禍のタイミングです。オフラインでやっていた事業者やクリエイターの方々は売り上げが下がってしまい、先行きが不安になっていらしたんで、登録してくださる方が増えて、僕らは大きく伸びたんです。
── 本当にコロナ禍で二極化しましたね。大きく伸びた業態がある一方で、サービス業の大半は営業が厳しくなってしまった。
籔 そうですね、クリエイターさんや事業者さんからすると、すごく大変な局面だったと思います。でもそのタイミングで我々に引き合いが来て、やはりこういった状況になると、オンライン化やデジタル化は需要があるんだなと、改めて認識しました。結果として役割を持てた、貢献できたことはよろこびにつながっています。
── 今後の展望として、やりたいことはありますか。
籔 ベースとしては、みなさんに認識してもらって事業を広げていきたいということなんですが、最近、チームでもモッシュを使いやすくするような仕組みをリリースをしまして。団体などでやってる方々が、自分のブランドをもっと活かしながら活動しやすくなるような仕組みを導入したんです。
籔 例えば、今吉本興業さんのタレントさんに使ってもらっているんですが、自分で営業に行くとしますよね。その売り上げの一部、事務所の取り分がちゃんと事務所に入る、というような仕掛けを作っています。
── ギャラの分配を透明化したんですね。
籔 そうですね、これまでは事務所という大元のハコがあって、売上やサイトの管理も全部事務所が行う、という形が一般的でした。導入後は、芸人さんが自分のページやサイトを自由に作って、クリエイターさんなら商品を作って、ちゃんとした割合で事務所にも売り上げが入り、芸人さんやクリエイターさんにもしっかり入ってくるという仕組みができました。
── モッシュの仕組みを通すことで、作業も分割できて、自由度も増すんですね。
籔 これは事務所的な活動を、個人でもできるという仕組みなんです。例えばライターさんだったら、自分が執筆するだけでなく、ライティングを周りの人に依頼して、その売上をシェアする、またはお客さんを紹介する、書き方を教えるなど、いろんな形でチームを作ることができます。
今までは雇用するって結構大変だったと思うのですが、もっとラフに、ギルド的な形で収益を分配できる仕組みを『mosh for team』として展開しているので、これの認知度を上げていきたいと思っています。
── とても魅力的で便利な仕組みだと思います。では最後に、 LEON.JPのテーマでもある、籔さんにとっての「カッコいい大人」とは、どんな人か伺っていいですか?
籔 哲学のある人。自分の信じている哲学みたいなものがあって、そこに対して自信がある人が1番カッコいいなと思っています。周りの意見や世間体、そういった「声」はアイデアの一部ぐらいに捉えて、自分自身の経験や、やりたいことに集中できる人、熱中してる人たちは凄くカッコいい。そういう状態をいかに作り続けられるかを、人生としてはめちゃくちゃ意識しています。
● 籔 和弥
福井県出身。学生時代に家庭教師のマッチングサービスを始める。2014年、Retty株式会社に入社。Rettyアプリのリーダーなどをを担当し、2017年に退職。その後、企業準備も兼ねてアジア・インド・アフリカなど世界一周を行い、現在のMOSHを着想し創業。