2023.04.22
プロゲーマー・たぬかな「170ない男は人権ない」で大炎上のその後!?
「170センチない男は人権がない」発言で大炎上、プロゲーマーから配信者となった「たぬかな」さん。「プロになると言いたいことが言えなくなる。一般人として好きなことを好きなように言える立場でいたい(笑)」と真っ直ぐに語る彼女の今とは?
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文・写真/村田らむ (ライター、漫画家、カメラマン、イラストレーター)

日本で2人目の女性プロゲーマー
2022年2月、Mildomのライブ配信にて「170センチない方は『俺って人権ないんだ』って思いながら、生きていってください」
と発言したことが問題視され、ネット上で大炎上した。筆者もSNSなどで炎上している様を見ていたが、どう見ても過剰にたたかれすぎていた。
「誰か刺しに行ってこい」
など行き過ぎた発言をする人も目に付き、自殺、他殺、といった最悪な事態が起きないか心配していた。
ちょうど炎上から1年ほどが経過した今年の1月末、たぬかなさんはTwitchにて動画の配信を開始した。炎上したときと同じく1人で雑談をするスタイルだ。
振り切ったような軽快な毒舌トークは評判もよく順調に視聴者も増えている。
今回はたぬかなさんに、プロゲーマーになるまでのいきさつと、炎上中と炎上後の日々について。そして、復帰後の現在の気持ちを語っていただいた。
たぬかなさんは徳島県に生まれた。
「父がゲーム好きで、家にずっとゲームがありました。父親がゲームをしているのをいつも見てたし、3人きょうだいの真ん中だったので、兄や弟と一緒にゲームをすることも多かったです。格闘ゲームは父親がやってた『スト2ターボ』(ストリートファイター2ターボ)をガチャガチャと遊んでたくらいでした。『スマブラ』(大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ)とか『ファイナルファンタジー』とか王道のゲームをプレイしてましたね。
中学校のときに『マイホームをつくろう!』というゲームに出会いました」
『マイホームをつくろう!』はプレイステーション2のゲームソフトだ。
タイトルどおり、部屋を分割し、壁紙を貼ったり、さまざまな家具を並べたりして、自由にマイホームを作っていく。そして作った後は、家の内外を歩いたり、眺めることができる。
ゲームというよりはキャド(設計支援ツール)に近いソフトだ。
当時は珍しい、格闘ゲームをする女子高生
昔から成績はよくて、あまり勉強しなくても学校の成績は保っていられました。学校ではほとんど寝てたし、授業中抜け出してどっかに行ったりすることもありました。不良じゃなかったんですけど、不真面目ではありましたね。当時の、友達からはすごいとがっていたって言われます。でも自分ではあんまり覚えていないんですよ。当時はゲームのことしか考えてなかったので」
建築科の高校は圧倒的に男子が多かった。学校帰りに、男子たちと一緒にゲームセンターに遊びに行った。
そこで格闘ゲーム『鉄拳6 BLOODLINE REBELLION』に出会った。当時の格闘ゲームは対面に座った者同士が戦うシステムだった。
ストリートファイター2から始まった格闘ゲームブームは落ち着いていたとは言え、まだまだ残り火は熱く燃えていた。多くの人が、ゲームセンターに集まり、しのぎを削って戦っていた。
「仲良い男子の間で格闘ゲームがはやっていたので『教えてよ』って入っていったのがはじまりでした。そこから、めちゃくちゃハマっちゃったんですね」
たぬかなさんの高校から自転車で15分ほどのところにゲームセンターはあった。だがそのゲームセンターは1ゲーム100円だった。
自転車を45分走らせた場所にあるゲームセンターは1ゲーム50円だった。たぬかなさんは、必死に自転車をこいで安いゲームセンターに走った。
「ゲーム代はアルバイトして稼いでました。当時は家庭が荒れてて、貧乏だったんで、父に『自動車の教習所代や車代とかは、自分で稼いで貯めておけよ』って言われてて。それで週3~4日くらい焼肉屋とコンビニとガストでバイトしてました。貯金しつつ、残ったお金は全部ゲームにつぎ込んでました。
バイト以外の日はゲームセンターに行ってました。門限が8時だったので1日、2時間くらいしかゲームできませんでした。席が埋まってると『早く終わらんかな!!』ってイライラしてました。休みの日は1日中ゲームセンターにいましたね。体力がある高校生だからできていたんであって、今だったら絶対に無理ですね(笑)。
当時は女子高生3人組で、ゲームをしていました。女子高生が格闘ゲームしてるって超珍しかったんで、地元ではちょっと有名でした。その2人とはいまだに会って、ご飯とかしますね」
高校時代はゲームを中心に回っていった。
鉄拳6BRのプレイヤーは獲得したポイントによってランクが付けられる。勝つとポイントを得られるが、自分よりずっとレベルが低い相手に勝ってもポイントはもらえない。ほぼ同段位の人と対戦して勝利してポイントを得ていくのがセオリーだった。
「何日に○○のランク帯が行くんでよかったら対戦してください」
とネット掲示板に書き込み、ゲームセンターで集まって対戦をするという文化が生まれていた。
“遠征”して地元の人たちと親交を深めた
県外に行くときはゲームセンターで会ったおもろいおっちゃんにお願いして、自動車に乗せていってもらったりしました。珍しい女子高生だったと思います(笑)。高校生活ではまず出会えないいろいろな大人と出会えるのもゲーセン通いの楽しみの1つでした。
香川には大きいゲームセンターがあってよく行きました。もっと遠くへ行けるときは、大阪や神戸まで足を運びました。当時、大阪が結構強くて、聖地って呼ばれるゲームセンターが梅田にあって盛り上がっていました。
修学旅行で北海道に行ったときは、自由時間に北海道のゲームセンターに足を運んで地元の人たちと親交を深めました」
戦い終わった後は、みんな仲良くなった。ファミリーレストランで情報交換をしながら朝までしゃべった。
「今はネット環境が発達して、地方に遠征する文化はほぼなくなりました。家や地元のゲームセンターにいながらにして、さまざまな地域の人と戦えるようになったのは便利ですけど、少しさみしいですね。
私は、当時そこまで強くなかったんですよ。でも負けん気だけはすごくて、成長速度はいちばん速かったですね。とにかく負けて悔しいのが嫌なので。対戦ゲームにおいて、負けん気の強さがいちばん重要だと思います。『楽しめたらいい』って人は強くならないですね。『絶対に殺す!!』って気持ちが強い人ほど、性格の悪い人ほど、強くなれると思います」
たぬかなさんはゲームに明け暮れたまま、高校を卒業した。
総合建設業の会社の設計科に就職した。
たまたまだが、高校時代に通い詰めたゲームセンターの近くにある会社だった。
「3Dキャドを使って設計するのがメインの仕事でした。女性が少ない会社だったので、営業のサポートもしました。営業の人が話し合いをしている間、お子さんの面倒を見たりすることもありました。下っ端だったんで、いろいろとさせられてました」
仕事自体は楽しかった。ただ、かなりブラックな労働環境だった。
「給料は安くて、拘束時間は長くて。残業代は1時間150円しか出ませんでした。それにセクハラみたいのもすごくあって……」
会社で働いていると、見た目の悪い40代くらいの男性をあてがわれた。皆に
「付き合っちゃいなよ」
と冷やかされた。たぬかなさんは
「彼氏がいるので……」
と断ったが、そんなことは関係なく、肩を抱かれたり、口説かれたり、延々とちょっかいをかけられ続けた。
「いちばん腹が立ったのは、椅子に座ろうとしたときに、椅子を引かれたんですよ。それでお尻からドンと落ちちゃって。それ、めちゃ危ないじゃないですか? お尻にアザができて。
『これって労災おりるんですか?』
って上司に聞いたら、
『労災おろしてほしいんだったら、ちゃんとお尻の怪我の写真撮ってきて見せてよ』
って気持ち悪いこと言われました」
仕事が終わった夜の11時頃、ゲームセンターに行って1時間だけプレイをした。
自動車で帰ろうと思ったが、自動車に乗り込んだら帰る気力がなくなった。朝まで自動車で寝て、そのまま出勤した。
「就職して1年くらい経った頃、ちょくちょく失禁するようになりました。当時は恥ずかしいって気持ちもなくなってました。髪の毛が全体的にごっそり抜けて、お年寄りみたいなハゲ方になってました。まだ19歳でしたけど、私の人生でいちばん老けていた時代だと思います。
おしっこ漏らしながら家に帰って、お母さんの顔見たら、号泣してしまって……。
『もう、じゃあ、あんた病院に行きな』
って、お母さんに言われて病院に行ったら、うつって診断されました」

ホワイトな職場に勤務、金銭的・肉体的に余裕ができた
「親が結構厳しくて、フリーター生活を許してくれなかったんですよ。でもさすがに退社後は本当にしんどかったから、少しのあいだだけフリーターをしていました」
ラーメン店、喫茶店、パチンコ店をかけもちでアルバイトをした。
その後、喫茶店で準社員として働きつつ、ユニクロで働き始めた。
「ユニクロから正社員のお誘いがあって、受けました。ユニクロはブラックだとたたかれた直後だったこともあって、すごくホワイトでした。ユニクロではじめて特休(特別休暇)とか有休(有給休暇)の存在を知りました。
こんなにお休みもらっていいの!! って感じでした。それにボーナスも初めてもらって、すばらしい!! ってなりましたね。
私は裾上げを担当していました。社内のテストを受けて、昇格昇給しました。私は要領よく“手を抜く”のがうまいんです。夜中に働ける女性が不足していたこともあって、会社には重宝されていたと思います」
金銭的にも肉体的にも余裕ができ、再びゲームセンターに通う日々がはじまった。高校時代とは違いマイカーがあったので、休日には自由に大阪などに遠征した。
たぬかなさんの活躍を耳にしたバンダイナムコゲームスからの依頼で、台湾のゲームイベントに顔を出す機会もあった。
ギャラは出ないが、渡航費用などはすべてゲーム会社が持つ、いわばセミプロのような仕事だった。
「ゲーマーとしては、この頃がいちばん充実してました。大阪もすごく好きで、
『心斎橋すごい!! こんな夜遅くてもめっちゃお店開いてる!!』
みたいな。田舎もんなんで、すごい楽しかったですね」
そんな折、新規に立ち上げられるプロeスポーツチームが広告を出した。
『鉄拳1名募集』
ちょうど、世の中にプロゲーマーが現れ始めた頃だった。
「『これは受けてみるか!』と思いました。
面接があって、実際にオンラインで対戦しているところを見せたりしました。当時はすごい高いランク帯にいたし、セミプロ経験もありましたし『当然受かるだろう』と思っていたら、やっぱり受かったって感じでしたね」
たぬかなさんはユニクロと兼業にしたかったが、雇い主である、CYCLOPS athlete gaming(当時は CYCLOPS OSAKA)からは
「それなりのお金を出すから専業でお願いしたい」
と言われた。
「提示された金額は、田舎者の私から見たら十分な額だったので、専業のプロゲーマーになることにしました」
プロゲーマーのいちばん大きな仕事は、国内外の大会に参加して盛り上げること。ユニフォームを着て活躍して、スポンサーの名前をアピールする。もちろん試合に勝って実績を残さなければならない。
基本給があり、そのうえで大会の成績に応じてボーナスが出た。プロゲーマーのチームに入っても基本給がない会社も多く、基本給があるのは随分ありがたかったという。
業界内の事情にはたびたび振り回された
2017年にアメリカで開催された『Combo Breaker』という世界大会で3位になりました。小柄なアジア系の女の子が、大柄な黒人選手とかをバンバン倒していくっていう構図が、海外で受けました。地元のメディアに掲載されて、フォロワーも爆増しました。それで、レッドブルさんがスポンサーについてくれました。プロゲーマーとして非常に充実した日々でした」
ただし、プロゲーマーの仕事はゲームをするだけではない。
講演会をする。
スポンサーのイベントに出演する。
定期的に配信をしてファンと交流する。
などの仕事もこなさなければならない。
「先輩女性プロゲーマーの人と、新しくできた格闘ゲームで対戦するっていう仕事がありました。その人、プロって名乗ってる割にゲームは全然下手で。実際対戦してみたら、やっぱり私が勝ったんですけど、それ以降、共演NGにされました。それでその人のこと、すごい嫌いになりましたね。
業界内には、そんな気持ちの悪い人間関係だとか、利権だとかがいろいろあって、たびたび振り回されました。常々『すげえ世界だな』って思っていました」
2019年にはMildomというゲームを中心とした映像配信プラットフォームが登場した。多くのプロゲーマーが配信に参加した。
「当時Mildomで配信をやるとかなりお金が稼げました。ただマイナーなプラットフォームなので、視聴者数はそんなに伸びませんでした。私は配信はあまり好きではなかったのですが『稼げるなら』とはじめました」
その日はバレンタインデーにちなんだ雑談をしていた。視聴者は30人くらいの、ごくごく少ないサークルの会話だった。
その日、たぬかなさんは少し嫌なことがあった。ウーバーイーツの配達員に連絡先を聞かれたのだ。自宅の場所を知っている配達員にナンパされたことに、たぬかなさんは恐怖を覚えた。
その配達員は、たまたま低身長だった。
たぬかなさんは、低身長の男性は好みでなかったので、いつもの毒舌で説明をした。
「165はちっちゃいね。ダメですね。170ないと、正直人権ないんで。170センチない方は『俺って人権ないんだ』って思いながら、生きていってください」
確かに少々キツイ言葉だが、30人しか見ていないチャンネル内での発言だ。しかも発言の前後の言葉は参照せず、この部分だけを切り取って拡散された。メディアによっては、まるで何万人にも向けての発言のように報道するところもあったが、実際にはごく小さいサークル内での会話だ。
少々言葉選びに慎重さが欠けたとはいえ、深夜の居酒屋に行ったらもっとひどい言葉がいくらでも飛び交っているだろう。
現にCYCLOPS athlete gamingの社員も配信に参加しており、その場ではなんの文句も言わなかった。たぬかなさん自身、この言葉が問題になるとは、夢にも思っていなかった。
しかし配信からまもなく、『170センチない男は人権がない』発言は恐ろしい勢いで炎上していった。
「ツイッターへのリプライ、DMは追えないくらいの勢いで来ましたね。ほとんどは男性でした。殺害予告も大量に来ました。もともとエゴサ大好きマン(エゴサーチ・自分のことを検索すること)なんで、すべてのリプライに目を通しました。
そもそも、誹謗中傷には慣れてました。女性プロゲーマーというだけでたたかれることは多かったんです。それは自分でも仕方ないと思ってて。私よりゲームうまい男性って、当時もたくさんいたんですよ。私がプロになれたのは、女性だったからという部分が大きい。だから疎まれるのは当然ではあったんです。
だから散々『ブス』って言われてきました。顔とゲームの腕は関係ないけど、女性が顔を貶されたら傷つくことを本能的に知ってるんでしょうね。まず顔面をたたいてきます。それで大会で勝ったり、スポンサーを取ったりしたら『枕』だって言われました。枕で渡っていけるほど、甘い世界じゃないんですが。
そういう誹謗中傷には慣れてたはずなんですが。それにしても……それにしても、でした」
当時、生活が厳しかった人の憎しみが集中したと思う
「結構いじっぱりで強がりなんで、周りには『全然生きるし!!』みたいに言ってましたけど、やっぱり落ち込んでましたね。夜寝れなかったですね。こんな寝られへんのか、っていうくらい寝れなくて。
まあ自分に対する誹謗中傷だけならよかったんですけど、実家に嫌がらせをされたのがいちばんこたえました。おばあちゃんがたい焼き屋をやっていたんですけど、評価サイトを荒らされて点数を下げられました。
家に電話かかってきて、父親か弟が取るとガチャって切るんですよ。母親とおばあちゃんが電話に出たときだけギャーギャー文句を言うんです。ムカつきました。
当時コロナ禍の中で、プロゲーマーが比較的うまくいってたんです。端的に言えば、稼げていた。逆に普通の生活してる人は生活が厳しかったですよね。女性プロゲーマーって楽して稼いでそうに見えるし、それが彼らのヘイトをためちゃったんだと思うんです。
『この女、楽して稼いでて、しかもこんな差別的な発言もしちゃうんだ! こいつ全力でたたいて、無職にしたる!』
という感じで私に集中して憎しみが向かったんだろうな、と今は思います。同じ内容の言葉でも今発言していたら、結果は変わっていたでしょうね。
私をたたいた多くの人たちは、悪いことをしている自覚はなかったと思います。正義の棒で私のことをたたいていたんでしょう。正義を振りかざすのは気持ちいいですからね。私はたたかれながら、人間はなんて愚かで、なんて気持ち悪いんだろうと思いました」
まもなく、CYCLOPS athlete gamingからは契約を解除された。
「プロゲーマーの活動5~6年目のときで。ああ、こんなんでいかれるんや……って。トカゲの尻尾切りになるやん、みたいな気持ちでした」
誹謗中傷は徐々に減っていったが、平穏になるには3カ月以上かかった。
そして平穏になる過程で、さらに嫌な事実を知ることにもなった。
「私が炎上するように仕掛けてたの、年上だけど後輩の女性プロゲーマーの人だったんですよ。もともと仲良かったし、ライバルみたいに言われて、プロレスみたいにずっとやってきてたんですけど。仲良しごっこのその裏で、がんばって2年くらい私を炎上させる活動をやっていたらしいです。その人が炎上のきっかけになった暴露系のツイッターアカウントにDMを送っていた証拠が出てきました。
それが原因なのかはわからないですが、彼女も契約は更新されず、私と一緒の無職仲間になってますけど(笑)。炎上中にはほかの女性プロゲーマーにも嫌な思いさせられて、すっかり女嫌いになりました」
たぬかなさんは炎上が収まるまで、ひたすら1日中ゲームをしていたという。
「『ELDEN RING』が発売されて間もない頃で、このゲームにはずいぶん救われました。あとは『VALORANT』っていう5対5で戦うFPSもやりましたね。
ゲームやってるときは嫌な気持ちを忘れられたんで、ずっとゲームをしてました」

バイトをしながら、少しずつ自信を取り戻していった
「半年くらい経って、やっとちょっとお金のこと考えようかなって思いました。重い腰を上げて、銭湯の掃除のバイトをはじめました」
不特定多数の人物から大量の殺害予告が届いた後だ。顔も素性も嫌というほどネット上にばらまかれた。
だから外に出るのが怖かった。
夜の闇に隠れるように、営業を終えた銭湯に向かい脱衣所の床にモップをかけた。1日で3000円くらいの稼ぎにしかならなかったが、少しずつ自信を取り戻した。
「普通の人って私の顔を覚えてないし、そもそも何があったかも覚えてないんだな、って知ることができて安心しました。それで
『まあ、大丈夫かな?』
と思って、夜やってる子に誘われてガールズバーで働くことになりました。人生初の水商売でした。早々に指名もついたし、仕事は楽しかったんですが、お客さんに直接ドリンクをねだるという行為が苦手でした。
お店の人にはよく
『今のお客さん、絶対もっと頼んでくれたのに、なんで飲まないの?』
とか怒られて……。正直、浅ましいなと思いました。客にダイレクトにお金をねだるって行為が私には向いてないなと……。
そんなとき、父親が危篤になってしまい、それをきっかけに辞めました」
たぬかなさんは地元に帰り、父親の介護をしながら日々を過ごした。
「父親は実家に対する嫌がらせに結構ムカついてました。
『(実家に電話をかけてきて脅すような)しょうもない奴に、お前負けんなよ!!』
って死ぬ前に言われました」
たぬかなさんの父親が亡くなり、1カ月ほどは落ち込む母親のそばにいた。
そして年が明けた1月、Twitchにて配信を始めた。
「父の言葉に後押しされ
『じゃあ、そろそろ配信始めるわ!!』
って感じでした。
実は父親が亡くなったときに借金を相続しまして。配信でどないかして借金代くらいは稼いでやろうという気持ちがありました。
正直、かなりうまくいってると思います。思った以上に稼げています」
一般人として好きなことを言える立場でいたい
「今、褒めそやしてくる人の中には、当時たたいていた人もいっぱいいると思うんですよ。配信の中で、
『今、誉めてるけど、どうせ当時は私のことたたいてたやろ!!』
って言ったら、
『たたいてました!!』
って人いっぱいおったりとかして。
私は今はキッチリ悟りを開けていて
『扇動されやすい愚かな民衆を、それでも愛そう』
みたいな気持ちにはなってはいます。逆に弱者の男性に寄り添うような配信を心がけています。でも……やっぱりスッキリはしませんね。
ほかの人のチャンネルにも出演しますが、正直ギャラ次第です。お金が高い順に選んで出ています。私を動かしたかったら、札束で頬をたたいてください(笑)」
着実に視聴者、ファンを増やしているたぬかなさんだが、将来のことはあまり考えていないという。
「こんだけやっておいてなんですが、私やっぱり配信っていうのがあんまり好きじゃないんですね。仕事でしていたので不特定多数に向けてしゃべることはできるんですけど、本当の性格は陰キャで1人で家でずっとゲームをしていたいタイプなんです。
あと、配信界隈もいろいろ派閥があって、褒めたり、すり寄ったり、コラボしたりと、ゲーマー界隈と同じで気持ち悪いなって思い始めてて。私はやっぱり、こういう“界隈”で生きるのが苦手なんだなと。
実を言うと、このまま順調に稼げて借金を返し終わったらやめようかな? と思ってます。生配信だけじゃなく、メディア露出全般を。自己顕示欲とか承認欲求とかはもうプロゲーマーになったときにだいぶ満たされたんで、この人生ではこれ以上いらないかな? って。
なんだか今世はちょっといろいろ濃すぎたので。来世はちょっとゆったりとした生活がいいな~と思ってます(笑)」
まだ発売日は未定だが、近々鉄拳シリーズの最新作『鉄拳8』が発売される。
「私、プロゲーマーやっていて気づいたんですけど、やっぱり好きなことでも仕事にしちゃうと少し嫌いになっちゃうんですね。
だから私、本当に格闘ゲーム『鉄拳』が好きだから、『鉄拳8』はなんのしがらみもなくプレイしたいな、と思ってるんです。プロゲーマーではなく、ただの一般人として楽しむつもりです。
あとプロになっちゃうと言いたいことが言えなくなってしまいますからね。一般人として好きなことを好きなように言えて、嫌いな奴にはいつでも
『死ね!!』
って言える立場でいたいですね(笑)」
たぬかなさんの言葉はとても真っ直ぐで、いやらしいところがなく、好感が持てた。
真っ直ぐだからこそ、これからも人とぶつかってしまうこともあるかもしれないが、その困難を乗り越えるしたたかさと逞しさを感じた。
これからの、たぬかなさんの活躍に期待したい。
「非会社員」の知られざる稼ぎ方
村田らむさんの連載の記事一覧はコチラ。
『フリーランス稼業成功の心得―東洋経済ONLINE BOOKS No.1』
本書は、東洋経済オンラインの連載『非会社員の稼ぎ方』から、記事を抜粋し、一部修正と加筆を加えてまとめたものです。特に、エピソードのあとにある「成功の心得」を新たに加え、フリーランスの方やフリーランスを目指している方に向けて、わかりやすく解説しています。選りすぐりの14人の生き方から、「安定をかなぐり捨てた世界を生き抜く」フリーランス成功術を学びとっていただきたい。
村田らむ・著 東洋経済新報社
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